故郷が旅先になる日。
上京してから18年が経つ。
40を越えた今でも年末年始は必ず実家で過ごしている。ただ、最近の帰郷は、18年前の帰郷と比べると、かなり様変わりした。
例えば、家族を連れて帰るようになった。孫が可愛くて仕方ない両親は、すっかりお爺ちゃんとお婆ちゃんの顔になっている。あの頃バリバリ働いていた父は長く勤めた会社を定年退職し、今は趣味に生きている。
一年に一度の帰郷。当初は “地元に戻る” 感覚だったのが、この18年間で少しずつ “故郷に旅する” 感覚に変わっていった気がする。
こんなことを言うと自分が別の土地の人間になってしまったみたいだけど、否定はしない。それだけ時の流れは重くて残酷なものなのだ。ただ、育ったその街が僕の大切な故郷であることに変わりはない。
地元に戻るたび、どんどん変化していく街の姿を目の当たりにする。電車の車両デザインが変わっていたり、田んぼが住宅地になっていたり、明るかった道が分譲マンションの建設によって暗くなっていたり、昔よく行っていた床屋が閉店していたり・・・。
同時に、わずかに残されたあの頃の景色やその名残を無意識に探している。通い慣れた坂道。幼少期の自分を見守っていた松の大木。小さな商店街の錆び付いた看板。高架下の自転車置き場。雨風に晒された古い石碑。
帰るたびに崩れていく記憶の中の風景。おそらく自分はその変化の速度に対応しきれていない。いや、受け止めきれていないと言った方がしっくりくる。頭の中では、上京したあの日から故郷の時間は止まっているのだ。
故郷の土を踏むと、毎回のように胸の奥の方が締め付けられるような感覚に陥る。故郷を持つ誰もが同じではないだろうか。
故郷を離れるとは、そういうことなのだと思う。
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「おばあちゃん家に行ったら、どこに連れていってくれるの?」
暮れも押し迫る頃、息子は、クリスマスの余韻も冷めやらぬうちに、年末年始のことを話題に上げた。新幹線に乗ること、祖父母に会えること、お年玉がもらえることなど、年末年始は楽しいイベントでいっぱいなのだ。
「そうだなー。どこに連れていこっかな」
思い浮かんでくるのは、かつて自分が遊んでいた場所ばかりだ。小さな公園、神社、母校、駄菓子屋などの懐かしい場所が頭の中にリストアップされていく。息子が本当に望んでいる行き先は、最近できたばかりの巨大ショッピングモールや有名なテーマパークかもしれないのに。
無意識に、自分の幼少期の記憶を息子になぞらせようとしている。それは、父親である自分の自己満足かもしれない。それでも、息子に自分が生きてきた世界を見せたいのだ。
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帰郷して迎える19回目の実家のお正月。
僕は、思い出がいっぱい詰まった公園に息子を連れて行くことにした。幼少期に何百回と通った、遊具が3つしかない小さな公園だ。微かな面影は感じるけれど、遊具もその周囲の景色も変わり果ててしまっていた。その公園で、息子と一緒にすべり台にのぼる。
「俺、先にすべるぞ」
「俺が先だろ」
「わかった、早くのぼれ」
「おい、ケツを押すなよっ」
その時、すべり台にのぼっていたのは、確かに、小学生の自分と小学生の息子だった。親子ではなく“仲間”になっていた。年甲斐もなくはしゃいでいるアラフォーの少年がいた。
そんな自分の姿は、変わりゆく世界への、自分なりの小さな抵抗だったのかもしれない。
鮮明だった写真が時の経過とともに少しずつ色褪せていくかのように、あらゆるものが時とともに変化していく。それは私の故郷に限らずすべての街や人間に共通する宿命ではないかと思う。例にもれず、自分自身も変わっていくのだ。
当たり前のように迎えてくれる父と母がいるうちは、つまり実家があるうちは、そこは「帰る場所」だ。
自分が慣れ親しんだ景色だけではなく、大切な人ともいずれ別れがくるだろう。帰る家がなくなったその時、本当の意味で、故郷は旅先のような存在になるのかもしれない。
(了)
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