最後に見る夢

波の音が聞こえる
波打ち際で砂を浚うサラサラという音が聞こえる
まだ朝方の早い時間なのかブラインドから漏れる光は弱い
見上げた天井にはファンが音も立てずにクルクルと回っている

しばらく波の音に耳を澄ます
自分の呼吸に合わせて胸が拍動する
目が覚めたという実感と共にまだ生きているという安堵感が芽生える
ベッドの隣に寝ていたはずの妻はいない
もう起きて朝食の準備でもしているのかもしれない

娘の事を考える
昨日一緒にいた青年とはどういう関係なのだろう
タメ息をつきそうになるのを堪える
もう私に残された時間は少ない
これから起こることに思い煩っている余裕はない
この目に映るものをそのまま受け止めるしかないじゃないか
娘は笑っていた、その笑顔を信じてあげよう

眠っている間に夢を見た
今では退いた職場での光景
共に働いた仲間たちの顔
職場を去った者もいれば新たに迎え入れた者もいる
その関係性の中で気付けば私が一番の古株になっていた
退職の理由はハッキリとは告げていない
ここら辺が潮時なんだと半ば冗談めいたこと以外は

私はそこで外科医として働いていた
これまでに数々の凄惨な現場を目撃し経験してきた
あまりの不条理さに神という存在に猜疑の目を向けたこともある
人の死について卓見を得てきたというつもりはない
むしろ人の在り様の不可解さを突きつけられるばかりだった

最後の勤務の日を覚えている
一人の少女が父親と共にやってきた
軽い腫れと擦り傷程度の怪我だったが私は懇切丁寧に処置をした
初心に帰るという新鮮な気持ちで
結局その少女が私の最後の患者になった
今になってそれを誇らしく思い出す

波の音が続く
心地よいリズムで
まるで静寂の深い海の中へと誘うように
死神が私の所にもやってきた
もうとっくに覚悟はできている
覚悟というよりは受け入れるということ
乾いた砂に水が染み込むように
無心を得たような感情

リズムなんだ

人生とは

波の音がそう告げている

寝返りを打つ
そのひとつの動作すら私には大変な労力がかかる
軽く息を吐いて呼吸を整える

最後の時を思う
あの少女の姿が私の娘の姿と重なる
水平線の彼方で空と海が浸透する
また少しの眠気を感じている

目を閉じる
ささやかな光が瞼の裏を熱く感じさせる
私の中身はすっぽりと吸い込まれるように波の音に同化していく
薄れていく意識の中で私の体は抜け殻のように空っぽになる
それから最後に見た懐かしい夢の続きが始まる

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タヒニ

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