フー・ダシガラットの日常

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それは巨大なキノコに見えた。

極めてぞんざいな外観。丸みを帯びたフォルムに濡れたような光沢という生物的な外観は妙に生々しく、知らずに近くを通る旅人を威圧してやまない。明かり取りの二つの丸窓が模しているのがつぶらな瞳だとすればその中央の四角いドアは口だろうか。額の「ヨウこそ」の四文字は、建物の胡乱さを和らげるどころかむしろ補強すること甚だしい。

モナーブルグは郊外に位置する、そこはアトリエM。知る人ぞ知る凄腕錬金術師、マーラ・シャン・セーの工房兼居城がそれである。

時は深夜。内から響くは狂った様な男女の哄笑。果たして如何なるサバトが催されている事であろうか……

***

「うっしゃっしゃっしゃっしゃ!!」

「らっしゃっしゃっしゃっしゃ!!!」

むさ苦しいおっさん二人が酒と肴を所狭しと並べたちゃぶ台を叩きながら、あるいは空の酒瓶と一緒に床を転げ回って笑う。
とてもシラフで見れた光景ではないが、故に大層酒が進む。紅一点のアタシも負けじと爆笑するが、何がおかしくて笑っているのかはもう覚えていない。酒の席なんてそんなものだ。

改めて目の前の男二人を観察する。一人は背の低い三十前半。このアトリエの主、マーラ・シャン・セー本人だ。トレードマークの丈の長い被り物を部屋の隅に、ボサボサの頭髪を振り乱して下品にはしゃぐ。

見た目から分かる通りのどうしようもないおっさんだが、その実、【黒】属性の錬金術の達人であり、本来であれば到底常用に適さない「エロ・下ネタ系」の素材を用いて幅広く市井の需要に応えるバランス感覚にはアタシも内心一目を置くところだ。もちろん、面と向かって今更それを褒めてやることなどない。なにせガキの頃からの腐れ縁だし、いじめられっ子だったコイツのケツは何度拭いてやったか知れない。そう思えば、ずいぶん大成したものだと思う。

隣に転がるデカブツはエイト・フォウ・モナー。そんじょそこらのデカブツではなく、種族・骨格レベルでアタシらとは身体の作りが違う、いわゆる「八頭身」の一族だ。
彼らにとってアタシら基準の建築物が窮屈で無いはずが無く、生活圏は自然と分かれる。故に通常、日常の中で「体格の壁」を超えた交流が生まれることは珍しい。

ところがコイツはと言えばこの調子、常日頃からマーラの奴とつるんで街中を練り歩くわ酒場に入って一杯やるわこうして宅飲みで笑い転げるわで、アタシらに対して、体格差をもって威圧したり脅威を与えたりするところが一切無い。豪快に爆笑しているようでいて壁や床に穴一つ開けるどころか、彼からして見ればオチョコのように小さなコップ一つ倒すことがないのだから恐れ入る(ちなみにアタシは今日二度ほどやった)。懸想してアプローチをかけている相手が同種族では無いことに関係しているのかもしれないが、何れにせよ並みの気遣いや配慮ではない。

つまり両者とも、この天才科学者にしてダシガラット・アカデミー学長、フー・ダシガラットが飲み仲間としてやるに値する、そこそこ大した奴らなのだった。

「しっかしこのおヅラ野郎はピーピー泣きやがってYOみっともねぇ!」

「うるっせぇこのデカブツ!てめぇみてぇなバケモノを慕ってくれたチビ達が三人もなぁ……うぅ……!」

歳をとると涙もろくなるものだ。真っ赤な顔をくしゃくしゃに歪めるマーラとニヤニヤ笑いのエイトを眺めながら、アタシは秘蔵のカクテル《XYZ》のグラスを傾ける。大奮発だが、相応しい慶事があったのだ。

なにせ、我らがダシガラット・アカデミーから、ついに初の卒業生が出たのだから。

一人は「まほうつかいになりたい」少年。
魔術師ギルド主幹の全寮制の魔法学校の入学試験にパス。才能も血統もないが意欲だけは人一倍で、寂しがりやの魔術担当講師の良い相手役だった。

二人目は「カッコいいナイトになりたい」少女。入隊が叶ったのは教皇庁直属聖堂騎士団の本拠、モナガイユ大要塞の一部隊だ。複雑な出自を持ちながら部隊長としての活躍も音に聞こえるシーチ・ディアベスの下ならば、あのおてんばも無下には扱われまい。

三人目は、「お花屋さんになりたい」少年。グラマターリはシルバーストーン商会に繋がりを持つ知己が得られていたのは幸いだった。目端の利くあいつのこと、本場で生花市場についての経験を積めば、三人の中でも出世頭になる可能性がある。

親も家も持たず、"怪物"に攫われた恵まれない子供達。少なくともそのうちの三人に、自ら望んだ夢を掴むための機会を与える事が叶った訳だ。

「……ま、とっとと大成して頂いて。早いとこウチも収益化したいもんだからさ。」

「素直じゃねぇーンだよコイツはこの通りよぉ〜!」

黙れ勝手にベソかいてろ。

「素直じゃねぇーと言えば思い出すぜ……いつぞやの……アレだ、"乳母車"の!」

「何だ何だ思い出話かYO!すっかりおっさんだなアンタも。」

「あの時もコイツと来たら……照れ隠しか何だかしらねぇが、またぞろネタに走りやがって!ま、このマーラ様が華麗にケツ拭いてやったンだけどな!ありゃ傑作だったろ!なぁ!」

「なんだそりゃ、詳しく教えろよ。」

「あんな風に肩落とすガキ見せられちゃあよ、俺が出るしかねぇだろ……そう思えばありゃあ、うまい誘導だと言えなくもないが。素直に口で言やぁいいんだ!この子の依頼請けてやって下さいマーラ大先生ってな!そうだろ!?」

「二人で盛り上がってんなYO!ダシガラ先生!詳細!詳細!」


「……なんだっけ、それ?」


マーラの赤ら顔が凍りつく。只ならぬ様子にエイトも口を噤み、部屋の温度も数度下がったようだった。

「……アンタさ、酒の席で別のオンナの思い出話しちまうとか、そういうのはもっとロマンチックな相手にやンなよ!アタシ相手じゃ、修羅場もへったくれも……」

どうやら失言だったらしい。何一つ飲み込めない事態の深刻さは、目の前の腐れ縁の初めて見せる表情、そのすさまじさから、察する他はない。不覚にも虚を突かれたアタシには何事かを問いただす余裕も無く、その後どんな会話を交わしたものか、その席は解散となっていた。

ガキの頃からの腐れ縁。
失うことなど無いはずの……思い出の欠落?

あてどない追憶はどこにたどり着くでもなく、しかし、認識にかかっていた薄靄を晴らしていく。霧を透かして見えてきたのは、薄氷を踏むような足元の覚束なさと、いくつかの疑問。

***

次話

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