魂の進化論

哲学者のデカルトは「動物には精神と呼べるものはまったくない」と言っているが、動物行動学のコンラート・ローレンツも、動物は精神を持っていないと断言している。この地球上で、精神を持つ生物は、ただ人間だけなのである。ならば情動(エモーション)はどうだろう。サルやイヌにも「悲しみ」や「喜び」を感じる能力があるだろうか。ローレンツは、それはあるといっている。

彼によれば、犬やハクガンは苦痛を表す一定の表現声(鳴き声)を持っており、苦痛を感じたときにはいつも同じ声で鳴くのが見られるという。だからその鳴き方をしたときには、動物も心的な苦痛という主観的な体験をしていることがわかるのだというのである。

「(私は)動物の体験、つまり“情動”が人間の情動とまるで兄弟のように近いことを知っている。イヌは概してわたしの魂に等しい魂を持っている。それは無条件の愛の能力の点で、わたしの魂を凌駕してさえいる。しかし精神は、いかなる動物も所有していない。イヌたちも、人間にもっとも近い類人猿たちも持っていない」(ローレンツ)

このようにイヌやサルにも情動はある。だが「一寸の虫にも五分の魂」と言うが、より原始的で単純な生物であるクラゲやナメクジには、どうもありそうにない。ならば生物進化の長い歴史のどの段階で、魂が誕生したのだろう。哺乳類が出現する以前の、シーラカンスや恐竜の時代にも、すでに情動の働きである魂が存在していたのだろうか。

ローレンツは、魂が誕生したのは「中枢神経系(脳)」が発生したときだろうと推測している。なぜなら、情動が発現する場は「脳」に他ならないからだ。

「(進化という)有機的系統発生の経過の中の、ずっと後期になって初めて中枢神経系が発生したのだが、主観的体験はどうやらこれのおかげらしいのである。そして精神的なものは、(進化的な)創造のまったく最近の時期になってようやく生まれた」(ローレンツ)

となると、中枢神経系を持たない生物たちには、情動の働きが存在しないようである。アメーバーやゾウリムシなどにはもちろんないだろうし、植物にもないだろう。中枢神経がないのだから。

だが、人間以外の動物たちの情動は、人間のそれとはずいぶんと違ったものではあるようだ。なぜなら、彼らの中枢神経と人間のそれとは、構造がかなり違っているから。イヌやサルたちもいろいろな情動を感じてはいるが、それは人間には想像すらできないものなのかもしれない。

(注記)
ここで言う「魂」というのは、「武士の魂」とか「魂の叫び」とか「魂のこもった作品」などという場合の魂のことで、なにか神秘的・超自然的な意味での魂ではもちろんない。ローレンツの言う「主観的な体験をする心の働き」という意味である。

参考文献
・デカルト「世界の名著22デカルト」野田又夫ほか訳、中央公論社
・K・ローレンツ「自然界と人間の運命 PARTⅠ :進化論と行動学をめぐって」谷口茂訳、思索社
・K・ローレンツ「人間性の解体・第 2 版」谷口茂訳、新思索社
・K・ローレンツ「生命は学習なり:わが学問を語る」三島健一訳、思索社

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