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小説は人のクリエイティビティを最も刺激する視覚メディアかもしれない

漫画やアニメに対する、小説の優位性ってなんだろう?を、ぼんやりと考えてみたメモ。

前段

「分人主義」の考え方が面白いなーと思ってる。例を出します。

関わりのある人が亡くなった時、僕たちは悲しさを感じる。
だけど、どこの誰とも知らない人が亡くなっても悲しさを感じない。

人との関わりの中で誰かと接するとき、一つのキャラクターとも呼べそうな”自分”が形成される。人によって「ちょっと愛想の違う自分がいるなぁ」と感じたことがある人は少なくないだろう。

そこには、接する人によって違う”自分”が存在している。
関わりのある人が亡くなった時に悲しみを感じるのは、この”自分の一片”が、もう二度と表に出てくることがないことに対する悲しみが訪れている。と考える。


回想

高校2年生のとき、最年少芥川賞として「蛇にピアス」「蹴りたい背中」がメディアで活発に取り上げられていた。列挙された活字が苦手だったが、世間のそのムードから、手に取り読んで見ることにした。

世界が変わった。

初めて、文字から脳内に世界が投影される体験をして、興奮したことを今でも覚えてる。

幸か不幸か、僕は読むのが遅く、消化に時間がかかる。だけど小説に限って言えば、その世界に人より長く居続けられるのでラッキーなのかもしれない。


本題に戻ると、漫画やアニメは形成された絵を見る体験をするが、小説は自ら絵をイメージし脳内で映像化する。

これは前述した分人主義的な考えを用いると、その想像した世界は自分にとって掛け替えのない並列世界であり大切なものなのかもしれない。と思った。

その点において、小説は漫画やアニメに対する優位性を持っている。

小説は、人のクリエイティブを最も刺激する視覚メディアなのかもしれない。

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