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連続投稿なんて、あっけなく終わる。


“連続投稿の呪い”にかかって4ヶ月が経とうとしていた。

暇さえあれば小説やエッセイのネタを考える。ギリギリまで文章を書き続けて23時50分過ぎに投稿ボタンを押す。noteが生活にリズム感を与えてくれていたのは間違いなかった。

連続投稿117日目、同じように23時台の追い込みをしていた。このままでは間に合わないと思い、執筆途中の記事を投稿。23時57分だった。その後すぐに記事を「下書きに戻す」にして、記事の続きに取りかかった。

24時30分くらいに記事を再投稿する。出てきたポップアップの数字は、「117」ではなく「21」だった。あれ?と思ってよく見ると「21週連続の投稿!すてきです」という一文が添えられていた。

「やってしまった・・・」

そんな流れで、私の連続投稿は途切れた。もちろん、ちょっとしたショックはあったが、「ま、いっか。これはこれで」という思いも確かにあった。

意図せず呪縛から解き放たれた。「開き直った」というより「ホッとした」気持ちで、今これを書いている。

何かに取り憑かれたような日々。いつの頃からか毎日投稿が義務のような感覚になっていた。連続投稿の数字を伸ばしたいがために、記事の質よりも毎日投稿という行為そのものを優先させた日もあった。

できあがった短編やエッセイが自分の納得できないデキであっても、書いた文章は全て投稿した。新しいものを一から書き直す時間なんてない。時には過去の旅写真にキャプションを付けて10分くらいで仕上げた記事を投稿した。

noteは「思い・考えの言語化ツール」そして「文章力や物語構成力のトレーニングの場」と位置付けていた。でも、それと同時に、短編もエッセイも写真もnoteのすべての投稿は「自分の作品」であり、noteに蓄積されていくものは「自分の作品集」であるとも考えていた。練習のための文章なのか、作品のための文章なのか。そこをはっきりさせずに書いていたから、中途半端だった。

そんなこともあって、ツイッターのつぶやきみたいな軽い投稿はしないというマイルールを自分に課していたし、短編やエッセイの投稿後は何度も書き直していた。

かくして、365日目の景色を見ようと目指した日々はリセットされた。もう自分に117日目はない(=当たり前)。急に肩の荷が下りたような気がしている(=ただ開き直っている)。

まあ、人生こんなもんだろう。いつか死ぬ時だって、たくさんの「やりたいこと」や「約束」や「目標」や「夢」を果たせないまま、ぽっくり逝ってしまうんじゃないだろうか。それって、ある意味で、すごく人間らしい気がする。

自分の好きな言葉に「明日死ぬと思って生きなさい、永遠に生きると思って学びなさい」というものがある。明日死ぬかもしれないのに学ぶ行為は無駄ではないのだ。過程が大切なのだ。・・・あれ?何の話をしてたっけ?あっ、連続投稿が途切れた話だった。

この約1400文字もの記事で言いたいのは、「連続投稿が途切れました」という、ただそれだけのことである。どうせならネタにしようと思い、敢えてちょっと大袈裟に書いている。

この機会に、記事投稿のスタイルを見直そうと思う。note自体をやめるわけではない。毎日投稿する縛りがなくなったので、今後は気分次第で投稿するスタイルに変えようと考えている。気分がのっている時は一日で複数の記事を執筆するだろうし、気分がのらなければ一週間何も投稿しないだろう。

今後、連続投稿が途切れた人がいたとしたら、これを読んで少しでも和んでもらえればいいと思う(=ありがちな捨て台詞)。

昨日は117日ぶりに何も投稿しなかった。23時59分から0時0分になる瞬間は、「ノーサイドゲーム」を観ていた。飲み屋の女将さんが「バカはバカらしく、もう全部忘れてまた明日から頑張りなさい」とアストロズを鼓舞していた。



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