構造的な恐怖

今度、あなたがが感じている恐怖について話してください、というお題を受けたのでずっと考えている。いつも通り書いたらまとまると思って書いている。

ネットで在日に対するヘイトスピーチが始まったのはもう15年くらい昔からで、その点についてはだいぶ不感症にさえなってきている気がする。在特会のデモを見ても、それは明らかに外れ値の人々なので、すごく恐怖を感じたりはしない。

なぜなら、僕がたまたま在特会の人に殴り殺される可能性はあるかもしれないけど、それは、構造的な恐怖でなくて外れ値に対する恐怖だからだ。言い換えると、もしかしてある日ヤクザに言いがかりをつけられて殺されるんじゃないか、という恐怖に似ていて、僕はそういうのはあまり怖がらない性質にある(なぜか飛行機が堕ちるのだけは恐いのだけど、その理由についてはまたそのうちに考えたいと思っている)。

でも、最近は本当に恐くなっている。構造的な恐怖を感じるからだ。

先日いつも通り日本を出るために成田空港のイミグレを通ろうとしたところ、ストップさせられて、別のブースに連れて行かれた。

そこで、「北朝鮮へは渡航しません。北朝鮮への渡航が確認された場合には、再入国の取消しなどの処分が行われる場合があることを理解しています。」というレターに署名しろと言われた。

自分「なんでこんなことさせられるんですか?」
入管「在日韓国・朝鮮人全員にお願いしています」

自分「ということは、韓国籍の人もですか?」
入管「いや、違いますね」

自分「じゃあどういうことなんですか」
入管「北朝鮮籍の人にお願いしてるんです」

自分「朝鮮籍と北朝鮮籍って違うものじゃないですか。北朝鮮パスポート持ってる人だけに書いてもらったらいいじゃないですか」
入管「あれ、持っている人は隠して私たちに見せてくれないんですよ。何にせよ、これサインしてもらえないと出国させられないんで」

うちの家族親族の思想信条はかなりバラバラ。それでも、皆正月になると仲良く皆で歳事をしてご飯を食べて飲んで過ごしてきた。でも、そのうち家族の誰かが日本に返ってこれなくなるんじゃないだろうか。国の都合で家族兄弟が現実的に引き裂かれそうで、正直とても恐いと思った。

ほぼ時を同じくして、ある人からは、「そのうち、朝鮮籍の人は、9.11のあとのムスリムの人と同じような目に遭う可能性があると思う。君一人が人間としてどうとかそういう問題じゃなくて、一度そういうことが起きたらもうどうしようもなくなるだろう。ISにハイジャックされてしまっているムスリムを見たらいい」と言われた。財界・政界に繋がりのある彼に言われると、これまた恐い。

昨日、ニュースピックスの記事で三木谷さんが「日本には差別がなくて」と書いているのを読んで、これまた怖くなった。僕がどうしようもない国の事情でこの世から消えてしまっても、やっぱりそれは無かったことになるんじゃないかと。特にこのトピックに対して深く関わっていない三木谷さんがなんとなく「日本には差別がない」と言うところに表象される社会意識に対して、僕は恐怖を感じているんだろうと思う。

恐怖って、不確実性の中で生き残ってきた生命の本能なんだなあと改めて思う。時にそれは過剰反応するんだろうけれども、当の恐怖に晒されている人がそこで冷静に反応するのは本当に大変なことだ。5年前の震災の時の僕たち全員がそうだったように。

生まれたときに持っていたものでその人の人生が決まる世の中なんておかしいと思うし、この朝鮮籍をずっと維持しているのは、自分の思想信条との一貫性が理由。

ある英国紳士からは「ああ、それは君にとってのリマインダーなんだね」と言われた。確かに今のステータスは彼の言うとおりの役割を果たしている。国籍(正確には無国籍なんだけど)が理由で嫌な思いをする度に、僕は同じような立場で嫌な思いをしている何千万人の人たちを想像する。多くの無国籍者に移動の自由が全く無いのに較べ、比較的楽に動ける僕が声を上げ続けることは大切なんだと思っている。とはいえ、自分は何をしているんだろうかと思うこともあるんだけど。

何があっても抑圧する人たちに呪詛の言葉を投げるようなことなく(そんなので問題が解決するとは思えない)、しなやかに生きていきたい。そして、そういう時はビートルズのブラックバードを歌いたくなる。


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