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小説『オスカルな女たち』16

第 4 章 『 決 意 』・・・4


     《 女子会 》


』という生き物は、1日24時間、1年365日、いつでもどこでも発情可能で、頭の中はピンク一色、隙あらば女と一発お願いしたい!…と日柄年中考えているものだと思っていた・・・・。

「うちの主人。浮気、してるんじゃないかしら…って思うのよ」
「あら、そんなこと思わせる物的証拠でも見つかりましたの?」
「女のひとりやふたり、いたところでどうだっていうの」
「どうせ、お金目当てじゃないの~?」
そんな簡単なことじゃありませんわっ!
その時、座敷の反対側で鹿威しが「カ、コーン…」と小気味よく響いた。
「ちょっと! おかしいんじゃなくて…?」
聞きなれた声に「まさか?」と吸い寄せられるように案内された離れ座敷の奥を目指し、襖が開かれた途端、思わず荷物を取り落としそうになる玲(あきら)だった。
「皆さまお揃いですよ…」
いそいそと案内された離れ座敷の玄関先で、奇異なやり取りが耳に飛び込んできただけでも驚きなのに、目の前に連なるこの面々はどういうわけか、眉根を歪めて立ち尽くす『高嶺(高値)のオスカル』こと〈水本玲(旧姓:御門)〉。
、さまって…。このメンツ…?)
「あら、玲さん。お待ちしておりましたわ」
そういって立ち上がったのは、たった今「夫が浮気している」と語っていたと思われる和装美人『巻き毛のオスカル』こと〈御門明日香(旧姓:西園寺)〉。ここ割烹料理店「みかど」の若女将であり、奇しくも玲の兄嫁である。
「明日香、さん…? 緊急事態だっていうから来たのに。この展開は…一体なんなの?」
「まぁまぁ、とりあえず座ってらして。上座に…」
そそくさと玲の手荷物を奪い取り、さくさくと床の間を背にお誕生日席に促す。
「そうじゃなくて。…どういうわけなのかって聞いているのよ?」
「どういうって…女子会ですわよ」
ほほ…っとそう笑顔で答え、つい今しがた玲をこの座敷に案内し、襖の脇に控えている仲居に「始めてちょうだいな」と女将よろしく指図する。
「はい。では…」
「全部運んで構わないわ、用があれば鐘を鳴らすから…」
明日香と仲居とのやり取りに、料理が運ばれた後この部屋は隔離されるのだと悟った。離れ座敷には、仲居を呼ぶための釣り鐘式の呼び鈴が玄関口についている。
「女子会…? なんの…?」
訳が分からず無理矢理着座させられる玲は、まったく状況が呑み込めない。
「玲さん、水臭いんじゃないこと? 親友の私たちを差し置いて、一般ピーポーの『オスカル』たちと女子会なさってるっていうじゃない。それなら、本家の女子会があってもおかしくないわよねえ…」
そう涼し気に返すかっちりスーツの父母会スタイルの彼女は、母校の女子大でしっかりと教授を射止め、今や学部長の奥様であらせられる『先見のオスカル』こと〈柳澤桜子(旧姓:新堂)〉。学生時代より幾分ふくよかになり、学部長夫人の貫禄も見事なものだ。
(しん、ゆう? ほん、け?)
ますます理解不能な玲は目を丸くする。
「一般ピーポーって…」
(誰のこと?)
限りなく嫌悪に近い苦笑いで返す玲だが…。
「そうそう。幼馴染の真実(まこと)さんはともかく…まさか『孤高のオスカル』(つかさ)や『おてんばオスカル』(織瀬)とつるんでるなんて、お暇ならお声をかけてくださればいつでも飛んで参りますのに…」
そう仰々しく述べてみせるのは、いかにもインテリ女子が好みそうな黒縁眼鏡にパンツスーツの『快進(回診)のオスカル』こと〈如月遥(きさらぎはるか)〉。彼女は『如月総合病院』のひとり娘で、インターン時代は真実と同じ大学病院で勉学を共にしていた時期がある。こちらは少々ギスギスした感が否めないが、含みのある言い方はむしろ真実に対する皮肉かもしれない。
「そ~よ~。スケジュール調整して駆けつけたんだから…」
派手色で肩の大きく開いたワンピースに、がっつりメイクで火のないタバコを手にするのは『観劇のオスカル』こと女優の〈弥生すみれ(芸名)〉もとい〈花村弥生子(やえこ)〉である。
(あなたまで…?)
ある意味彼女の変貌が一番強烈かもしれない…とひそかに思う玲。
「はあ…?」
(なに勢揃いしてるの? なんなのこの不快な絵図…)
玲は生気を抜かれたような面持ちで、お誕生日席から、同窓会ですら姿を見ないきらびやかな面々を見渡す。
「真実さんにもお声をかけたんですけれど、なんでも出がけに急患が入ったとかで…先ほど連絡がありましたわ。玲さん、ビールでよろしかったのよね?」
まぶしいくらい光沢のある盆の上に伏せられていたピルスナーを返し、既に後方に準備されているキンキンに冷やされた瓶ビールをボトルキャリアから引き抜く明日香。
「マコ? マコにも声をかけたの?」
つい一週間前、会食の席で一緒になった際は神妙な面持ちで「お家の一大事」と言っていた明日香。その時にはそんなことに触れもしなかったではないか。
「当然ですわ。玲さんの幼馴染ですもの…。とても残念がってらしたわ」
慣れた手つきでビールが注がれていく。
(残念?)
「マコ? 聞いてないけど? 急患?」
「ええ。そう聞いておりますわ…」
(本当に連絡したの?)
「それより、緊急事態って…言ってなかったかしら? お家の一大事って…?」
なるべく穏やかに聞いたつもりが、どうにも明日香の気分を害したようで、力強く瓶ビールが卓に打ち付けられた。
「なにを吞気におっしゃってるの、一大事じゃございませんこと…? あなたのお兄様が浮気してるかもしれないんですのよ。お嫁に出ているとはいえあなたは立派な御門家の一員ですし、私の親友なんですもの…!」
声を荒立ててはいるものの、心なしかトーンを抑えているようにも取れる。そんな気を遣うくらいなら場所を変えればいいのに…と、改めて広い座敷を見渡す玲。
「え…っと、親友って…私たちの間にいつそんなカテゴリーが…?」
(明日香に諮られた…? マコ…。さては、知ってて逃げたわね…)
小さく舌打ちをする。
「相変わらず天然ですわね、玲さんは」
ふふっ…と不敵な笑みを浮かべる桜子。
「天然…?」
(この私が? 私は天然だったの? 誰にも言われた覚えないけれど…?)

京野菜 (2)

そうこうしているうちに、次から次と見目麗しいお造りや椀物が運びこまれてきた。すると、火がついてもいないタバコを灰皿に押し付け、 
「とりあえず記念写真撮りましょう、親友の再会に。あ、仲居さんシャッターお願い」
そう言ってタブレットを仲居に手渡す弥生子。
「はぁ? 記念撮影? なんで? いやよ」
(なんなの…? 調子狂うわ。こんなノリの方たちだった?)
「相変わらず写真嫌いね、玲さん」
(…そういう問題じゃ、)
「いいじゃないの、久しぶりなんだから」
「はい、ち~ず~」
逃げ場もなく左右から挟み込まれ、されるがままの玲。
(この人たち、パワーアップしてる…?)
高校時代の暑苦しい記憶がよみがえる。
「今、インスタにはまってるのよ~」
タブレットを受け取り、得意気に画面をタップする女優。
「インスタ…」
(冗談じゃないわ…マコたちが見たらなんていうか…!)
「ちょ…っ」
卓に手を載せ乗り出すものの、
「あら、さすが女優ね」
悠長に答えるも、棘のある言い方をする遥に遮られるようにして体制を戻す。
「でしょ~。フォロワー数もうすぐ100万人越えなのよ~…」
そんな皮肉は慣れっこの弥生子。
「そういうところ、おみごとね」
少なからずそういうものに敏感な桜子が続く。
「そんな。半分はアンチで半分は共演者のおまけ検索よ」
言いながらタブレットをスワイプしていく。
「あら、謙遜なさって…」
小さく明日香が笑う。
玲以外は皆楽しそうだ。
(なぜ? なぜそんなに楽しそうなの…?)
「そんなかわいいものじゃないわ。これは死活問題なのよ」
だが、弥生子にはそれなりの根拠あってのSNS投稿らしい。
「急になに? 死活?」
玲が嘲笑する。
「覚えてる? 第1音楽室の『第九のオスカル』…玲さんは知ってるわよね? 真実さんの引退試合で校歌を独唱した女…」
急に話を振られて戸惑うも、
(第1音楽室…? 以前、どこかで耳にしたような…)
「ほら、七浦(織瀬の旧姓)さんといつも一緒にいた人よ」
(織瀬の…?)
「もしかして…立花(萌絵)さん?」
(マコの熱狂的ファン…だった…?)
「そう! その橘もえ(:芸名)よ。彼女、あの歌声で今やミュージカル女優なんかやってるものだから…! だから応戦。実力で押されたらこっちはけちょんけちょんよ…」
(けちょんけちょん…いつの時代の言葉よ…?)
「なにおっしゃってるの。フォロワー100万人なのでしょ、もう少し自信持ちなさいな女優!」
隣で桜子が肩を叩く。
「私、自分の身の程はわきまえてるつもり。でも負けず嫌いなの、できる限りの悪あがきをするわ…!」
それが個性派女優に甘んじている所以というわけか。
みなそれぞれにいい歳の取り方をしているということらしい。
「…それじゃあ。本題に入りますわよ…!」
一通り料理が運ばれてきたところで、襖をぴしゃりと閉めた若女将(明日香)が口火を切った。
「ちょ、ちょっと待ってよ、本題って。…まさかお兄様の料理をいただきながら、お兄様の浮気の話をするつもり?」
天然はどっちよ…と玲が制する。
「あら。ですから、離れに通したんじゃないですか」
「あら、じゃないわ。そういう問題じゃないでしょう」
ざっと20人は入る座敷に、6人分程度の座卓がひとつ、船盛まで運ばれてきている料理は明らかに5人じゃ余る量…そんな光景を目の前にどんな〈女子会〉を繰り広げようというのか。
(秘密にしたいなら、ホームは駄目でしょう…?)
「なんでもいいのよ、集まる理由が欲しかったんでしょ…」
戸惑う玲に、弥生子が満足そうにタブレットを眺めながら話した。
「観念なさいな。一番近くにいる明日香が、一番羨ましがってたのよ。あなたたち4人のこと…」
そう桜子に諭される形で玲は大きくため息をついた。
(羨ましいって…)
「そういう問題?」
「そういう問題よ」
玲の右手に桜子と弥生子、左手には明日香と遥が連なる。お誕生席に座る玲に、両側から4人の視線が鋭く集中する。
(女子会って…。ただ集まればいいって話じゃないと思うけれど…)
「ま、まぁ、いいわ…」
ここまでお膳立てされちゃ観念せざるを得ない。
(やだ、私押されてる? 友達でもないこの人たちに。…さっさと、切り上げて帰ろう…)
ひとまずビールを飲み干す玲。これは飲まずに相手はできない。
「…で、浮気してるって? 根拠はあるの?」
改めて本題に質す。
「そうそう、なにか見つけてしまったんですの?」
上品にお造りを口に運ぶ桜子。
「そうではなくて…」
話題を持ち掛けた割に口ごもる明日香。
「なに? 興信所にでも頼んだわけ?」
その手の話題には一番敏感な弥生子。
「…」
「え? なに?」
隣にいる遥にも聞こえないような声で話す明日香。
「…です…の」
「え? なんて?」
桜子が食い下がる。
「…ない、んです、の」
「…なにがよ?」
食前酒を空けていく弥生子。
「ほら、あれですわ。…夫婦の、大事な…」
「まさか、明日香さん。レスだって言いたいの? よ…」
夜が…と言いかける桜子。
「そ、そうですわ。それです…!」
両の拳を膝の上で固く握りしめる。
(ここもか…)
なんとなく想像はついたものの、玲は口にするのをはばかるどころか呆れ顔だ。
「夜がないから浮気してるって?…言ってる?」
(すごい極論。織瀬の方がまだ大人だったわね…)
明日香の顔を覗き込む。
「だって、おかしいじゃないですか…」
顔を真っ赤にしてうつむく。
(やだ、かわいい反応…)
「お兄様には? 聞いてみたの?」
「そんなことっ…聞けませんわ…」
恥ずかしまぎれか、容赦なく玲にビールを注ぎ続ける明日香。
(まぁ…そうよね…)
「なに、カマトトぶってるのよ。女子高生じゃあるまいし…」
そういう弥生子の手元には、いつの間にかワインボトルが置かれていた。
(ていうか、なんだか…人格変わってない? 弥生子さん…それともキャラ?)
芸能界というところは人の性格までも左右するものか…と目を見張る。それとも、女優だけに演技なのだろうか?
そもそもここにいる4人は皆、集まりたくて集まっているのだろうか。それとも昔のように…? それぞれ皆しかるべき地位にいながらまだなにか探ろうとしてる?
(まさか、ね…でも、)

・・・・読めない…!

警戒しすぎ、なのだろうか。
「そんな言い方なさらないで…。私、幼いころからずっと聖(ひじり)様だけだったんですもの…」
顔を真っ赤にしてうつむく明日香。
「そうね…明日香さんは社交界デビューもせずに押しかけ女房ですものねぇ…」
しみじみと且つ意味深に語る桜子。
そう、上流階級だからと言って私生活まで上品で楚々としているわけではない。そこは人類皆平等、程度はどうあれ同じように朝を迎えれば、同じように働き、同じように食事をし、排泄だってするのだ。ただ少しだけ、常識はずれな環境にいて数字の桁が違うだけ、ただそれだけだ。
「よくもまぁひとりの人を追っかけたものね…」
自身には考えられない…とさくさくと船盛の彩を変えていく遥。
「そんなこと言われましても…ワタクシ…」
ますます顔を赤らめ、声が小さくなっていく明日香。
明日香の実家は老舗の和菓子屋だ。桜子のように親が外資系であったり、遥のようにお忍びで著名人が出入りしたりと、仕事の幅が海外まで伸びているのであれば、少なからずそれ相応の社交界デビューも辞さないもの。海外に行けば挨拶程度のキスやハグは当たり前、むしろそういう挨拶を器用にこなせてこそのご令嬢。用意されたレールを歩いていくにも、並大抵の精神修行ではついていけない部分もあるのだ。グローバルな付き合いをこなすには人一倍旺盛な好奇心と、清水の舞台から飛び降りる程度の勇気が必要な場面にも多々遭遇するというわけである。自由に動ける一般人より、むしろ不自由が多い自分たちの方が経験豊富なこともあるのだ。

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「だってお兄様42でしょ…減退する人もいるんじゃ、ないの…?」
世間一般がどうなのかは知る由もないが、そうなくもない話だろう。現にもっと若い織瀬の夫もそのカテゴリー内の人種らしいと聞き及んだばかりだ。
「そんな玲さん。玲さんの旦那様は、そうじゃないから赤ちゃんだっておできになったのでしょう?」
(またか…)
「多少無計画かもしれないけれど、私を引き合いに出さないで」
ここで〈第2の思春期〉が発動するのかと、玲はエステでの噂話を思い出す。これが「時に周りから見たら奇行な行動~」に移る前の段階…というわけかと、ひとり納得して明日香を見る。
(ま、明日香が浮気に走ることはないでしょうけど…)
「もうひとり子どもが欲しいってこと? 女の子…とか」
明日香には小学5年生の〈貢(つぐみ)〉と、小学4年生の〈中(かなめ)〉という年子の息子がいる。
「そういうわけじゃありませんけれど…」
「子どもができるようなこと、なさりたいだけよね~」
いたずらに明日香をあおる遥。
「そんな意地の悪い言い方なさらないで…!」
とうとう顔を覆ってしまう。
「お上品に言ってたって、結局そういうことでしょう」
自分には関係ないとばかりに手元の料理を次々ときれいに片づけていく遥。その姿がなんとなく真実を彷彿とさせる。医師という職種はそんなにも肉食系女子を作り上げるものなのだろうか、と。
ほほほ…と上品に笑っていても、話す内容は上品とは程遠い。それが人間、これが現実なのだ。
「ねぇ玲さん、聖様に聞いてみて…」
「いやよ、そんなの。というより私、お兄様たちとそんな赤裸々な会話どころか、世間話だってしたことないのに…。知ってるでしょう? 私の待遇…」
手広い家業を担う男社会の御門家での玲の立ち位置は「お飾り令嬢」。なんの役にも立たない、家政婦以下だ。事実、家出騒動以降、冠婚葬祭でもなければ実家を出入りするようなこともないに等しい。すべて体裁のためのついでに過ぎない。今日ここへ来るまでも随分と悩んだくらいなのだ。
「先週の会食だって、明日香さんの方が親しげだったじゃないの」
「それとこれとは違いますわ。兄妹ですもの」
「あのね、明日香さん。兄妹だからって、男と女よ? そんな会話、世間話のようにできるわけがないでしょう?」
「確かに、それが出来たら家出なんてややこしいことしないわねぇ…」
それは遠い過去のこと「若気の至り」が輝かしい10代の小娘のかわいい思い出だ。遥としては何気ないつもりだろうが、充分玲には皮肉に聞こえる。
(あら、言うわね…)
「男の方って、いつもそういうこと考えてらっしゃるものだと思ってましたから…」
明日香がひとりごとのようにぽつりと言った。
(開花しちゃったのねぇ…明日香も、)
ふと、自分が初めて鞭を握った夜がよみがえり口元で小さく笑った。
「思春期の子供じゃあるまいし…」
弥生子が失笑する。
「あら、聖さんはなかなか男らしいのね…」
ふふふ…といたずらに笑う遥。
「やめてよ…!」
聞きたくない、と玲が鋭い視線を送る。
(なんなの…遠慮のない…)
でも、楽しい…?

海鮮丼

「そういえば私たちの年齢って、『第2の思春期』っていうらしいですわ。仕事と家庭と子どもから解放されて…これからの『人生をどう生きるか』って考え直す分岐点らしいですわよ。…抱えてるものが多すぎるのね」
もっともらしいことを言ったのは、ただいまお子さまのお受験に日々を費やしている学部長夫人の桜子だった。
(どこかで聞いたことのあるフレーズ…)
玲はおかしくて仕方がなかった。
「草食っていうのかしらね?…今でこそそんな言葉で表現されていますけれど、10人が10人、100人が100人、マニュアル通りの殿方なんていらっしゃらないものよ、明日香さん。ダメな殿方は最初からダメですし、もちろん途中からそうなってしまう方もいらっしゃるでしょうし…」
女だって…と続けようとしたが、あえて桜子は話を止めた。言葉は上品だが、語られる言葉はなかなか苦々しい。カッコつけていても所詮は肉欲の園、想像の先に自分を結び付けられては…と躊躇したのだろう。
それにしたって…と、納得がいかない明日香に、
「そもそも聞いてみたの? なぜ狼になれないのか…」
ニヤニヤと、お嬢様らしからぬ笑みを浮かべて遥が問う。
「そんなこと…女の口から聞けるわけがないですわ!」
こちらはいかにもお嬢様らしい反応の明日香。
「夫婦なんだから、ぶっちゃけちゃえばいいのに…!」
口いっぱいに頬張る遥が、だんだんに真実と重なる。
「夫婦だからって、夫婦だからこそ、言えないことだってあるじゃないですか…」
「別に、『なんで襲ってこないのか』って聞けって言ってるわけじゃないわよ」
まったく不器用ね…と、弥生子が呆れた物言いをする。
「思い切って聞いてみるのもよろしいかも? 若い頃のようにいかないのは男も女も一緒だと思いますわ。そっちの相性だって、必ずしも合致するとは限らないでしょうし、みんなどこかで妥協してるものじゃないのかしら?」
女の事情を無防備にさらけ出せないように、男にも口には出せないやんごとなき事情があるのだと語る桜子は、まるで自分はそれを乗り越えてきたんだといわんばかりだ。
「桜子さんの旦那様、いくつ上だった?」
思い出したように弥生子が問う。
「うちは14ですわね。だから当然のようにまったく触れられもしないわ。むしろ私は、静かな夜に感謝しているくらいですけれどね…」
言い殴りビールグラスを煽る桜子は、負け惜しみを言っているようにも見て取れるが、そう軽く「なんでもないことだ」と言うことで、自分の夫婦事情も明日香と大差ない…とさりげなく臭わせたようだった。
「明日香さんとは逆に、いやいや相手なさってる奥方だって世の中にはたくさんいるってことですのよ…」
その代わりというわけではないだろうが、今はすっかりひとり娘〈紫子(ゆかりこ)〉のお受験に必死の桜子だ。
「そうなんですの…?」
「浮気されてるなら、明日香も浮気すればいいのよ…。言い寄ってくる男がいないわけじゃないでしょう?」
しれっとそんなことを言うのは昔も今も「来る者は拒まず、去る者は追わず」を貫く肉食系女子の遥。
「わ、わたくしは、そんなに簡単なお話じゃないんですのよ…!」
「お嬢の明日香には無理よね~」
そうは言っても、少なからずここにいる5人は全員お嬢様だ。
(なんなの? このやり取り…)
傍観を決め込んだ玲にはデジャブのように思えてならない。
「とりあえず、ぶつかってみたら? 旦那様なんだし、ほんとに浮気してるって解ってからでも騒げるわよ」
半ば面白がっている遥。
「今までうまくいってたんでしょう…なにかあるなら向こうから言ってくるわよ。まぁ浮気じゃそれも難しいのかもしれないけれど…でも、みんながみんな狼じゃないってことがわかったでしょ」
それを「理性」という仮面で隠し、人格を持った「本能」が滲み出ないよう必死になって隙間を埋めている。
「それは花村弥生子としての意見? それとも弥生すみれとしての経験値かしら?」
それまで黙って聞いていた玲が、珍しく切り込んだ言い方をした。
「最近、なんとかっていう有名な監督と噂になってるみたいじゃない?」
(女は男で変わるってことかしら…?)
今日はなぜか、弥生子の行動のひとつひとつが目の端にちらついて仕方がない玲。
そんな弥生子は一瞬動きを止めるが、営業スマイルよろしく、
「番宣よ~。あんなお年寄りでも、もっと若い子がいいものなのよ」
そう言ってグラスにワインを注ぎ足した。
「弥生すみれの相手はいつもタイプが違うけれど…本当は誰が本命なの?」
相変わらず遥は、男の話になると食いつきがいい。
「全部。…かもしれないし、誰でもないかもしれない」
「そんなところまで女優ですのね~。うまい逃げ方…」
「そんなんじゃないわ」
そう口ごもる弥生子に、
「意外に一途だったり…ね」
最後に玲がひとりごとのようにつぶやいた。

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「そういう玲さんの夫婦円満の秘訣はなんですの?」
「え…?」 
(そこで私に振る…?)
突然桜子に振られ、問われて玲の頭にはあの秘密の「赤い部屋」が浮かぶ。が、真実にも言っていないそんなプライベートをこの場で披露できるわけもない。
「そうですわ、5人の子宝に恵まれ…。朝も昼も夜も愛されていらっしゃるのでしょう?」
「明日香さん…露骨すぎるわ」
ここは黙ってやり過ごしたいところだが、好き勝手にイメージづけられるのも困りものだ。
「コミュニケーション…じゃないかしら? 夜に限らず」
余計な突込みをされないよう玲は、そう牽制する。
「満たされてらっしゃるのね…」
そう言う明日香には、確かに「一大事」なのかもしれない、と玲は思った。
「とりあえず、シャンプー変えてみたら?」
「え?…それだけでよろしいの?」
(むしろそこが重要だと思うわ…)
玲は高校時代から明日香の使っているシャンプーの香りが嫌いだった。20年たった今でも相変わらずのシャンプーの香りに、つかさが「織瀬の日々の努力」の話をしていたことを思い出し、
「あなたが夜のお勤めがないことでお兄様の浮気を疑うなら、お兄様にもそういう気分を味合わせたらよろしいのよ。自分の妻がいつもと違う行動をとったら、少なからず動揺するんじゃないかしら? 今のあなたのように…」
そう付け加えた。
「それはいいかもしれないわね。後ろめたい気持ちがあればなにも言ってこないかもしれないけれど、問いただせないのなら行動で示してみたらよろしいんじゃないかしら? もっとも、うちの主人みたいに気づかない方もいるでしょうけど…聖さんは料理人だから、鼻が利くんじゃないかしら?」
それに関しては思うところがあるような、そんな雰囲気の桜子が続いた。
「そう、ですわね。そうしてみようかしら…」
明日香に笑顔が戻る。
「ねえ、弥生子さんはともかく、遥さんはなんで結婚なさらないんですの? 跡継ぎ問題とか、いろいろとありますでしょうに…」
そう言ってすっかり料理に夢中の向かい側の遥を見る桜子。
「ご心配どうも…。私はそう、ねぇ…考えたこともないわ。…仕事柄、ひとりに固執するなんて考えられない。…いろんな患者がいるのよ、いろんな男で解消されたい」
「ま、いいますわね」
「相変わらずお盛んなのね~」
それは弥生子の皮肉であったが、遥にはまるで通じてないらしい。
「真実さんだって、そうじゃないの?」
言われて遥は、真実も自分と同等ではないのかと玲を見遣る。
「マコ? マコはとりあえず、娘がいるしね…」
「結局離婚してるじゃない…?」
「まぁ、それはそうだけれど…」
(気が多いのも職種なのかしら…?)
そういう意味では、あるいは? 真実もまた違った意味で肉食なのではないか…と思いを巡らせる。が、そんな玲をよそに、楽天的な遥はあっけらかんとしたものだ。
「妊娠したら、考えるわ。まだ縛られたくないし」
言いながらビールを飲み干した。
「気楽なものね…」
「その歳でできちゃった婚?」
なにを期待して…と弥生子が問えば、
「あら、結婚するかはまた別問題よ」
なにを考えているのか、遥の返事はまったく的を射ないものだった。
「ねぇ、玲さん。あちらの方々とはどんな話をなさるの?」
先見のオスカル』の桜子は、相変わらず噂話が好きだ。「明日香が羨ましがっている」と言っているわりに、自身もその動向が気になって仕方がないのだ。
「あちら?」
なんとなく想像はつくが、ここはお茶を濁したいところ。
「真実さんたちとの女子会のことですわ」
「別に…他愛もない話よ」
(そもそも女子会のつもりもなかったし)
微妙な苦笑いで答える玲。
「他愛もなかったらそうしょっちゅうお会いにならないでしょう?」
そこは明日香も気になるところ。だが、
「他愛がないからそうしょっちゅう会えるのよ。だいたいこんな濃厚なお話…」
(言えない…同じようなものだなんて…)
作り笑顔を崩せない玲は「早く帰りたい」と思うばかりだった。
「結局私たち、安全なところにいる…ってことかしら…」
軽やかにコロコロと笑いあう彼女たちは、もう自分にかしずく理由もないのに未だにこうして繋がりを大事にしようとする。本当に「親友」だと思っていたのだろうか…と、玲は少し考えを改めるべきかと考えさせられる夜だった。

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「また、お会いしましょうね…」
「楽しかったわ」
帰り際、最後まで玄関を発たなかった弥生子が玲を小さく呼び止めた。
「玲さん。ちょっと…いいかしら」
「なにかしら?」
「真実さん、その…。家業を継がれたのよね?」
「…え? 産婦人科医をやってるかってこと?」
「ええ、そう…」
「ええ。今じゃ立派な院長様よ」
したたか飲みすぎたであろうか、ヒールに通す足がおぼつかない玲。
「そう…」
それゆえ、意味深にうなずく弥生子の様子など気に留める余裕もなかった。












まだまだ未熟者ですが、夢に向かって邁進します