起業のすすめ

起業家が起業について本を書くのは勇気がいることだ。文章術について本を書くのが怖いのに似ている。「じゃあお前の事業(文章)はどうなんだ」という声が常に聞こえてくるからだ。しかも、佐々木さんは最近起業をしたばかりで、本書の出版時点において起業家として成果をあげたわけでもない。

NewsPicksは時に「サラリーマン」の感情を逆なでするような企画を組んでいたけれども、佐々木さん自身は企画に酔わない冷静な人だった。自分も他人もとても客観的に見ている。そんな佐々木さんなので、本書をこのタイミングで出版することが周囲から揶揄される可能性があることも分かっていると思う。また、敏腕編集者である彼は、売れる本を書くのであればもっと違うテーマのほうが良いことも分かっていると思う。例えば佐々木さんが「伝え方」関連の本を書いたらとても売れただろう。

だけど佐々木さんはこの本を書いた。起業直前直後で忙しいのにもかかわらず、相当な時間を割いて。それは、大企業に勤めている人に対して、何かをつよく伝えたかったからだ。それに、事業が軌道に乗ってから他人に起業やスタートアップ勤務を勧めても「それはあなたが成功したからでしょう」という生存者バイアスから逃れられないからだ。

ちなみに僕も起業直前に同じような趣旨で本を書いている。僕は自分が書いた本は出版後は基本的に読まないのだけれども、恐る恐るこの本のあとがきを読んでみた。そこにはこう書いてある。本書の出版は2013年8月だから、もう今から8年前になる。この起業前の高揚感とか、懐かしいな。

 私が仕事や自分で興した事業を通じて得たのは、目に見える論理の鎖だけをたどっても、結局何にも行き着かないという確信でした。本当の論理、世界を前に進める論理は、おそらく、目に見える論理を飛び越えたところに存在しているのだと思います。真理にたどり着き、世界を前に進めるためには、私たちは時に勇気をもって飛躍しなければいけません。それがたとえ、一部の「賢い人々」から笑われるとしても。
 体験に根付いた直感と信念があってこそ、世界は前に進みます。「出来るかどうかじゃない、やるんだよ」と、それが出来ない100の理由をなぎ倒しながら前進する人々こそ世界を進歩させるのだと、私は強く主張したいのです。
 私のような若造が直感と信念について書くのはおこがましいかもしれません。
 確かに、私が何か大きな事業を成し遂げ「この本を書く資格」ができた後に、直感と信念というテーマで本を書いたら、それはより大きな説得力を有するでしょう。
 でも、それは、この本のテーマからすればおかしいと思うのです。というのも、この本で主張しているのは、「まだ定かになっていないもの、周囲から当初は受け入れられもしないもの、初期においては不完全なものこそが世界を変えるのだ」ということだからです。私が将来(運良く)事業に成功してからこのテーマを書くのは、どことなくあと出しジャンケンなのではないかと思います。成功したらその要因について何だって言えます。しかし、それが再現性のある成功要因である保証はほとんど存在しないのです。
 また、私はどうしてもこの本を、今、書きたかったのです。隼が飛びたいように、チーターが走りたいように、私はこれを書きたかったのです。
 私はこれから起業します。すべての人に必要なお金が届く世界をつくり、より多くの人が貧困から抜け出す機会を生み出すために、21世紀における世界銀行の代わりとなる民間金融機関をつくろうと思います。


さて、改めてこの本を読んでみると、起業直前の人が起業について本を書く一定の意味はあるなと感じた。

第一に、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」よろしく、起業して時間が経った人は起業前後のことをほとんど忘れてしまっているからだ。場合によっては、記憶が自分に都合がよいように編集されてしまうこともある。例えば、「起業は意外とリスクが低い」みたいなことは、起業後1年くらいは抱く感情なのだけど、数年も経っていると当たり前になりすぎて忘れてしまっている。

第二に、事業を始めてある程度時間が経つと、自分の固有の経験をベースに起業を語るようになるため、往々にしてバランスが悪くなりがちだからだ。成功した起業家には極端な人が多く、その人の成功の方法論はその人だからこそできたことで再現性が低いことが多い。しかし世の中にはそういう極端な方法論があふれている。起業前だからこそ、バランスが取れた記述ができる。多くの人に勧められるスタートアップ本の多くがVCやアクセラレーターによって書かれていることもそれが理由なのだと思う(本人たちが起業経験者だとしても)。

なお、本書以外のいわゆる起業論で僕が一番勧めたいのは次の三冊(翻訳版のタイトルがなんでこんな微妙なになったのか分からないので、英語タイトルも載せておく)。
爆速成長マネジメント (High Growth Handbook)
起業成功マニュアル (The Art of the Start)
ゼロ・トゥ・ワン (Zero to One)

この本は、佐々木さんから「サラリーマン」に対する扇動文だと思う。起業直後特有の高揚感や情熱がこの本には漂っている。また、スタートアップに関心がある人にとっては、長年取材をしてきた佐々木さんだからこそかける情報が詰まっているので、情報のまとめ、ということでも密度が高い本だと思う。

ただ、著者が一番気にしている本書出版におけるKPIは、この本を読んで起業を考えた人の数なんだろう。


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