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『宛名のない手紙』(掌編小説/ホラー)


 渕七瀬村には奇妙な噂があった。

 村のはずれにある古いポストに、宛名のない手紙を投函すると、翌日の夜、投函した本人が神隠しに遭うというものだ。

 日本がまだ戦時中だった頃、村に住んでいた源二郎という若者が、思いを寄せる女性に恋文を書いたのだが、肝心の宛名を書き忘れたまま投函してしまった。翌日の晩、源二郎は村から忽然と姿を消した。事故に遭ったのか、誘拐されたのか、未解決のまま事件は放置されたのだという。

 その噂を聞かされたのは、僕が9歳の時だった。母は真面目な顔で「手紙を書く時は絶対に宛名を書き忘れてはいけない」と口酸っぱく僕に言い聞かせていた。村の小学校の掲示板には「わすれないで  かんしゃと  あてな」という標語が掲げられていた。

 村の人間たちは、手紙の宛名書きには異常なほどの注意を払う。子供たちもそう言われながら育つので書き忘れる者は誰一人いなかった。

 当時、気になって仕方なかった僕は、母に質問した。

「郵便局はその手紙を保管してるの? 」
「手紙はね、見つかってないらしいのよ」
「そのいなくなった人は村のどこに住んでいたの? 」
「うちは、そんなに昔から渕七瀬村に住んでいたわけじゃないから詳しいことは知らないの」

 正直なところ、誰かの作り話じゃないのかと思う部分もあった。しかし、そういった否定的なことを口にしてはいけない雰囲気が、村にはあった。

 年の瀬も押しせまる頃、私は家族みんなと一緒に、せっせと年賀状を書いていた。中学校の担任、隣町の親戚、祖父母、クラスメイト、近所の幼なじみと、一枚一枚に丁寧にメッセージを綴っていく。宛名も忘れないようにしっかりと書いたし、3度確認した。わが家では、年賀状を投函する前に宛名だけは3度見直すのが習慣だった。

   「みんな宛名は確認したか?」と父が確認すると、「今回は5回くらい確認したわ」と母は誇らしげな顔で言った。

 「あっ、ちょっと待って。あともう一枚だけ、クラスメイトに書くから」

 僕はそう言って、密かに恋をしている同じクラスの早川さんへの年賀状を追加で書いた。太めのサインペンで、早川さんの住所も名前もしっかり書いた。

「宛名は確認したか? 」
「うん」
「じゃあ、倫太郎。ポストに出してきて」
「わかった! 」

   静寂に包まれた小道を歩いて、村のはずれにあるポストに向かう。毎年この時期になると年賀状を投函するのは僕の仕事だが、あの噂のせいか、来るたびに気味が悪かった。

 ポストは随分昔から使われているようで、周囲は傷だらけで塗装も剥げている。その場をすぐに立ち去りたかった僕は年賀状の束をポストに入れて、早足で家の方へ戻っていった。

 帰り道、僕は変な胸騒ぎがした。何か大事なことを忘れているような気がしてならない・・・。

「ただいまー」
「おかえりなさい! ありがとう」
「おかえり、倫太郎」

 両親は、面倒な年賀状の作業が終わったこともあって、清々しい表情で迎えてくれた。

「なあ。倫太郎。もう一回聞くけれど、最後の年賀状ちゃんと宛名を確認したよな?」
「うん、太いサインペンで書いたよ」

 その時、背筋に稲妻のようなものが走った。

 早川さんの年賀状、宛名は書いたが、差出人つまり自分の名前を書いていない。というより、書いた記憶がない。

 宛名は書いたから大丈夫だ。そう言い聞かせながらも指先が震える。

「どうした、倫太郎? 顔色悪いぞ」
「あの、さっき書いた年賀状、宛名は確かに書いたんだけど、差出人を書いた記憶がなくて・・・」
「差出人?」

 父は一瞬顔を曇らせてから言った。

「大丈夫、大丈夫だ。宛名は書いたんだろう。差出人なら大丈夫だろう」

 父と母は明らかに動揺していた。

「いいか、倫太郎。このことは村の人間に絶対に言うな。大騒ぎになるかもしれないから・・・」

 その夜は気になって眠れなかった。明日が怖かった。宛名は書いた。宛名は書いた。宛名は書いた。


 翌日。いつもと何も変わらない一日が過ぎ、夜になった。

 もう22時を過ぎたというのに、父と母はまだ家に帰ってきていない。中央集会所で開催される村の忘年会に参加しているのだ。

 村の大人たちは、そのほとんどが忘年会に集まっている。こんな山奥の村では、夜に人が一箇所に集まるだけで、村全体の明かりが一気に減る。

 闇に包まれた村の一軒家で、僕は一人、テレビを見ていた。番組の内容は全く頭に入ってこない。年賀状のことで頭がいっぱいで父と母に早く帰ってきてほしかった。

   コン、コン、コン。

 玄関の扉をたたく音がする。両親がやっと帰ってきたと思って玄関へと向かった。玄関の前に立ち、「お父さん? 」と声をかけるが、返事が返ってこない。

「あの、誰ですか?」
「キミこそ誰だ」
「え・・・」
「ここは私の家のはずだ」
「お名前を・・・」
「神山源二郎だが」
「源二郎? 」

 どこかで聞いた名だと思いつつ、僕は扉を開けた。

(了)

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