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・・・・らしい。 それはチョコの中に含まれるなんちゃらいうものが脳に作用するからなのだそうだが、そのなんちゃらを忘れてしまった。 しかし、そのチョコにはなにか別なものが練り込まれていないと意味がない、とも言われている。 *野やぎさんの冒頭3行選手権に参加させていただきます
物心ついた頃から、わたしにはそれが見えた。 いや、おそらく、生まれたときから見えていたのであろうそれらが、物心ついた頃になにかの拍子で覚えた「くじら」なのだと認識したのだ。 どのように見えるのか、というと、あらゆるところに見えている。視界が邪魔されるほどではないが、それは海の中に在るのと同じように、地面の下、壁面の中、はては空の雲に重なって泳いでいるのだ。しかしながら水中ではないために、わたしにはそれらが這っているように見えるのである。 *野やぎさんの冒頭3行選手権に参
その時父は 「貰ってくれるというところに行ってもらうしかない」と言った 行ってもらうしかない この言葉の裏にはどんな思いが込められていたのだろう 女の子が生まれた時から諦めていた。父はよくそう言っていた だからといってそれがしあわせじゃない、わけではない 普通に男の子が欲しかったんだろうと思う。名前も準備されていた わたしの名前は慌てて付けられた…けれど気に入っている 愛されていないわけではなかった。だからこそ わたしは反対して欲しかった 「娘は嫁には出せん!」と、
昭和のど真ん中…よりちょっと後半? わたしの両親はおそらく「団塊世代」と言われる年齢に位置するのだろう とかく田舎は跡取り問題にうるさい。よって、嫁は「男児」の出産を求められた。ある家では、子どもが産まれるまで嫁は「戸籍に入れて貰えない」という所さえあったようだ 結果懐妊の際には当然のように「男児」の名前しか考えられていないというのが現実で、我が家もそれそのものだった わたしの名前は『新吾』だったらしい よくある話だ。おそらくこれは、時代劇の好きな父の思い入れある名前
流浪の民は水を求めて居住地を転々としていた。道中同じように旅をする民族も加わり、一時は顔を覚えられないほどの人数を引き連れていたこともあった。 だが飢えや病に倒れる者も少なくなく、私の種族はもう妹家族のみ。比較的獣の体を持つ種族の方が気候に左右されることもなく、丈夫なようだった。 ほとんどが天涯孤独のような状態で、言葉が通じない民族もいる。まるで山登りの山頂で偶然出会ったパーティのような集団だ。 世界の終わりは近づいていた。 人類が新天地を求めちまちまと移動する最中、気候
私は、上司の秘密に初めから気づいていた訳ではなかった。ただ、自分とは違うなにかを感じていた。結果それが壮大な秘密を知るべくして知ってしまったというだけ。 それは「所帯じみていない」という点だった。彼女は既婚で子どもが3人いる。にも拘らず、たくあん臭くない。つまりは「母」を感じないということだ。むしろ清々しいほど「女」だった。それが違和感。 どんなに彼女が子どもの話をしても、たまに学校行事で外出して行ったとしても、その行動がどうしても頭の中で結び付かなかった。それは彼女が「恋
わたしが初めて香水を買ったのは、短大の時だった。研修旅行で初めて海外に旅立つ成田空港の免税店だった・・・・ 自分の名前が香水にあることを知ったのは、当時少年誌で連載していた人気連載漫画からだった。主人公と敵対関係にある彼女は、お世辞にもかわいいとは言えない知的でキャリアな女性。普段なら、どんな女性だろうと、同じ名前というだけで親近感が沸く…だが彼女は、かわいくもない緑のおばさんスーツに黒縁眼鏡で、共感というよりはがっかりだったことを覚えている。ひとは見た目で判断してはいけな
あの人の夢を見た もうずっと会っていない、もうなん年も 会わないまま・・・・ わたしのことを覚えているかすらもわからない わたしのことなど記憶にとどめているかすらもわからないのに あの人の夢を見た それもここ数日で2度 なぜ? 特にあの人を話題にしたこともない もちろん思い出すこともなかったのに なぜ? なにか、伝えようとしているのだろうか なにか、怖いことが起きようとしているのだろうか わたしを心配している…? まさか、ね 気になる 気になってしょうがない 思えばな
踊リハ楽シ… 祭リハ楽シ… 今宵 宵闇横丁二 市ガ立ツ 神ガ立ツ 踊リハ楽シ… 祭リハ楽シ… 飲メヨ歌エヨ 食ラエヨ舞エヨ ハァ… 宵ノ酔イノ夜イ この世とあの世の境があいまいな場所、逢魔が刻の一瞬に、昼と夜とが入れ替わる。昼と夜とは別の顔・・・・。 昼は1日、夜も1日と数えられていた時代のこと。逢魔が刻は思わぬ時、黄昏時の訪問者。黄昏、たそかれ、誰ぞ彼? ムラの境のオドリバで化粧を興じて入り込む・・・・妖モノにご用心 《 オカクレサマ 》 祭りが近づくにつれ、どこか
やっとの思いで嫁ぎ先を出た。毎日が楽しかった。 箱入り娘で、ひとり暮らしをしたことのなかった私は、アパート暮らしができることに期待を寄せ、またなんとかやれている自分が嬉しく、毎日が楽しくてしょうがなかった。でもそんな日々はわずかだった。 私は、今度は夫の行動に怯えることになるのだ。 夕方、夫の帰ってくる時間が恐怖だった。 (なに話そう…) そう、夫との間に会話がなくなっていた。 結婚して3年、新婚時代こそそれらしいしあわせな会話があったのだろうが、娘が生まれてから2年余り「
もう限界だった。 買ってもらった新しい服を見せに、義母の仕事場に嬉しそうに駆け出していった娘が泣きながら戻ってきた時、腹立たしさと情けなさで胸がいっぱいになった。私はもう、ここが限界だった。 かねてより義母は、私が自分の実家を行き来することを快く思っていなかった。義母には義母なりの憤りがあった。そんなことは承知の上で、私はそんなことは介さず、夫のいる週末は家族3人で実家に帰っていた。 そして、義母はうまく爆発してくれたのだ。 かえれ! もうあっちのこどもになればいい!