走ることについて。13

東京での用事を済ませながらも、いつもお世話になっている三鷹の鍼灸師のモリタさんのところに行ってきた。

これまでに何度も僕を危機から救い出してくれたこの腕利きの鍼灸師さんはいつも飄々としている。膝の筋がかなりきつい炎症を起こしているときも、骨を折ったときも顔色一つ変えず淡々と鍼を打ってくれる。そのモリタさんも、今回ばかりは「ちょっとこれは、、休んだりできないんですかねえ…」と言う始末。アキレス腱は引き続き強い炎症を持っているし、アキレス腱とくっついている筋肉が軽く肉離れを起こしているらしい。

鍼だけでなく灸もしてもらった。二日間おとなしくしていたら大分良くなってきて、普通に歩くことはできるようになってきた(階段はまだビキビキいう)。調子に乗らず、ゆっくりコツコツ走り続けようと思う。

12月にも色々な予定が結局入り、残りを9.5日で走らないといけないことになってしまった。

冬晴れ・近道・平地の太平洋側を走るか、雨降り・遠回り・山がちの日本海側を走るか。冬の日本海側の気候がいかに厳しいものかは、この期間を通じて身に沁みて思い知った。そんな気候が続くのを覚悟して、当初予定通りに日本海側を走るかどうか。

予定よりも時間がなくなってしまったので、日本海側を進むとなれば、一日平均で70km弱を走らなければならない。こんなに後半がきつくなるのなら、前半にもっと長い距離を走っておくべきだった。いつも後悔は先には来ない。ところで、後悔という言葉において、「後」という漢字はなぜ必要なのだろう。先に悔いることなんてありえないのに。

随分と考えたけど、今回の旅の目的の一つは見たことのない日本を知ることなので、やはり初志貫徹、日本海側を走ることにした。後戻りできないように、今回の道中記作成のための資金を提供してくれた方向けに、出雲大社でお祈りすることを特典に加えた。これで逃げ場がない。

誓いを立てることや約束をすることは、人の弱さを見越した知恵だと思う。絶対的な精神力を誇る超人であれば、誓いなどを立てる必要はなく、ただ自分が信じた道を進むことができるのだろう。でも、僕は弱い人間だし、ふとしたタイミングで自分の弱さからくる意思決定を正当化しようとしてしまう。

そんな自分を知っているからこそ、人前でわざと何かを宣言する。引っ込みがつかない状況に自分を追い込まないと駄目だと分かっているからだ。高低差1300kmの山道48kmを1000回連続で歩く大峰千日回峰行においても、失敗した人は自殺しなければいけない決まりになっているが、これもある意味で、人間が易きに流れやすい性質をよく分かっていることから生まれた知恵なのだろう。文字通り死ぬ気になれば、大抵のことはなんとかできるからだ。

雨降り対応で、大きなサイズのレインウェアを買った。これでバッグは保護できると思う。よし、やってみよう。


17日目(越前開発駅→越前市)

東京での用事を終えて、電車に飛び乗り、福井駅に着いたのが7時過ぎ。そこでそばとソースカツ丼を食べて、電車に乗り、前回やっとの思いで辿り着いた越前開発駅からスタート。スタート時間は19時半過ぎ。

(福井駅)

一週間前と比べて一気に寒くなった。気温は11時には4度くらいに下がっていて、タイピングしているこの手もうまく動かないくらい。

22kmを走り、武生(越前市)に23時に着いて(22時からLIPの理事会にSkype参加してたので歩いた)、今はサイゼリアでご飯を食べながらこれを書いている。明日から、山がちの260kmを3日で走りきらなければいけない。こんな過酷なランニングは、ふつう体調を万全に整えて臨むものだけど、残念ながら体調は全く良くない。


18日目(越前市→小浜市)

長い長い3日間のはじまり。旅館を出たのは6時半で、まだ薄暗い。近所の吉野家で定食をがっつりと食べて出発したのは6時50分頃。

福井の朝の冷え込みはとにかく厳しかった。朝はパラパラと雨が降っていたのだけど、時々みぞれと雪の間くらいの氷の固まりが落ちてきたりもした。

この日は、越前市から小浜市の西側までを走る予定。敦賀を過ぎてからは山道続きの模様。山道は、暗い、歩道がない、車が飛ばすという、怖いことの三拍子なので、とにかく急ごう。

まずは敦賀までコツコツと走り続ける。海岸まで行く山道で、早速左膝とアキレス腱が痛みだした。予想よりも随分早く痛みが戻ってきたので、少し落胆しながら、テーピングで足首を固定し、膝まわりには伸縮テープを貼る。

山を超えて海岸に出たらもう平坦な道かと思いきや、海岸線は崖になっていて坂道が続く。そして、予想通り歩道もなく、トンネルに至っては路側帯すらない。カーブも急なので、出会い頭で車にぶつからないように、耳を澄ませながら走る。この期間に、こういった危ない道の進み方がだいぶ上手になった。

(この日は海がとてもきれいだった)

連続するトンネルに嫌気がさして、遠回りでもいいから車が通らない小さな道に変更。土砂崩れが沢山おきて、もう車が通行止めになって数年も経っている山道。道は舗装されているが、枯れ葉や落石、土砂でところどころ道が寸断されている。だけど、猛スピードで通り過ぎる車に比べたら、随分と気は楽だ。

(日本海側は波が強い)

ようやく海岸線に降りて、平坦になった道を敦賀まで進む。ここで一休みして、蕎麦屋でかつ丼とそばを注文。待ち時間にテーピングを全部張り替える。経験上、7時間くらいテーピングをすると、テーピングが伸びてしまっているからか、大きな痛みがズンと襲ってくる。だから、この3日間は、6~7時間おきにテーピングを貼り替えることに決めていた。両足首のガチガチテーピングと膝の伸縮テープの貼り替えは最速で15分かかるけど、意味のある時間投資だと思う。

(バス停には宇宙戦艦ヤマトの絵)

ところで、敦賀にはそこかしこに宇宙戦艦ヤマトの絵が。はて、戦艦大和をつくったのは敦賀だったのか、と思って調べてみるも、製造所は広島の呉海軍工廠だったようなので、さらに謎が残る。ネットによると、「敦賀港が古くから貿易や交通などで重要な役割を担ってきたことや、明治時代に欧亜国際連絡列車が東京から同港まで運行されていたことなどから、港の街と鉄道の街の連想で、鉄道と船が登場する銀河鉄道999と宇宙戦艦ヤマトの像を設置することになったんです」なのだとか。

敦賀を出てからもずっとなだらかな坂道の連続。そして、歩道がないところがとても多い。5時に日が暮れてからは、歩道の無い狭い道を走り続ける。歩道がない道を走るときは、必ず右側を走る。万が一車が気付かなかったときに、自分で身を躱せるようにするため。

本当に何もない道をずっと進んで、小浜市内に入ったのは11時も過ぎた頃。オバマ大統領を応援する会で一時期名前がよく出ていた小浜市だけど、行ってみるととても気品がある小奇麗な町だった。

(ここからさば街道がはじまるというマークが商店街の中にあった)

目的地は小浜市の西にある海辺のホテル。小浜市からはもう平地だと思いきや、また海岸線沿いのアップダウンの連続。途中で歩道も消え、真夜中なので猛スピードですっ飛ばすトラックにビクビクしながら走り続ける。

目的地に着いたのは12時過ぎ。本当に有難かったのは、ホテルの500m手前にコンビニがあったこと。何もない海岸沿いの山道でコンビニが無いことを覚悟していたので、そこでご飯を買い、足を冷やす氷袋を三つ買い込み、ホテルに入る。


Day 19(小浜市→朝来市)

小浜の西側のホテルを出発したのは、朝7時を過ぎた頃。7kmくらい進んだあと、道の駅で60分とどまる。昨晩は電波が悪くてできなかった、LIPのマイクロファイナンス・フォーラムの資料送付やら、メールの返信やらを行う(一日にだいたい100通くらいメールが来ていて、そのうち10は返信が必要)。僕のパートのプレゼンを早く送れとメンバーから急かされていて、なんとかプレゼン資料をまとめて皆に送る。

道の駅を出たのは9時も過ぎた頃。ここから残り85kmと思うと若干気が重くなる。時速6kmで進むことができたとしても(山道ばかりなのでそんなに早く進める可能性は低い)、目的地である朝来市に着くのは23時。でも、足を踏み出さないことにはどこにもたどり着けないので、黙々と走り続ける。

小浜を抜けると、大飯町に入り、その次に入るのは高浜町。大飯原発と高浜原発がある町。朝の通勤時間に走っている車の多くが、原発に向かう人々を乗せた電力会社のバスだった。

どちらの町も道はとても綺麗に舗装されているし、公共施設はとても立派で、家も新築っぽい新しいものが立ち並ぶ。とても立派な国道沿いの野球場を見て、これを誰がどう使っているのだろうと考えこむ。

ある人が言っていた言葉が印象に残っている。「原発が来る前には、この町には本当に何も無かった。でも、原発がやってきて補助金が出るようになり、電力会社の人が働きに来るようになり、町も栄えることができた。いまさら原発なしでどうやっていけるのか、見当もつかない。」

(ついに京都府へ)

峠を越えて、舞鶴入り。青森、岩手、宮城、山形、新潟、富山、石川、福井ときて、9つめ。

さすがに舞鶴市の中心はどこも歩道がしっかりとあるし、道幅も広く、安心して走ることができる。並んでいる家も、昔からあるような木造家屋が多い。

舞鶴のちょうど真ん中を走りぬけようとするところで、僕の姿を写メでとる人がいた。よく見ると、お世話になっている方が。舞鶴まで応援にきてくれたらしい。ここまで1000km以上走ってきて、僕を見にきてくれたのはこの人がはじめて。すでにここに来るまでに峠を二つ越えていてヘタリ気味だったのだけど、リアルな応援をしてくれる人がいるという事実はこんなにも人を鼓舞してくれるのかと驚く。

舞鶴市の西側を流れる由良川を超えるころには日が暮れ始める。日が暮れた時点で、残り50kmも残っている。どんなにいいペースで走っても、到着は24時半。でも、実際にはもっと遅くなるだろう。

こういうときにはいつも悪魔の囁きがやってくる。「これからずっと山道だし、50km走るなんて、今後に支障があったらどうなるんだ。それよりは、あと30kmくらい走っておいて、また次のラウンドで多めに走ればいいじゃないか」といった、自分を説得する理由がもやもやと頭を回り続ける。

でも、一度やると決めたことを途中で曲げてしまうのは、どんなに美言を弄しても、やっぱりダメなんだと思う。自分の決めたことを守らなかったというのは、他人を納得させることはできても、自分自身を心底から納得させることはできない。そして、そういった妥協の積み重ねが、決定的な場面での弱さにつながることになる。今回の旅の目的の一つは、そういう自分の弱さを見つめなすことにある。

それにしても、舞鶴を超えたら坂道ばかり。全くの平坦な道はほとんどなくて、少なくともなだらかな上り坂か下り坂。上り坂は無理し過ぎるとふくらはぎとアキレス腱がまたやられるので、太ももをしっかりと使いながら走らないといけない。下り坂は膝が痛くなるので、これまた早く走るわけにはいかない。なので、どうしても坂道ではスピードが落ちる。

山奥を走り続け、山陰道である国道9号線に合流したのはもう8時になった頃。山陰道は京都から山陰の主要都市を全て巡る道路。これから山口までずっと基本的にはこの道を進むことになる。福知山市内のコンビニで最後のテーピング交換を終えた頃にはもう9時も過ぎていた。到着は1時を間違いなく回りそうだ。旅館の人は、「旅館の鍵を開けておくので、勝手に入ってフロントにある鍵を持って部屋に行ってください」とのこと。いつも旅館の人を夜まで待たせて心苦しく思っていたので、これは気楽で有難い。

(ようやく辿り着いた朝来市。写真の撮影時刻は午前0時52分。貨物運送のトラックばかりが走る)

福知山市内を抜けてからは、コンビニもない山間の道を進む。いくつも峠を越えて、兵庫県朝来市の看板が見えた時にはもう午前を回っていた。標高は300mくらいで、気温は氷点下。途方に暮れそうにもなる一方で、本当にうれしくもある。

ここには道の駅があるのだけど、午前には当然のように閉まっているので、コンビニで買い込んでおいたプロテインバーを食べて目的地まで走る。Google mapが示す通りに、国道から外れた近道を進むと、そこはとっても急な下り坂。ひええええ、と思いながら走ること2時間弱、ようやく2時45分頃に朝来市の旅館に到着。

市内にはコンビニがあるだろうと思いきや、それは国道から来た場合で、近道を走った場合にはコンビニに寄ることができないことに気づく。お店も当然ながら全て閉まっている。

お腹がどうしようもなく空いたし、食べないで寝ると身体が筋肉を再生してくれないので、バッグに残っていたプロテインバーひとつとアミノバイタル全部を食べて、お風呂に入って足を冷やして眠りに着いたのは3時40分頃。地図を見る限り、明日はもっと急な山道を走らないといけないらしい。なかなか苦しい走りだ。


20日目(朝来市→鳥取市東部)

朝来市内の旅館で目が覚めたのは8時15分。寝過ごした。一回7時前に起きたのだけど、さすがに疲れていたので二度寝してしまった。テーピングを巻きながら、テレビをつけて天気予報を見る。幸いなことに、この3日間はずっと曇りか晴れ。日本海側ではずっと雨に打たれ続けたので、雨が降らないことの有難さが身にしみる。

鳥取にたどり着くのに、どっちの道を進むかをGoogle Mapを見ながら考える。山陰道(国道9号線)を進むとなると、400m、300m、200m、100mの峠を越えることになる。もう一つの国道29号線は、県境で900mくらいの山を一度登ればおしまい。純粋に標高差だけをみれば国道29号線のほうがよさそうなのだけど、29号線の道のりをGoogle Earthで見ると、山に雪がかかっているし、地図で見た限り町もほとんど無さそうなので、歴史のある山陰道を選ぶ。千年以上の歴史がある山陰道には昔から人々が利用してきた宿場町が必ず存在していて、それゆえにコンビニなどもところどころにあるはずだから。

宿を出たのが9時半。とにかくお腹が空いて仕方がないので、近くの喫茶店に入り、ご飯を頼む。メニューに書いてあるカレーやらサンドイッチやらを頼むものの、「まだ朝なのでモーニングセットしかないのよ」という答えが返ってくる。「ずっと走ってきてお腹がペコペコなんです」と訴えたら、喫茶店のママがタダで暖かい梅おにぎりを三つ作ってくれた。本当に有難い。

喫茶店を出たのが10時過ぎ、そこから3kmくらい行った薬局で底を尽きていたテーピングやらアミノバイタルやらを買い揃え終えたらもう11時になっていた。これから残り80km以上を走るのかと思うと随分と気が重くなる。

ダメ元でランニングのフォームを変えてみた。オーバーなくらいに骨盤を動かして、足はそれについてくるくらいのフォームにして、今まであまり使っていなかった腰回りの筋肉を使って走りはじめる。これがだいぶ功を奏して、平均時速6.5kmくらいが出るようになる。そこからは勢いに乗って、ひたすらに坂道を走り続ける。

(一つ目の峠を越えたところ)

一つめの峠を越え、二つめの峠を越えたところでもう19時を過ぎる。新しいフォームのお陰でスピードは出ているものの、下り坂で膝と足の裏が大分痛くなってきた。7時半には湯村温泉に着く。足湯があったので、迷わず足湯に浸かる。足を温泉につけながらテーピングを外し、足のマッサージ。それを終えたら、裸足のまま近所の食事処に入り、但馬牛の串焼きとご飯のセットを食べながら、足のテーピングの貼り替え。色んなことを同時進行させることで、少しでも時間を短縮。

(湯村温泉)

食事も終えて湯村温泉を出たのは8時半頃。この先は20kmくらいずっと何もない山道を走り続ける。

峠を越えて鳥取県内に入ったのはもう10時半。坂道を下る一歩一歩が痛い。

 (県境の長いトンネル。工事中だったので、真ん中で撮ることができた)

鳥取県の手前にある岩美町の西側を走っているところで、どうしようもなく疲れてしまった。これまでの疲れと寝不足と寒さが一気にやってきた。道の側にコインランドリーがあったのでそこに入ってへたり込む。両足の裏、膝、太もも、アキレス腱全部が痛くてどうしようもない。足をベンチの上に置いて仮眠をするも、寒いし足が痛いしで全く眠れない。しょうがないので、ムクリと起き上がって、手を使ってふくらはぎとももを全力で擦る。マッサージをしながら、体温を上げるため。

コインランドリーを出たのは午前一時過ぎ。30kmぶりに出現したコンビニのポプラに入って、大盛りカレーとキングサイズのカップヌードルを食べたら、また元気が出てきた。鳥取市内に入るための最後の峠を越える。この峠を越えようとするタイミングで、またアキレス腱に鋭い痛みがやってくるので、足をなだめすかしながらゆっくりゆっくり走り続ける。

目的地である鳥取砂丘前にたどり着いたのは午前4時手前。午前チェックインで入れるところがなかったので、唯一入れたラブホテルに入る。考えてみると、こんな感じに真夜中チェックインするのであれば、ラブホテルは設備的にも価格的にも一番お得かもしれない。

次の日は朝6時40分鳥取駅発の電車で大阪に向かい、そこで仕事。今回はそのために荷物を多めに背負っていた。6時にホテルを出て、砂丘を眺めながら鳥取駅に行こうとしたら、西日本は日の出時間が東よりだいぶ遅いことを忘れていた。鳥取砂丘を見るのは次回になりそうだ。

ということで第4ラウンドも終わり。東京でのマイクロファイナンス・フォーラム、カンボジア出張から戻った直後に第5ラウンドで、最後の430kmを走ったら、この長い旅もようやく終わりになる。


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