ガラスのハート

壊れる時 前編

もう限界だった。
買ってもらった新しい服を見せに、義母の仕事場に嬉しそうに駆け出していった娘が泣きながら戻ってきた時、腹立たしさと情けなさで胸がいっぱいになった。私はもう、ここが限界だった。

かねてより義母は、私が自分の実家を行き来することを快く思っていなかった。義母には義母なりの憤りがあった。そんなことは承知の上で、私はそんなことは介さず、夫のいる週末は家族3人で実家に帰っていた。

そして、義母はうまく爆発してくれたのだ。

 かえれ! もうあっちのこどもになればいい!

義母は、そう娘に怒鳴った。
娘の服を褒めることなく、私の実家の子どもになればいいと大声で突き放した。確かに、その服はわたしの実家の母親が娘に買ってくれたものだった。
もう限界・・・・
私は娘を抱き寄せながら、すぐさま隣に立ち尽くす夫を見た。
「もう、家を出よう」
当然だ。自分の母親の暴言を目の当たりにしたのだ。当然の言葉とわたしは受け止め、そしてひっそりと心の中でほくそ笑んだ。だが、そんな素振りはみじんも見せてはいけない。今まで我慢してきたのだ。あと一歩。このすさんだ嫁ぎ先を出て行くまであと一歩、慎重に事を運ばなければならない。
私の意志ではなく、夫の意志で出て行くのだ。
「ほんとにいいの? だって、あなた長男だし…反対されるんじゃ…」
心の中の汚い部分に蓋をして、上っ面だけの世間体を気にしたような言葉を述べる。
「反対されないよう、出て行く当日まで黙ってる」
なるほど。それはいい考えだ。なかなかこの男も考えているではないか。
「本当にいいの? 後悔しない?」
私は聖母のようなまなざしで、申し訳なさそうな顔をして追い打ちをかける。その決心が鈍らないように・・・・

心の中に多少の罪悪感はあった。
結婚するときは「なんとかなる」と思っていた、夫の家族との同居。だが、家庭環境の違いや、生活環境の違いは、私をすさんだ人間にするには充分なくらいの要素を孕んでいた。
「子どもにとって最初の教科書は母親だ」
だから、仕事をせずに子育てに専念してほしい…プロポーズの次に夫が言った言葉だった。それも含め、私は家族に受け入れてもらえるものと思っていた。だが、仕事もせず専業主婦をすることは、嫁ぎ先では「ただ飯食いの遊び人」という解釈だった。

兼業農家の嫁ぎ先は、当然のことながら朝・昼・晩と食事を共にする。早朝から畑仕事に出かけて行く義父母のために朝食を作り、夫と、まだ学生だった弟の弁当を作り、数時間後にはまた昼食を作る。夜は暗くなるまで仕事をしてくる義父母のために時間を見計らって夕食を作り、遅れて帰る夫、弟の夕飯を作る。数々の行事の際には早朝から客にふるまうため、大鍋で料理を作る。一日のほとんどが台所だった。祝日が一番嫌いな日になった。お正月でさえ早朝から台所に立った。
若い私はまだ料理が拙い。にも拘らず、義母は「台所に女はふたりいらない」と手を貸してくれることはなく、食事の際にはことごとくダメ出しをされた。
財布を預けられていない私は冷蔵庫の中のもので日々を賄わなければならない。「味噌汁にだしが入ると体調が悪くなる」「油モノばかり食べさせられて胃もたれがする」挙句、機嫌が悪いと私の作った料理は横にはねられ、せっせと自分で作って身内で団らん。私と夫の家族との間に会話はなかった。

唯一孫はかわいがってくれた。だが、私が台所に立っている間に乳飲み子を畑に連れて行ったり、長時間車で連れまわしたりした。それも、私に断りもなく黙って連れて行くのだ。しばしば私は娘を探して慌てた。
そうして、おしめが濡れたり、お腹が空くと玄関先の床板の上に娘を寝かせて置いておくのだ。まるでぬいぐるみか、ペットのように・・・・
そんな時、私は泣きながらおしめを替えた。泣きながら痛む胸を押さえ、おっぱいを与えた。

ある時、早朝から夕方まで娘が帰ってこないことがあった。
私は仕事中の夫に電話をし「あなたの両親は誘拐犯ですか!」と訴えた。散々やきもきした挙句に帰ってきた娘は、泣き疲れて寝てはいるものの、おしめは重く、うんちでお尻がかぶれていた。自分も子育てをしたことのある母親なら、どこかでおしめを買うなりして交換することもできただろうに、「おしめは自分の子どもで充分経験した」と、普段から腰に手をかけることすらしなかった。とにかく、限界だったのだ。

「もう、家を出よう」
待ちに待った夫の言葉だった。心でガッツポーズをとった。
その日から私は速やかに荷造りを始めた。ばれないように音を立てずに、ひっそりと、そして笑顔で。だが、「悪いことをしている」ような気分がいつまでも私を苦しめた。私は胃痛を伴いながら、その気持ちに無理矢理蓋をした。気づかないふりをした。
引っ越しは夫と夫の弟と私の3人だけで行うしかない。ゆえに荷物は、とにかく持ち運びやすいように、服は全部ボストンバッグに詰め、本の類は段ボール、そして塵一つ残さず、まるでここには存在しなかったかのように出て行こうと心に決めていた。二度と帰ってこないつもりで。

月曜日・・・夫は不動産を営む先輩に連絡を取る
火曜日・・・夫が帰ってから遅くに物件を見に行く
水曜日・・・夫と物件の検討
木曜日・・・賃貸契約
金曜日・・・夫の弟に話の流れを話し土日で引っ越しをする旨を伝える
土曜日・・・手に持てるだけの荷物を持って簡易的に引っ越し
日曜日・・・義父母に家を出る旨を伝え、大物の運びだし

こうして夜逃げのような引っ越しは一週間で行われた。

日曜日の朝、早朝の仕事から帰った義父母を捕まえ、家を出る旨を伝えた。義母はすぐさま私にきつい目を向けた。「おまえのしわざか!」と。
前週末に孫に怒鳴りつけた義母は、激しく夫の怒りを買い、この一週間口を利かずにいたため、あれこれと文句を言うこともできずにいた。だが、夫はそのことには言及せず「社会勉強させてください」と頭を下げ、これまた親孝行マルだしなセリフを吐いて承諾を得ようとした。
馬鹿な男・・・・
この期に及んでなにを…と私は思ったが、そこはぐっと抑え込み、これまでの我慢を隠してひたすら申し訳なさそうな表情を貫いた。義父がひとことふたこと有り体の言葉をかけ引き留めようとしたが、賃貸契約も済み、荷物を運び込むだけだと知ると、夫の意志が固いことに観念し義父母はあっけにとられたまま承諾をせざるを得なかった。

厄介だったのは義祖父母だった。義祖母は挨拶をしに行った私の顔を見ようともせず、涙をこらえながら「オレの孫を奪うのか」と言い、義祖父は「どうせすぐ戻ってくる。好きなだけわがまましたらいい」とすぐに戻ることを示唆した。私はうつむいたまま嘲笑し、

絶対戻ってくるもんかっ!

と、殊勝に「今までお世話になりました」と、世話になってもいない相手に頭を下げながら、私の頭の中は勝ち誇っていた。

まだまだ未熟者ですが、夢に向かって邁進します