ガラスのハート

小説『オスカルな女たち』 23

第 6 章 『 啓 示 』・・・3


    《 硝子の心 》


『ガラスのハート』…などとよくたとえて言うものだが
本当に💛〈心〉がガラスだったなら
割れたハートの欠片はどこに行ってしまうのだろうか…

そのまま胸のあたりに突き刺さり
ずっと痛みを抱えたままになるのじゃないだろうか・・・・

と、考えた。

欠片が刺さったまま傷が癒えることがなかったら
どうなってしまうのだろう

突き刺さったままずっとシクシクと疼いたままだろうか
それとも時間が癒してくれるのだろうか
壊れたハートは時間がたてば消えてなくなるのだろうか
傷くらいは残るだろうか

ひとつが壊れたら新しいハートが生まれてくるのだろうか
それとも修復可能なのだろうかと
割れもしない強靭な自分のハートを棚に上げて考えてみる

ガラスが割れたら
あるいは折れた骨のように強固になって再生するのかもしれない

もしかしたらガラスじゃないなにかに生まれ変わって
新しくなるのかもしれない


今は、そう思いたい・・・・。

気持ちが満たされていても、それが最良の状態だとはいいがたい。
それは本当に満たされているのか、それとも気持ちがいっぱいいっぱいで抱えきれていないのか。
抱えきれていないとすれば、逆にそれによってハートが割れてしまうことがあるかもしれない。
満たされている(はずな)のに割れてしまうハートは、キャパオーバーということになるのだろうか…。

夜景2

「…あぁ、誰かあたしを2次元に閉じ込めて! そしたら素敵な王子様と何度でもハッピーエンドになれるのに…!」
蒸し暑い夜の公園の片隅で、両手を残念な曇り空に伸ばしてみせる。
「やだ、つかさ。ついに壊れた?」
くるりとターンして自分の両肩を抱きしめるつかさの、いたずらな目を見て苦笑いする織瀬(おりせ)。
このところ早い時間に家に帰りたくないらしい織瀬は、なにかと理由をつけてはつかさのトリミングサロンに顔を出していた。今夜は「焼き鳥が食べたい」と言い、近くの居酒屋を訪れた後の光景だった。
「壊れた、壊れた。…だって、既に破綻した婚姻関係のために操を立ててるなんて、なんだかおかしな話だと思わない?」
いい加減、疲れるのよね…と珍しく酔ったのか、店を出てから上機嫌のつかさはそう言って、なんとなく立ち寄った公園半ばで足を止め、織瀬を振り返った。
「まぁ…。そうかもしれないけど」
自身に起きた大きな変動を、未だ伝えられない織瀬は無意識に言葉を濁し、足元に視線を落として答えた。
「ね、おりちゃん」
つかさは腕を下ろし、歩幅の小さくなった織瀬から目を離さずに畳みかけるように呼び掛けた。
「なに?」
自分のヒールの先を見つめていた織瀬はついと顔を上げた。
「なんかあった?」
居酒屋にいる間中、とりとめのない話をさも楽し気に話し続けていた織瀬が、今は溜め息さえ聞こえないほど静まり返っている。言いたいことがあるのに、言えないままやり過ごしているのだろうとつかさは察したのだ。
「え?」
考え事をしているのか、それともなにも考えられずにいたのか、いきなりの核心をついた問いかけに動きが止まったのか。それと同時に周りの空気もピンと張りつめたように、織瀬の表情と一緒に緊迫した静寂に包まれた。
「最近、ずっと元気ないしさ。ここ数日、家に帰りたくないみたいだから…」
途端に織瀬の表情が曇る。月明りもない暗がりで、はっきりとは見て取れないが明らかに顔色が変わったと伺えた。
「あ…」
言葉に詰まりうつむく織瀬。
(見てられないよ…)
いつからそんな、泣いてるみたいな笑顔をするようになったのか。
「えっと。…そう、だよね。わかっちゃうよね、やっぱり」
「うん、わかっちゃった」
オウム返しに応えおどけた言い方をしてみても、事態が深刻なことが解るだけにただ微笑み返すことしかできないつかさ。
「ごめんね、迷惑だよね」
ゆっくりとつかさに向かって歩を進める織瀬。
「そんなことはないけど…このままってわけにはいかないでしょ…?」
本当は黙ってやり過ごしてやるべきところなのかもしれない。が、
(もしかして…誕生日もひとりきりで…?)
自分の中に次から次へと湧いてくる不穏な疑問にも限界だった。
織瀬の足取りを確認するかのように、つかさは目についたブランコに向かって歩みを再開した。
「そう、だよね…。拗ねてるみたいよね…」
つかさの背中を追いながら、気まずさを隠せない織瀬もブランコに足を向けた。
「拗ねてるの?」
(その顔が、拗ねる程度なの…?)
ブランコのチェーンをつかんで織瀬を見遣る。
「ン~。そうかも…」
「誕生日はどうだった?」
あえて〈結婚記念日〉の話題は避けたつかさ。
「ふたりで、過ごしたんでしょ?」
織瀬の誕生日は7月27日、週末は食事の誘いの連絡もなかった。せめてその日くらいは今のような表情ではなかったのだと、夫婦ふたりで仲良く過ごしていたのだと思いたいつかさ。
「その日は、ちょきとゆっくりできたよ」
(え…?)
「幸(ゆき)…忘れてた、みたい」
「そんな…」
「ひどいよねぇ…。でも、もしかしたら…避けられてるのかも…?」
口元で笑って、勢いよく持ち手をつかんでブランコに座った。
「避けられてる?」
「うん…もしくは嫌われてる?」
次いで、隣のブランコに腰掛けるつかさを確認し、
「実はね…こないだの結婚記念日の日…」
と、ブランコのチェーンを強く握りしめ、織瀬は重い口を開いた。
「うん…?」
「思い切って聞いてみたの、幸に。なんで、あたしを『抱かないのか』…って」
一瞬ぎょっとしたつかさだったが、肩を落としたままの織瀬の様子からなんとなくその答えを読み取った。
「それで…?」
その答えを、織瀬の口から引き出すのは酷だと思いながらも、他に言葉の見つからないつかさは静かにその時を待つしかなかった。
「な~んにも」
空を見上げて笑顔を作って見せるも、織瀬の表情は今にも泣きそうで、なにかを堪えるようにしばらく沈黙したのち、深い溜息とともに肩を落として続けた。
「子どもは嫌いじゃないっていうの…」
「うん」
「あたしのことも『愛してる…』って」
「うん…」
「子どもが欲しいって言った。それは、いつも言ってたことだけど…」
「うん…?」
「でも、子どものことは『考えてみよう』って言われただけ。あらためて」
「うん」
織瀬は悲痛な面持ちでつかさの顔を見「あらためて」と再度つぶやき、
「…考えるってなに?」
ぶつけどころのない感情を必死に抑え込んでいるようだった。
(織瀬…)
自分は今、どんな顔をして織瀬を見ているのか。哀れんだ目をしていないことだけを祈るつかさだった。
「今さら考えてからじゃないとっ…考えないと、できないの?」
そう言って力なく、再び顔を伏せた。言葉にするのもつらいのだろう。
「おりちゃん…」
「子どもが欲しいって言ったのは、その裏側にある本音を知ってほしいから…」
「うん。…そうだよね」
「口に出せない自分が悪いけど…」
「そんなこと…!」
ただ聞いてやることしかできない自分がもどかしい。
「でも気づかない。あたしの言い方が悪いのか、気づかない振りなのか、本当は子どもが欲しくないのか…でもほんとはそんなことじゃない、そんなことが聞きたいんじゃない。それ以前の問題。…でしょ? 子どもは欲しいけど、もう、子どもだけじゃない…! あたしはただ…! ただ…」
 愛してほしい・・・・。
 消え入りそうな声で、そう言ってこみあげてくる嗚咽を苦しそうにこらえて空を見た。まるであふれそうな涙を、目の奥に押し戻そうとしているかのように。
「おりちゃん。我慢しなくていいよ…」
「…うっ…、ぅ、ん…」
あたしがおかしいの?…そう言って涙を流した。まるでそこに星が落ちたのかと錯覚するほどに、大きな粒が光ってこぼれた。
織瀬がどんな思いで夫に切り出したのか、心中計り知れないが、目の前の姿を見る限りただ抱きしめずにはいられないつかさだった。
「つかさぁ…あたしが望んでることは、そんなに難しいことなの?」
「織瀬…」
立ち上がり、織瀬を後ろからブランコごと抱き寄せる。
小さく震える、固くこわばった肩が「さみしい」と言っているようだった。
「…ごめんっ、ね…」
その言葉にただかぶりを振るつかさ。
「なんで謝るの? いいよ、いくらでもつきあうよ!」
自分の腕の中で震える織瀬に、そんな言葉しか言えない自分が情けなかった。
「つかさは、あたしのこと抱きしめてくれる、のね…」
「あたりまえじゃない」
「あたし、きもちわるくない?」
「怒るよ…!」
「ふふふ…冗談」
そう言って織瀬は、つかさの腕の中で声を詰まらせて泣いた。
「おりちゃん…」
(強がらないで…)
ブランコのチェーンをどれほど強く握っているのか、うっすらと白くなった織瀬の手の甲を見つめる。その指にあるはずのものがないことに気づいても、かける言葉もなかった。
(諦めた、のね…)

ガラスのハートは割れなくとも、傷つくだけでも痛いのだ。

さざれ

ガラスが割れたら、破片が残る
破片は胸に突き刺さり痛みを残すが
ふたたび💛〈心〉を取り戻そうと
新たなハートを作り上げようとあがいて破片を飲み込むのだ

ガラスの破片に「情愛」というあたたかな感情が注入されていく
〈心〉が自ら癒えようと、新しい愛のカタチを育むために…

だが

傷つけられただけのハートは新たな愛を受け入れられるだろうか
自ら努めて
新たな愛を求めることができるのだろうか・・・・

(せめて、破片が刺さらずにさらさらと流れてしまえばいいのにね…)
せめて織瀬の心に破片が残りませんように…。

翌日は織瀬の固定休である水曜日。明日の約束はしていないが、果たして織瀬は休日をどのように過ごすつもりでいるのか…だが、今の織瀬にそんなことを聞けるわけもなく、腕の中に震える織瀬の感触を残したまま、その夜は別れた・・・・。

画像2

「玲(あきら)は主婦で、いい母ちゃんだったってことだ…」
同じ週の金曜日、3週間ぶりの『kyss(シュス)』で丸テーブルを3人で囲むのは玲の家出騒動以来だった。
「そう、家出。結局なんだったの?」
席に着くなり、待ち構えていたように語る真実(まこと)の言葉に、つかさは当然の返しをした。
「娘とケンカしたんだってよ」
くだらないだろ…そう笑いながらも真実は、同じ娘を持つ身として思うところがあるのか、それ以上余計なことは言わなかった。 
あのあと玲は、あまりの退屈さに自分から折れて自宅に帰ったらしいことを、ふたりはたった今聞かされたばかりだった。ゆえにしばらく玲は「外出を控える」と、今日の参加を遠慮した。
「へぇ、珍しいこともあるもんね」
答えながらつかさは、チラリと先に到着していた織瀬に目を移した。
「玲もケンカなんかするのね…それより、ホテルはどうだったの? スウィート」
いつも冷静なのに…と話す、織瀬と顔を合わせるのは焼き鳥屋に誘われた火曜以来だったが、思いのほか沈んではいない様子につかさはひとまず安堵し、話の調子を合わせた。
「そうそ。スウィート」
「べつに…。女子力の低いあたしには勿体ないおもてなし…とだけ言っておくよ」
と、本音はバラ風呂と花柄ベッドにうんざりだった…とは言いたくない真実。
結局、玲がスウィートに泊まったのも、真実と過ごしたその夜だけだったようだ。
「それが感想?」
当然別な答えを期待していた織瀬が、いかにも真実らしい返事に笑った。
「もう、まこちゃんは…」
「だろ? 玲もそういう反応してたよ」
想定内とばかりに話す真実は、それ以上話はないといった様子で、
「しかし、案外簡単だったな…そっち」
取り皿に〈ナッツと生ハムのサラダ〉を取り分けながら、つかさの離婚に対し「拍子抜け…」とばかりに不服そうな顔を隠さない真実。
つかさがずっと「離婚したい」と言っていながら、実際それほど現実に近い問題だとも思っていなかったせいか、意外に早く訪れたその日を素直に受け入れるのが面白くないようだった。
「そう。びっくりよ…こんなに簡単なんだったら、もっと早く髪切ればよかった」
3週間前の自宅でのやり取りを思い返しながら、つかさは豪快にワイングラスを傾ける。
「え? 髪のせいなの?」
更に半信半疑の真実に「さぁ…」と思わせぶりに答えるつかさ。
「吾郎さんには、簡単じゃなかったのかもよ…」
これまでのやり取りの一部始終を知っている織瀬は、同じく現状に慣れない様子で、まだまだ「油断禁物」と小さく制した。
「でも、もう提出しちゃったし~」
「ま、女に髪切られちゃね…」
そう言って真実は、空になったビールジョッキをカウンターに向け振り上げた。
「ま、確かにね。実際のところ、髪のせいとまでは言わないけど、きっかけにはなったのかもね…? いろいろと手続きが残ってるけど、でもとにかく今はすっきり」
さんざん破り続けられていた〈離婚届〉にもう名前を書くことはない。吾郎訪問のあとのひと仕事もなくなり、つかさは笑顔が顔についているかのように終始ご機嫌だった。
「手続き?」
離婚届の他になにがあるのか…と問う織瀬。
「うん。光熱費の引き落としとか…名義変更?」
「名前どうした? 苗字、戻すの?」
「う…ん、どうしようかと思って。子どももいないし、高鷲(たかす)を名乗る義理もないんだけど」
「仕事はやりにくくなるよね」
未だ職場では旧姓の〈七浦〉が通っている織瀬は、結局これまでも使い分けてきている…と話す。
「ま、そうだよな…」
「まこちゃんも…?」
真実も当然離婚後に苗字を旧姓に戻したのだろう…と問うつかさ。
「うちは婿養子だから。養子縁組してる場合〈離縁届〉ってのも提出すんの…。で、子どもがいると確かに面倒。子どもの戸籍変えるのに一か月弱かかった」
「へぇ、自動的に変わるものじゃないのね」
離婚を前提に結婚するわけではない…いつかそんな話を玲としていたことを思い返すつかさ。当然そんな面倒があることを想定しているわけではない。
「苗字が母親と同じでも手続きがいるの?」
ふ~ん…と感心する織瀬。
「離婚しても子どもの戸籍は元ダンのままなんだよ。親権はあたしでもね。だから家庭裁判所に、なんとかいう申請をして、役所で改めて子どもの入籍手続きをすんの。手続き自体は簡単だけど、なにせお国の仕事だから、日数がかかるのよ。子どもは紙切れ一枚でくっついたり離れたりってわけにはいかない」
真実はそういって顔をしかめた。
「そうなのね…」
確かに苗字が変わるにあたり、結婚当初は気にならなかったそれらが、離婚となると途端に面倒を感じる。まったく、人の感情はわがままだ。
「べつに親子なのは事実だし、そのままでもよかったんだけど。なんとなく。たとえ紙の上でも、きれいさっぱりしたかったんだよ、当時は」
真実の離婚の理由は建前上〈夫の浮気〉と聞いてはいたが、これまでの祐介の話を聞いている限り、それほど悪い人間でもなさそうだ。むしろ人が良すぎてやきもきさせらているように感じられる。自分たちの知らない過去が、真実の中に潜んでいるのだと、自分の離婚を気に改めて認識するつかさだった。
「いろいろだね…」
「今となっちゃくだらないけどな」
真実にはすっかり遠い過去のようだ。
「お待たせしました」
「お待ちしてました」
真実がオウム返しで真田を見上げた。
「こちらはサービスです…」
と、ココナッツの実でできた容器に入れられた〈ナッツ〉が差し出された。
「わるいね」
それはいつも4人が集まると必ず注文する〈おつまみ〉だった。今日は食事を兼ねての来店で注文はしていなかったのだ。真実のビールが3杯目になったところで、真田が気を利かせてくれたらしい。
「さすが、あたしら常連じゃん…」
得意気に答える真実に、つかさが微笑む。
「先週はありがとうございました」
当然のように織瀬の飲物も無言で追加されていた。
「あぁ…こちらこそ。おつかれさまでした」
不意の織瀬と真田のやり取りに目を見合わせる真実とつかさ。
それを受け織瀬は、
「週末、彼の後輩の披露宴だったの…それでね」
真田の去り際、早口に伝える。
「へぇ…そんな付き合いあるんだ」
言いながら、真実は真田の背中を見遣る。
「こじんまりやりたいっていう話だったし、この時期の披露宴は少ないから、お値段もこじんまりなのよ」
「いい客紹介してもらったってわけ…。そう言えば…」
と真実は、織瀬も〈結婚記念日〉だったのではないか…と言いたげに言葉を続けるが、
「…ま、いろいろあるよね、つきあいも」
そう言ってつかさが遮り、
「あたしも、離婚を待ち望んでいたわりに、いざしてみると、なんだか悪いことしたような罪悪感にかられたよ。気持ちはそんなに簡単にはいかないものだね」
と、話を元に戻した。
「後悔してるの?」
目を見開く織瀬に、
「そうじゃなくて。やっぱり、いいこと…ではないじゃない? だから、人道に外れたような、そんな罪悪感」
「まじめすぎんだよ、つかさは」
自分の切り返しに疑問を持たず返す真実に、ほっとしてつかさは続けた。
「そうだけどさ。モノゴトはなんでも、いいか悪いかみたいなところあるじゃない? 結婚はいいことだけど、そうなると自動的に離婚は悪いことって頭のどっかがそういう判断をするんだろうね。たとえ自分にとっての最善だったとしてもさ」
「…なるほどねぇ。真実もそうだった?」
「覚えてない。ものすごい勢いで、佑介には喋る暇さえ与えずに進めたからな…」
「猪突猛進…」
「想像できるね、まこちゃんのその奮闘ぶりが…」
「いいじゃん、そんなの。暗い話はやめようぜ」
「そうね。…つかさには新しい風も吹いてきたことだし?」
思わせぶりに目配せして見せる織瀬。
「やだ、おりちゃん…!」
そうは言っても笑顔を崩さないつかさに、
「なによ? まだなんかあるわけ?」
好奇の目で真実が食いつく。
「会っちゃったんだって…」
「ん? 会っちゃった…?」
「例の、忘れられない昔の彼に!」
楽しそうに真実に微笑んで見せる織瀬。
「うぇ~なんだそのドラマみたいな話はっ。ホントにつかさにはいい風吹いてんなぁ…」
最近の心悩まされる問題をどうしたものかと思いあぐねている真実には、本当にドラマを見せられてるかのような展開だった。
「でしょ~」
「そんなんじゃないよ。前の職場と駅ひとつだし、今まで会わなかったのがおかしいくらいの距離なんだもの、気づかなかっただけなのかも」
よくよく考えてみれば、駐車場が豊富な駅近くを選択肢に入れたわけも「また会えるかもしれない」と、店を決める際そんな思惑がなかったわけじゃなかった。
(すっかり忘れてたけど…)
「デートとかしちゃってるわけ?」
ビールジョッキを持ち上げ「酒の肴」とばかりに、ニヤニヤとつかさを見遣る真実。ここのところの自分に降りかかる陰湿なムードに一筋の光を見出したかのような顔つきだ。
「そんな…。1度だけ、食事した程度よ」
(ラーメン屋だけど…)
1度だけ…なんとなくそこを強調したように聞こえてしまっただろうかと、秘かにうろたえるつかさ。こういう話題には余計な神経を使ってしまう。いらぬ突っ込みをされないよう、
「続きが知りたかったら、この次聞いて。来週もまた食事に誘われてるから…」
と、牽制したつもりが、
「なに、よゆーじゃん」
真実の食いつきように、墓穴を掘ったことを悟った。
「そうじゃなくて…。今はまだ考えられないってだけ。吾郎のことが片付いたばかりだし…正直、こりごり」
ただ昔の同僚に遭っただけ…とつかさは軽く流した。
「なるほど…」
つまらなそうにビールに口をつける。
「でも相手は? その気かもよ?」
そんな真実の気持ちをあおるように織瀬が持ち上げる。
「そうだよ…。どうなのよ? あ、結婚は? してんの? 聞いた?」
あおりに乗って矢継ぎ早に質問する真実に、
「してるんじゃない…かな?」
普通に考えれば…と、改めて自分に確認するように話すつかさ。
「聞きもしなかった。気にもならなかったし」
そもそも再会の時点では、自分はまだ既婚の身だった。当然そんな下心があったわけでもなければ、今さら相手の家庭の事情を知ったところでどうということでもなかっただろう。
それに、気になることはそんなことではなく、他のところにあった。例の買い物袋の中身だ。
「なにそれ、そこ大事じゃん」
珍しく恋愛談議に乗り気の真実。
「ン~。なんとも言えない。べつにどうでもいい」
「してないかもしれないでしょー。つかさ、恋愛モードまったく働いてないね」
少しでも浮かれた話になるのではないかと期待する織瀬もまた、自分の憂いから抜け出したい一心のようだった。
「そもそも、恋愛モードだったことがあったのかって話。…でも、なんか所帯じみた荷物を持ってたんだよねえ」
それについて追及すべきか、でももしかしたら見間違いだったのかもしれない…と思い直す。
「なにそれ、所帯じみた荷物? ネギとか?」
「そうじゃないけど…」
「少なくとも、吾郎さんと結婚する時より盛り上がってた相手だろ~? もう少し話に花を咲かせてもよくないか?」
「どうでもいいけど、なんでネギ?」
どっから出てきた…と、目を丸くする。
「だって。所帯じみた荷物って言ったら〈買い物袋〉だろ? 袋から見える品物って言ったら、ネギだろ?」
ちぐはぐなようで言っていることには説得力がある。
「もう~マコちゃんは。だからさ、」
「この次聞くのね…」
はいはい…と、つまらなそうに返す真実。
「そうそう。軌道修正しないとね」
織瀬は含んだように言ってウィンクして見せた。
「軌道修正! いいこと言うじゃん、織瀬」
「でしょう」
「ひとのことだと思って、楽しそうに言ってくれるなぁ」
まったく…とつかさはなんとも言えない表情を見せた。

画像3

恋に恋していた少女の頃
生まれたての〈ハート〉は
まだ小さくてつぼみのように固かったのかもしれない

なかなか膨らませることもできずに
どんな形になるのか
どんな花を咲かせられるのかすら解らなかった

成長して、大人になり
それが〈ハート〉なのだと気づいた頃
ガラスのハートははち切れんばかりに膨れあがり
よりデリケートになり
言葉通り「いっぱいいっぱい」になっていくのだろう・・・・

ちょっと周りに刺激されただけでも破裂してしまうほどに脆く
だが切ないほどに美しく成長していくのだ

更に大人になり
「感情」の出し入れがうまく調節できるようになった頃には
後悔しても後戻りできないような恋に陥っていたり
元のハートとは別に、小さいハートを新しく育んでいたり
ハートになり切らない欠片のまま固くなってしまっていたり
それぞれに形作られていくのだろう


(あたしのハートは、どんな形だろう…ちゃんとハート型してるのかな…)
あれは勘違いだったんだろうか?

つかさは自分の胸元に視線を落とし、圭慈のことを思い出していた。

飲み会の後、帰り際に壁ドンされて唇を奪われたり、誰もいない社内の給湯室で突然抱きすくめられたり、それこそあの頃は「いっぱいいっぱい」で確かめることもできなかった。
少し大人になった今ならうろたえずに聞けるだろうか。
(確かめてもいいのだろうか?)
つかさは「今どうしてるか」という相手の近況を知るより、あの頃「なんで別れたのか」あの時自分を「どう思っていたのか」と、当時は聞けなかった相手の心情を確かめたいという気持ちの方が大きかった。

「ほら、じゃんじゃん飲むよ」
空いた皿を店員に手渡しながら、真実は2人をあおった。
「まこちゃん、やけくそになってな~い?」
「そもそも、ヤケクソってものがなにか解らないね、あたしの場合」
「それは、また新しい発言…」
その夜は、いつもより長い時間をかけてくだらない話をした。

ビール (3)

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