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【サブキャラクター】アーティスト本人と自分自身は、別々の存在

責められて憔悴するアーティストが多いだがそもそもに、強い自分になろうとする必要が無い。「“自分の中のアーティスト”の育て方」を、知ることができる。デリケートなくせに尖った作風で突き進み、アンチに叩かれて憔悴しているアーティストの、ために書く。

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アーティスト情報局:太一監督
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日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、
監督がスタジオから発する生存の記
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『 アーティスト と スター 』

“アーティスト性”ではなく、アーティスト本人の育成方法である。

多くのアーティストは感情を取り扱うその性質からデリケートであり、アンチに限らず些細な日常にも傷つきながら、苦悩の日々を生きている。昔ならそれも“作家風情”として重用されたものだが現在ではマーケティングの波に、押し負けて消える。

平静に立ち返ってみればそれ、“アーティストである自分”と“自分自身”を混同していることが要因なのかもしれないのだ。“スター”を、想像してみよう。生まれながらにして万人の前で姿をさらして声を発し、自らの主張をアピールすることに特化した人間など、存在しないことが判る。彼らは後天的に、“ステージに順応”したに過ぎない。

スターは、スターである自分とプライヴェートを区別して管理することのスペシャリストなのだ。アーティストはいまこそ、「アーティストの自分」と「本来の自分自身」を別々に管理した方がいい。なにしろ現代のアーティストは、“カメラの前に立って自らを語る”必要があるのだから。

世界に向けて。

そこで、日本に入っていないニュースをお知らせしておこう。

■ 最新国際ニュース:韓国のエンターテインメント関係者が欧米での影響力を拡大

シム ナヨン監督をはじめとする韓国コンテンツ振興院の代表者が、韓国の文化や取り組みについて語った。

南カリフォルニアとニューヨーク都市圏は、出身国以外で最大の韓国人人口を抱える地域であり、韓国文化の影響力の高まりはここ最近顕著になっている。また、オスカー最優秀作品賞の受賞や近作が高い評価を得ていることもあり、東南アジア半島出身の才能が欧米で目立ってきている。

制作会社であるCJ ENMのアルバート パークと、韓国のクリエイターの市場拡大をミッションステートメントとするSBSの子会社フォーマット イーストのエグゼクティブ ディレクターであるイルジュン キムの2人のエグゼクティブが語った。「私たちは、外国人を韓国に招待し、料理だけでなく、深く美しい空間での宿泊を通して、韓国の文化をさらに発見してもらいます」

キム監督が語る。「映画なら、女性として、スリラーにソフトなタッチを加えることで、より幅広い観客にアピールできると思っている」と付け加えた。「Z世代の有名人には、サブキャラクターを作るのが好きな人がたくさんいます。ソーシャルメディアを利用して、自分とステージ上の(ペルソナ)との間に違いがあることを示したいと考えている有名人もいるのです。」- AUGUST 19, 2021 THE Hollywood REPORTER -

『 ニュースのよみかた: 』

韓国のコンテンツ産業拡大によりエンターテインメント業界において影響力拡大中。作品のみならず母国アピールを忘れず、スターは「ペルソナ」の存在を主張している、という記事。

韓国勢の目覚ましい活躍に、異論など挟む余地もない。彼らはかつて“日本芸能界”をコピーし、日本コンテンツ産業界を目指していたのだから、その成果には注目せざるを得ない。

本記事の中でわたしは最後の一分に注目している。「サブキャラクター」についての記述だ。わたしはこの中に、“ハリウッドの衰退要因”を観た。原文には、“a difference between themselves and their on-stage (personas)”とあるのだがこれ、聞き手であるハリウッド リポーター記者の、認識間違いだ。

「(personas)」とはいわゆる「仮面/登場人物」を示しており、キム監督が語ったニュアンスを取り違えている。韓国エンターテイナーにとっての「サブキャラクター」とは“もう一つの自分自身”であり、「仮想キャラクター」ではない。“職業人=自分自身”を生きている記者には、理解できなかったわけだ。

『 アーティストの育て方 』

作品の中では大胆ながら、人前では緊張するアーティストが多い。もちろん本質的にはとんでもなく図太く非情なほどに頑固なのに、だ。外れてはいないので、話を続ける。

アーティストは緊張に臆すること無く、主張を曲げず、全方位からの攻撃にダメージを減らしながら、作品を生み出し続けなければならない。
必要なのは、「アーティストの育て方」を習得することだ。

「自分自身」と「アーティスト」は完全なる別人格であるべきなのだ。

アーティストは作品を育てる。自分自身は、アーティストを育てる。それは教育であったり訓練であったり体験であったりするわけだが最も重要なのは、「見捨てない誓い」である。これは自己啓発ではない。

アーティストの育成者である貴方自身が「生涯育て続ける!」という覚悟在ってこそ、観客たちはそれを信じ、興味を持ち運が良ければ、応援してくれる。

『 アーティストは戦士、貴方自身は基地 』

できればわたしとて、“アーティストは子であり貴方は母ですよ”などと美しい事を書いていたいしかし、実状は異なる。

文学ファンが生んだ“書く”作家ブームがあり、音楽鑑賞ファンが生んだ“歌う”カラオケブームがあり、SNSが生んだ“情報発信”記者ブームがあり現在、プラットフォームが生んだ“創って発表”人類総クリエイターからなる作品ブームにある。

“自称アーティスト”は統計不可能なほどに増殖し結果、元より知識も経験も無い素人たちが標的となり、目も当てられない被害が続発している。命を放棄するスターや事故を招くクリエイターたち、自己主張の果てに暴走した狂気が戦後最大の被害を生んだのも、現在である。経済的な訴訟や刑事事件は確実に、拡大していく。

どれだけ大きな攻撃を受けて甚大なダメージを受けたとしても“アーティスト”は、死なない。貴方自身という“基地”があるのだから。

安心していい貴方自身がダメージを受けることは、永久に無い。あなたはアーティストの育成者であり、別個人なのだから。

『 編集後記:』

今日も独り、世界的な作品に参加しているメジャーなアーティストが、撮影指導を受けに来た。世界の頂点に君臨するその人はしかし、主戦場である“受注作品”から新たな「自分自身の作品」にむけて、舵を切ろうとしている。私にできることは技術的な協力だけかも知れないが、全力で応援しようと想う。

きっと今頃そのアーティストは悪戦苦闘しながら、初心者用のカメラを操作している。そして、小さく息を吸う。世界に発する第一声だ。

勇気と覚悟という決意を平静で観つめ、映画製作の現場へ帰るとしよう。では、また明日。

■ 太一(映画家):アーティスト業界情報局 × 日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、 監督がスタジオから発する生存の記