タピオカミルクティー

小説『オスカルな女たち』19

第 5 章 『 警 告 』・・・3


   《 軌道修正型恋愛 》

 
「ここ、おまえの店なの?」
店を閉めて外へ出たつかさを呼び止める声があった。
「え?」
(だれ?)
黒い影がこちらに歩を進めるにつれ、足元からシルエットが街灯に照らされていく。
「圭、ちゃん…? え? 待って、て、くれたの?」
「あぁ」
(いつから?)
つかさは、このところ今後の営業の方向性についていろいろと考えたいこともあり、残業が続いていた。
「ずいぶん待った? …入ってきてくれたらよかったのに…」
ついと、店内を見遣る。
(全然気づかなかった…)
「おまえの働きぶりを見てた…」
優しいまなざしがつかさの笑顔を誘う。
(見てた…?)
嬉しさからほころびそうになる頬を誤魔化し、
「やだ、ストーカー…?」
恥ずかしまぎれにそんな言葉がついて出た。
「なん…っ、そりゃないだろぉ」
「ふふ…冗談よ」
(ホントに、また会えた…)
妙にくすぐったいものが胸の中をさらさらとなでる。
数日前、10年以上ぶりに再会した元職場の同僚〈藤枝圭慈(ふじえだけいじ)〉。今まですれ違うことすらなかったのに、こんなわずかな期間で再び相まみえた。心揺さぶられるのも当然のことだろう。
「電話の応対にしどろもどろだったつかさが、サービス業とはねぇ…。変わらないようで時間は確実に経過してるんだな…」
懐かしいような、さみしいようなそんな目を見せる。
「そりゃそうよ、あたしだって少しは成長してるのよ」
「でも犬相手だけどな」
「それを言われたら身もふたもないわ。でもね、わんこにだってそれぞれに性格ってものがあるのよ。みんな同じなわけじゃないんだから…」
仕事には満足していた。根がまじめなつかさは、ついついムキになってしまう自分に、
「言葉を話さないだけで、そこにはちゃんと意思の疎通があるのよ」
そう、言い訳するように付け加えた。
「そんなもんかね」
「そんなもんなの」
言いながらつかさは、本当に通じ合わなければいけない相手とはなぜ意思疎通が叶わないのかとふと考えた。動物たちとは言葉を交わさなくても、あのつぶらな瞳を見れば解るのに…と。
(そう言えば、吾郎の目を見て話すことなんかあったかしら…)
「飯でも食いに行かないか…」
「え?」
「時間ある?」
「…もちろんおごりよね?」
いたずら心が顔を出す。
「ぉおう…まかせろ!」
「じゃぁ、行こうかな」
(今は、この再会を楽しむことにしよう…)
「おいおい、足元見るなよ」
「どうせラーメンでしょっ」
「ばれたか…」
「やっぱり~」
自然に圭慈の腕をとり、久しぶりに会ったとは思えない距離感で、ふたりは笑って足を進めた。
「前もよく、ふたりでラーメン食べたね…」
懐かしさに今を忘れ、ひと時の安らかな時間を過ごしたつかさだった。

めん (2)

浮かれた気分で帰路に就くと、自宅に灯りが点っていた。
(また、来てるのか…)
こんな日に限って…と、すっかり気分を害されたつかさは勢いよく玄関ドアを開けたたきに目を落とした。
「ただいま…」
(…っと、)
言ってしまって自分から見える範囲に人影がないことにほっとする。
つい癖でそう言ってしまうが、玄関先に吾郎がいたら「勘違いされる」のではないかと口をつぐんだ。
(こういうところがかわいくないんだろうなぁ…)
つかさは最近、そんな風に冷静に自分を分析する癖がついた。
案の定無造作に脱ぎ捨てられた靴が目に入ると、黙ってその靴をそろえて耳を澄ます。リビングが静かなところを察するに、どうやら今はシャワーを浴びているのか、もしくは2階にいるのだろう。
「…ふう」
大きく溜息をつきながらリビングに入る。静かな部屋を覗くと、隅に設置してあるケ—ジの中で、嬉しそうにしっぽを振る3匹が並んでお座りしていた。無駄吠えしていないことを褒めてほしいとばかりに舌を出し、「はっはっ」と彼らなりの笑顔でアピールしている。
「もう~。おりこうさん」
つい顔がほころんでバッグをそのまま壁際に置き、言いながらそちらに駆け寄るつかさ。すると、愛犬たちは今度は嬉しそうに息を荒げ、飛び跳ねて見せた。いつものようにバリケードの外に出してもらえるものと意気揚々の愛犬たちに「今日はまだ待ってね…」と小さく言っておやつの袋を開けた。その時、
「…髪、切ったのか」
背後から突き刺す視線を感じ、その声に一瞬ビクリと肩を震わせた。だがすぐに「どうせ皮肉か憎まれ口が返ってくるのだろう」と、思い直して静かに振り返る。が、そこに吾郎の姿はなく、代わりにダンダンダンダン…と、激しく階段を駆け上がっていく音が響いた。
「…なに? 今の」
しばらくあっけにとられるも、すぐに思い返し、
(髪切ったのか…って言わなかった? 今…)
そろり立ち上がり、リビングのドアから階段を見上げる。
(わけわかんない…)
ふと、玄関先に置かれたボストンバッグに気づき「空き巣の途中だったのね…」と、いつもの行動にそれ以上考えるのを諦め、自分のバッグに手を伸ばした。
(今日はなにを言われるのやら…)
キッチンに向かい冷蔵庫を開けた。ひとり暮らしで閑散としたその景色をさみしいと思うつかさ。料理は嫌いではなかったが、もうしばらくの間「だれかのため」の料理を作っていない。500mlの水のペットボトルに手を伸ばしてドアを閉める。
ダイニングテーブルに向かい、今日は〈離婚届〉を出してないことに気づく。
「あ…」
条件反射でキッチンカウンターの引き出しに目を移すが、
(もう、なかったんだっけ…? もう見てるよね)
机の上…と、ダイニングテーブルに目を移す。
ボストンバッグが出ている時点で、いつもならすでに破られている〈離婚届〉を思い、今さら出すのもまた吾郎を逆なでするだけか…と、そう思いながら引き出しに向かうのを躊躇していると、ガタン…と大きな物音がつかさの動きを止めた。
「…もう! なにしてるの、今日は…」
2階の方でなにかをひっくり返したような、引きずるような音の方向を睨みつけ、キャップを開けようとした手を止め、ペットボトルの底をテーブルに打ち付けるようにして置いた。そのままリビングの入り口に向かうと、
(スーツケース…?)
ガタガタと大仰に、今日はまた大荷物を持って降りてくる吾郎に目を見張る。
「なに…?」
階下のつかさに気づいた吾郎は、
「今日はサインはいいのか?」
いつものゆがんだ表情で、そう言った。だが、いつもの皮肉じみた苛立ちは感じられず、思いのほか落ち着いた様子だった。
「え…あるけど…?」
(どうせ、破くだけでしょーが。日課とでも言いたいわけ?)
つくづく嫌味な男だ…とリビングに戻ろうときびすを返す。
今日は出すのはよそうと思っていただけに、余計にイラつく。
「明日また来る。その時までに出しとけよ…」
背中越しにそう言って、いつものボストンバッグと、今日はスーツケースを重そうに玄関のたたきに下ろす吾郎。
「え? 明日…?」
(また来るの…?)
靴を履く吾郎に問い掛けようとしてやめた。「なにか皮肉を言われるのでは」…と、ついいつもの癖で言葉を飲み込んだのと、今日は珍しく下駄箱にまで手を伸ばして中の靴を取り出す吾郎の姿に違和感を覚え、言葉を失ったからだ。
「随分と大掛かりね…今日は」
思わず心の声が漏れてしまったが、それにはいつもの憎まれ口は返ってこず「じゃぁな」と吾郎はつかさの顔も見ずに、玄関を出ていった。文字通り「逃げる」ように。
「…うん」
なんだか拍子抜け…とばかりに、つかさは吾郎のいなくなった玄関の扉を眺めていた。なにも言わずにいそいそと出ていった吾郎に、
(なに、今日は機嫌がよかったの?)
と、あっけにとられしばらくの間呆然としていた。
「玄関開けっ放しだし…」
そう言ってつかさは、吾郎の不可解な行動に疑問を残したまま玄関を降り、箒とちり取りを取り出した。相変わらず土が散らばっている。それを無言で掃き出し、さらに散乱しているだろうバスルームに向かうべく玄関ドアを閉めた。

画像2

「…それで? ホントにまた来たの?」
ここはつかさの勤めているトリミングサロン『Friendly Hand(やさしい手)』。「会社帰りに寄ってほしい」との連絡を受け、閉店後の店に顔を出した織瀬(おりせ)は、吾郎のとった奇異な行動の一連の流れを聞かされたところだった。
「来たみたい、よ…昨日」
「昨日? 会わなかったの?」
「あたし仕事だったし、日中来るなんて思ってなかったし…?」
訳が分からないといった様子で肩をすくめるつかさ。
「日中?」
「そう。しかも散らかってなかった」
掃除こそしてはいないが、吾郎の荷物のほとんどがなくなっていたのだ。そして、いつもばらまかれるつかさの荷物もちゃんと所定の位置に収まっていた。
「そ、か、…それで、テーブルの上にこれが…」
そう言って織瀬はカウンターに乗せられた薄っぺらな紙に目を落とした。もう何度となく見せられ、何度となく証人の欄に名前を記載してきた緑色の印字の〈離婚届〉。いつもはひとり分の名前しか書かれていなかったが、今日は様子が違った。
「そう…」
つられるようにつかさも目を落とす。
「どうして急に…?」
「気が変わらないうちにさっさと済まそうと思って」
「そうじゃなくて、吾郎さん。今まで散々拒んでたのに、なんで急に?」
「あぁ。髪、切ったから?」
「うそぉ…」
疑わしくそう答えながらも「そんなことで?」と切り返す織瀬。
「まさかね…」
だが、目の前の〈離婚届〉にはいつもと違う点があった。それは、今回はつかさの署名捺印だけではなく、吾郎の署名捺印がされていることだった。
「でも、ずっと髪切るの嫌がってたから、不意を突かれた感はあったのかも?」
軽く髪に手を触れてみる。
「こだわる側の人だったか…。確かに離婚するにはいい選択だったのかもね、髪切るの」
そうは言っても半信半疑の織瀬。
「失恋じゃないけどね~」
それは決して負け惜しみではないつかさの本音だった。
「さぁ、おりちゃん。おりちゃんもいよいよ、これで最後よ」
そう言ってボールペンを差し出すつかさ。
「緊張するな…」
しかも証人の欄も空白ではなく、ひとり目の署名が既になされている。
「これ、自分で用意してたってこと?」
もうひとりの記載名を見ながら、織瀬はボールペンを受け取った。ただの白紙に名前を書きこむのと、既に記入されていて失敗のできない署名をするのとでは気の持ちようが違う。
「そうみたいね…」
もうひとりの証人は、現在吾郎と一緒に仕事をしているつかさの2番目の弟〈大賀舵(かじ)〉だった。
「かっちゃんは、知ってたってこと? それともこのために書かせたってこと?」
翌日のために署名させるとは行動が早すぎるのではないかと、織瀬は訝しんだ。ならば弟の舵にはいつ知らされたのだろうか。つかさのこれまでの言動からも、そんな様子はさっぱり感じられなかった。
「それがね、舵に聞いたら、ずいぶん前に書いてたっていうのよ…」
わけが解らない…と憤慨するつかさに、
「それって…ずいぶん前から準備していた、って聞こえるけど…?」
今まで散々、つかさの申し出を破り捨てていた吾郎の行動とは結び付かない。
「そうなんだよねぇ…」
そこが解らないのよね…とつぶやいて、
「しかもよ『やっと決心したのかー』って言われたのよ、あたし。『しぶとかったなおねぇも』…って」
思い出したことに憤慨する。
「え~なにそれ…?」
「でしょ!『なにそれ』でしょ? あの日引き出しを見たら、やっぱり離婚届のストックはなかったのよ。『明日また来る』って、てっきり夜だと思ってたから、日中取りに行って持って帰ればいいか…って軽く考えてたんだけど…」
とはいえ「明日」と言われていながらもつかさは、本当に翌日に来るとは思ってはいなかった…と、付け加えた。
「すでにこれが置いてあった…と…?」
「そう…」
偽物かと思って何度も見返しちゃったわよ…と、笑いを誘った。
「荷物は?」
「ほとんど持って行ったみたい」
(今回ばかりは空き巣というより、夜逃げに近い状態だったな…)
散らかして出て行かれるより、まったく荒らされた気配のないままクローゼットの中身が空になっていることの方が、薄気味が悪いと実感したのだった。
「あとは『適当に捨ててくれ』って。舵に言われた」
最近では、自分の荷物を吾郎の目につくところに置かないよう努めていたせいか、空きのあるクローゼットではあったが、さらに空いたその空間が自身の心の隙間のようで空しさを覚えた。
「踏ん切りがつかなかった…ってことかな?」
「それとも…あたしからでなく、自分から離婚届を突き付けたかったんじゃない? そういう人だから。準備してあるくらいだもん」
吾郎が考えそうなことよ…と言いながら、それでも違和感がありしっくりこない様子のつかさ。
奥歯にものが挟まったような、このもやもやした気持ちの悪い感覚はなんなのか。
「ふーん。ま、確かに…でも、よかったね。これで晴れて独身だ…!」
ちょっとうらやましいかも…と舌を出す織瀬。
独身・・・・。
改めて言葉にすると妙な響きだ。でも、
「うん…急に家が広くなった気がするけどね」
「それじゃ、泊りがけで押しかけちゃう…?」
「そうか、そういうことも可能なわけね…っ」
いい集会場所ができたじゃない…とはしゃいで見せるつかさ。
今までは「いつ吾郎が来るかわからない」と、つかさの家でのホームパーティを遠慮していただけに「少し楽しみが増えたと考えることにしよう」…そう言ってふたりは顔を見合わせて笑った。
「泊りがけって言えば…さっきの電話だけど…」
連絡を受けた際、つかさの店に「寄ってほしい」との頼みと同時、真実(まこと)から電話があった旨を聞いていた織瀬。
「そうそう、玲(あきら)。家出だなんて、いったいどうしたんだろうね。この前会った時は別に変った様子もなかったのに…」
家出をするような暗い雰囲気などではなく、むしろ浮かれているように受け取っていたつかさは、2日前の『kyss(シュス)』での様子を思い浮かべた。
「でも、あの日『ホテルのラウンジ』…って言ってなかった? ホテルのラウンジって気分じゃないからバーに電話した…って」
「…あ、言ってたかも?」
思えば、玲から「集合」をかけてきたのは初めてだったのではないか。その時点でこの事態を想定すべきだったのかもしれない。
「あたしと真実が帰った後、玲の様子はどうだった? ひょっとしてあの日、既に家出してたんじゃないの?」
織瀬は体調を崩し、途中で真実に送られ帰った。そのあとのことは、特にめぼしい話題もなかったため気にも留めていなかった。
「別段変わりなかったように思うけど…。でも、ありえない話ではないよね」
なにかおかしな言動はなかったかと、再度思い返そうとするつかさ。だが、それと意識して会話をしていたわけでもなければ、気になった様子も浮かばない。つかさの髪型に触れ、織瀬の「結婚記念日」の話をし、そしてふたりが帰ったあとは玲の職場の話に少し触れただけだ。
「事務所の従業員を増やしたいって言ってた」
そう言えば…と、あの日の状況を思い出すようにつかさがおでこに手を当てた。
「そう。特に大変な悩みでもなさそうよね…」
「もっと仕事したいって言ってた」
だんだんとおぼろげな記憶がよみがえる。
「意外と野心家だったのかしら?」
「そこはやっぱり家系じゃない?」
「どこに家出の要素があるの…?」
まったく思いつかない…とふたりは考えを巡らせ、
「旦那様とケンカ? いつものことよね」
「体調不良とか? 身体的な悩み?」
思いつく限りの言葉を並べるも、
「全然そんな様子に見えなかったけど?」
「世間ではもう、学校は夏休み? 子どもたちも一緒に家出したとか?」
「子どもたちが一緒だったら、あたしたちのこと誘わないんじゃない?」
ふたりは顔を見合わせ、ますます週末のホテルに焦がれた。
「水曜の時点で言ってくれてたら、仕事調整したのに~」
口惜しいとばかりに力を入れ、織瀬はボールペンを握りしめた。
「はい、おめでとう!」
自分の署名をし、改めて織瀬はそう言った。
「おめでとう、かな?」
「そりゃ、おめでとうでしょう」
多分…と、笑顔で応える。
「じゃ、ありがとう…」
ふふ…と笑って、改めて文字で埋め尽くされた〈離婚届〉を手にするつかさ。これで本当に解放されるのだ。
(これで、終わった…のね)
自然に手が髪に伸びる。

あたし

「失恋したら髪切るって、そもそも誰が始めたんだろうね」
すっかり馴染んだショートカットのつかさを見ながら織瀬が微笑んだ。
「そうね、あたしみたいな女もいるんだから、言い方変えてほしいもんだわね」
「決断の時に髪を切る…みたいな?」
「う~ん、かたいなぁ」
「どっちにしてもマイナスな感じね」
「じゃ、明日のために髪を切る…!」
人差し指をかざして見せるつかさに、
「髪を切って違う自分に生まれ変わる!…とか?」
長いか…と、織瀬は考えた挙句「気合の断髪」と答えた。
「気合の断髪? なんだか、勝負パンツみたいね」
つかさは眉をしかめてみせる。
「言い方でしょうよ…」
「まぁね…」
「でも必要になるかも?」
「やだ、おりちゃん」
そしてふたりは大声で笑った。なにはともあれ、喜ばしい門出に笑顔はつきものだ。
「この後どうする? 体調はもういいの…?」
先日の織瀬の様子を気遣うつかさ。
「うん。今日は平気」
「じゃ、いつもの…行きますか?」
「行きすぎじゃない? 今週2度目だよ」
いつもなら気にもせず了承するところだが、やはり気がひけるのか…と、つかさは、ついつい妙な勘ぐりを入れてしまう自分を制し、
「じゃぁ、新規開拓する?」
「賛成!」
そう言いながらふたりは、駅に向かって歩いた。
「…でもつかさ。これから勝負パンツ、ホントに必要になるかもよ~?」
「え、なんで?」
「新しい出会いがあるかもしれないじゃない」
「あぁ、そういうこと。…まぁ」
「え? なに? もうなにかあったの? 勝負パンツが必要なこと」
当てずっぽうのつもりがまさかのお宝発見か…と目を見張る。
「もう、おりちゃん。その言い方」
「だって…」
「そうじゃないんだけど…。実は、会っちゃったんだよね…前の会社で好きだった人に」
「え? 例の、元カレ?」
「元カレと言えるのかどうか…」
つかさと圭慈はっきりとつき合っていたという自覚もない関係だった。
「やだ、まさに勝負パンツじゃない」
「あんまり連呼しないでよ」
「だって…! 話したの? 誘われた?」
「一昨日食事しただけ」
「え~。いつの間に…! すごい展開の速さ」
「まぁ、そうだけど」
「勝負パンツ…まんざらじゃない話じゃない」
「そんな、いきなり? リハビリさせてよ~」
「あはは…。でも、そういうの、軌道修正型恋愛っていうんだってよ…?」
道すがら、織瀬はそんな言葉を口にした。
「軌道修正型? また新しい言葉だね」
いまいち内容が呑み込めないと、唇を歪めるつかさ。
「つかさみたいにね、間違った相手と結婚しちゃった人や、あ…」
言ってしまって「ごめん」と舌を出す織瀬。
「いいの、いいの、続けて」
「うん…それによって元さやとか不倫に発展しちゃった人に使う言葉らしい。正しい路線に戻すって意味みたいよ」
「へぇ~軌道修正型恋愛…ねぇ…それは、元カレとか元さやに限定される言葉?」
そうなのかな…と、苦笑いのつかさは、
「でもそれって、ただの都合のいい感じしない?」
「どうだろ? でも、あまり明るいイメージではなかったかも…?」
と、結局やってることは「道に外れてる?」…と自分の言葉に自信のない織瀬。
「でも、そう思えば罪悪感もなく、次に行くのにも遠慮しなくていいんじゃない? そう後ろ髪ひかれることじゃないって言いたいんでしょ」
次に行く…という言葉に、どことなく引っ掛かりを感じつつ「織瀬は自分の心の中になにかが芽生え始めていることをどう感じているのだろうか」と織瀬を見つめるつかさ。
「次ねぇ…」
あたしに次があるかしら…と、改めて考えてみても今は想像もつかない。
「そりゃ、不倫はダメだけど…」
口ごもる織瀬にはなにか、思うところがあるのだろうと思うつかさ。いつもならやり過ごすところだが、ふたりきりだし勢いついでに持ち掛けてみることにした。
「おりちゃんは…真田くんのことどう思ってる?」
「え…? なんで」
その顔を見れば、そう聞きたくもなる…とは言えない。
「なんていうか…最近、なにかと、騒がしいじゃない? 引っかかってるのかなって思って」
「そうね…。気にならないわけじゃないけど、考えちゃいけない気がする」
「考えちゃいけない…ね」
(考えちゃってるのか…)
織瀬の様子を見て、内容がデリケートなだけにそれ以上の追及はよそうと思った。
「まぁ、向こうも、今すぐどうこうって感じじゃないしね」
そう言いながらつかさは、
(でも、今すぐじゃないってことは、いつまでも待てるってことでもあるのよね…)
なまじ真田の性格を知っているだけに、簡単には終わらないような気がしていた。
「正直よく解らない。このまま、やり過ごしたい…できれば」
穏便にすませたい、と織瀬は小さくつぶやいた。
「つかさは?」
「あたし…?」
「どうなの? 元カレとは」
「どうって…。普通かな…」
「甘い感じではないってこと?」
「あたしもよく解らないっていうのが本音かな。そもそも、再会したときはまだ離婚も決まってなかったし…次のこと考えて行動してたわけでもないから、そんなこと考える余裕もなかったよ。それに…」
つかさは再会時に圭慈が持っていた買い物袋が気になっていた。
「それに?」
「向こうは結婚してるんじゃないかな?」
「指輪でもしてた?」
「そうじゃないけど」
(指輪…どう、だったかな…?)
「しない人もいるし」
「でも、この先どうなるかわからないじゃない」
「それはそうだけど」
「未婚かもしれないじゃない? つかさももう独身だし、不倫ではないじゃん」
なにも知らない織瀬は、つかさの今後にエールを送る。

チューリップ白

 Prr…Prr…
『もしもーし…』
「あ、舵? あたしだけど…」
『おー。久しぶりぃ…でもねーのか』
「久しぶりじゃないわよ、あんた。…ねぇ、いつ離婚届に署名なんかしてた?」
『…え? あぁ…したよ、署名』
「だから、いつ?」
『え~、だいぶ前だけど…? おねぇ、やっと決心したのか? しぶとかったよなー』
「やっと…?」
(しぶとい…? なにその言われよう…)
『あぁ、だって。なかなか承諾してくれないって、吾郎さん言ってたぜ? 一緒にいるときはそうでもなさそうに見えたけど、なかなかおねぇも往生際が悪いんだな…』
はは…とから笑いする。
「は? 承諾しなかった…?」
(あたしが?)
わけが解らない。さんざん〈離婚届〉を破り続けてきたのはなんだったのか? やはり自分から突き付けたかっただけなのだろうか。
「ちょっと、吾郎がそう言ったの?」
『そうだけど…? 違うの?』
違うわよ…そう言おうとして言葉を遮られる。
『やっと決心したんだろ、長かったな。ま、どっちでもいいけど、これでお互いすっきりしたよな…』
「まぁ…」
(なに、それ…あたしが悪かったっての? 話が全然見えないんだけど…)
『あ、荷物はテキトーに処分してくれってさ』
「え? なに? そこに吾郎いるの?」
『オレ、仕事中だから…』
「え? あぁ、ごめん…」
『近いうち顔出すよ、じゃ…』
「あ、うん…」
『おねぇ』
「ン…?」
『おめでとう』
「え、? あぁ、ありがとう…?」


まだまだ未熟者ですが、夢に向かって邁進します