日本はなぜこんなに豊かなのか?

途上国に行ってから現地の生活に慣れて帰ってくると、日本の豊かさに本当に驚かされる。どこでも安心して飲める水。ダイヤ通りにくる電車。24時間空いているコンビニ。シンガポールや香港(もう中国だけど)のような都市国家はさておき、日本くらいの人口を抱えながらこんなに豊かな国は本当に少ない。殊アジアでいえば、日本だけだ(韓国はあと10年後くらいには分からないけど)。

当然のように覚えている家までの道のりを歩きながら、何でこの国はこんなに豊かなんだろうとずっと考えていた。まとまってないのだけど、書いておきたい。

日本人の勤勉さ、職業人精神の高さはよくその理由として話される。このような話をするとき、ドイツ人の勤勉さも傍証にあげながら、さらにはマックス・ヴェーバーの本とかまでに遡って説明をされることが多い。これを仮に「勤勉さ仮説」と名づけてみよう。

多くの人が口にする「勤勉さ仮説」だけど、もう少し考えたいと思う。だって、勤勉な人、まじめに働くひとは、途上国にだって本当に多いのだから。カンボジアで働いていて思うのだけど、この国の人たちも本当によく働く。もちろんまじめに働かない人もいるが、それは日本の会社にだってたくさんいる。本当に勤勉さが理由なんだろうか。

さらに、この「勤勉さ仮説」にはもっと重大な欠点があると思う。それは、この仮説はトートロジーじみているところだ。極端にいえば、「勤勉な人が多いからこの国の人びとは豊かである」というのは「この人は反射神経が良いから卓球が強い」というのと同じくらい、当たり前の説明にしかなっていない。勤勉な人びとが多く存在する社会集団があるとしたら、その集団が豊かになる確率が高いのは当たり前のことだ(誰かの支配下にあるといったような重大なボトルネックが無い限り)。

もっというと、「正しい判断は3秒で決まる」という本を書くために色んな文献を読みあさり、人と議論して至った結論は、「ある事象が存在していることを説明する根拠として精神性を用いるのは誤り、少なくとも十分な説明にはなりえない」ということだ。なお、精神性のみならず、人間のアウトプットの産物(政治とか)を根拠にする場合も同様だ。というのも、人間が言うこと、考えること、書くことなど、全てのアウトプット(そして、これらアウトプットの傾向を我々は精神性とよぶ)は、その人が得てきた色々なインプットが何らかの形で組み合わさった結果でしかないからだ。なお、これは新しい発見でもなんでもなく、多分マルクスが今も生きていて唯物論ベースで理論展開をするのなら、必ず脳科学の話をしただろうと思う。

今回の例に敷衍していうと、日本の豊かさを説明するためには、二段階の説明が必要となる。まずは、日本人のどのような行動様式(組織の7Sでカバーされるようなカテゴリーのもの)が豊かさをもたらしたのか、そしてその行動様式はどのような物質的基礎(人びとが経験してきたこと)に根付いているのか。

仮に、(一つの理由に帰するのは無理があるというのを承知で)勤勉性という行動様式が日本に豊かさをもたらした最も大きな直接的要因だったのであれば、何がその勤勉さをもたらしたのだろうか。たぶん、大勢の人が勤勉でないと集団として生き残れなかった理由があるはずだ。食べ物を育てないと植えてしまうくらいの気候条件&地震をはじめとする天災の多さ&稲作文化?

予感だけを書いておきたい。おそらく、偶然の組み合わせの産物なのだろう。技術進歩とともに、繁栄の鍵となる客観条件は変化していて、たまたまここ300年は日本や西欧・米がその条件にピタッとはまったのだろう。だけど、それがずっと続くはずがない。




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