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「無謀」なんて言葉で片付けるな。たどり着いた「生き方」なんだ。


「もう3週間くらい前になるかなあ。ここに泊まってた人なんだけどさ、その人さあ、日本での生活を全て捨ててやってきたらしくて。白人の彼女を連れてこれから最南端に行くって言っててさー、かっこよかったなあ。今頃どこにいるのかなあ」

   その日、バラナシには澄んだ空が広がっていた。南インドケララ州の空みたいに広くて青かった。ガンジス川のほとりにある小さなゲストハウスに泊まっていた僕は、宿のたまり場のようなスペースで、そこに“沈没”している日本人バックパッカーたちの話を聞いていた。(沈没=バックパッカーが居心地が良いと思った街に長く滞在すること)

   僕は、彼らの話を聞いていて、腕のあたりに鳥肌が立った。その人を知っているのだ。南インド(そこから南に約2500kmほど離れた場所)で白人の彼女を連れた日本人男性に会った。つい1週間ほど前の話だ。

   彼とは南インドのコバーラムから最南端カニャークマリまでの数日間の旅を共にした。いろいろな話をして仲良くなって一緒に最南端の夕日を見た。

   しかし、その場で「その人、南インドで会いました!」とは言えなかった。喉のあたりまで出かかった言葉をのみ込んでしまった。

   その宿で僕はまだ“新米”だった。前日にバラナシに到着したばかりだったので、沈没組の人たちとはそこまで打ち解けていなかったし、その人は気持ち良く話していたし、話に割り込むようなタイミングもなかった。5、6人くらいいる沈没組の中にあって新米は聞き役でいる方がいい場合もあるのだ。


   コバーラムという南インドの小さな街を発とうとしていた日。彼は椰子が生い茂ったバス停でトリヴァンドラム行きのバスを待っていた。小麦色の肌に白のタンクトップ、長い髪、いかついサングラス。アジア人なのはわかったが、第一印象ではちょっと怖くて、日系人かなあと思った。傍らにはかわいらしい白人女性が座っていた。

   異国の地をずっと一人で旅していると、知らない人に話しかけることにためらわなくなる。僕は「日本人ですか?」とたずねた。「はい、そうです」と彼は答えた。意外にも礼儀正しい感じの受け答えだった。目的地が同じだった僕たちはバスに乗り込んだ。

   南下するバスの後部座席でずっと話していた。身の上話から世間話まで。まさか南インドで阪神タイガースの野村監督の話をするとは思わなかった(当時は野村監督だった)。彼は見た目の印象とは違い、物腰が柔らかくて相手の話をよく聞く人だった。人となりは何となくつかめた気がしたが、その他のことは謎だらけだった。

「なぜ旅に出たのですか?」
「話せば長くなるんだけどね・・・」

   日本にいた頃は普通に会社に勤めていたという。出世競争に勝ち抜くために毎日必死に働いていた。出世のレールに順調に乗っていたらしい。30代後半を迎えようとした時、彼は自分に疑問を持ち始めた。出世のために毎日の時間を犠牲にして、最終的にいったい何が残るのだろうか、と。自分の先の人生が何となく見えてしまった、と。

   そう気づいてから会社に辞表を出すまでに時間はかからなかった。彼は、20代の頃から15年近く築いてきたものを一瞬にして手放した。辞表を出す時、迷いはなかったという。なぜなら人生で一番大事なことに気づいたから。周囲からは「無謀」だと言われたが、当の本人はなぜもっと早く気づけなかったのかと悔やんでいた。

   一回きりの人生。狭い世界を飛び出して、もっといろいろなものを見よう、いろいろなことを経験しよう。そう思って約2年間の世界放浪に出たらしい。

   白人の女性とは、インドの前にいた国(はっきり覚えていないがイランだったかな?)で出会い、旅を共にするようになったという。二人は恋人だった。

「将来の不安がないと言えば嘘になる。でもどうせいつか死ぬんだし、そんなこと心配して対策しているうちにどんどん年を重ねて、できることが減っていく。後から考えればさ、会社(仕事)を辞めるなんて大したことでも何でもなかったって気づくんだよ、絶対に。そう思える自信がある。今のこの旅の時間はきっと財産になる。何度も言うけどさ、人生は一回だけだから」

   僕は聞き入っていた。当時、僕は22歳。彼は多分37歳。内定を既にもらっていて社会人になる寸前の僕に、社会の荒波にもまれてきた彼の話はかなり刺激的だった。

「本当にやめてよかった。今、俺は本当に生きているから」

   そんな台詞を、彼は格好もつけずにさらっと言った。

   当時、就職氷河期だった。終身雇用なんてほぼ崩壊しているのに、就職で人生が決まるくらいのことを誰かが言っていた気がする。そんな価値観を刷り込まれた学生たちは、まだ似合わない紺のスーツに身を包んで、我先にと会社説明会に面接にと走り回っていた。

   仕事なんて人生を構成する一要素に過ぎない。一度きりの自分の人生を誰かに任せず、自分の頭で考えて行動する。そんな価値観を、22歳の僕は彼から教えてもらった。


    40を過ぎた今、彼の言っていたことが正しかったと心から思える。このエッセイを書いているのも、まさにそういうことだ。

   もう20年前の話で、名前すら覚えていない。住所交換したような気もするが記憶は定かではない。インド最南端で一緒に撮った一枚の写真だけがアルバムに残っている。

   彼は今どこで何をしているのだろう。また会えるかな。バラナシのゲストハウスの話の中で偶然再会したみたいに。



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