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映画監督が語る、7つのキャリア術

成功者の自己啓発には、再現性がない。宝を拾った場所にもう、宝が無いのは当然なのだ。一方、「映画監督」はどうだろう。一度つかんだ成功物語は二度と使えず、毎回新たな“宝”を生む。作品を、スタッフを、俳優、協賛企業を成功に導く“映画監督術”が、現代人のキャリアを描く

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太一(映画家):アーティスト業界情報局
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日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、
監督がスタジオから発する生存の記
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『 最近のはなし: 』

気がつけば、大勢の著名人たちと生きてきた。

この夏で映像業界人生35年。映画界も芸能界も日本マーケットもハリウッドも自在に語れるくらいには、東奔西走した日々だったようだ。
すると不思議なことに、あれだけ必死に学んだはずの業界、国の障壁が消え失せて、自然体こそが強さだと知るようになる。

なるほど、老いも悪くない。
初老の大御所たちが偉そうで不思議だったが、そうか、“無敵”だったのか。

さて、はじめよう。

『 再現性のない“成功法則”、活用できる“行動法則” 』

“成功法則”は、信じない。

たった一日のバイト経験も社員経験もなくこの歳まで業界を生きると必然、気付くことがある。国も人柄も人種も様々だが成功者たちには、特徴があることを知っている。だがそれを語れば、再現性のない“自己啓発”に過ぎない。そこで、彼らが語り、示してきた「行動法則」を整理してみる。

そこで、日本に入っていないニュースをお知らせしておこう。

■ 最新国際News:ベルリン国際映画祭を征した映画監督が語る、キャリアを成功させる7つの秘訣

今日、ベルリン国際映画祭を征したドイツ人監督のクリスチャン・ペツォルド監督ほど一貫した意思を貫く作家はほとんどいない。ベツォルド監督には、ハリウッドが提供するチャンスをすべて、拒絶する。「ハリウッドは私にSCRIPT(映画脚本)を送りつけてくる。彼らはヨーロッパのマーケットが欲しくて、私のような作家に声を掛けているだけだ。私は自ら資金を集めて、自分の作品を撮ります」主演女優にベルリン国際映画祭の最高賞を運ぶベツォルド監督の実力から、キャリアを成功させるための“7つの秘訣”を学ぶことができる。①自分の映画を書く:「国際的でなくてもいい。自分の資金は自分で集めるんだ」②“ヒッチコックならどうするか”と問う:「神の視線で、客観視するんだ。適切なタイミングを伺うために」③いつも新鮮な意識を保つ:「頼れるのは自分だけ。ならば疲れないために休む必要もある」④ソースで自由に遊ぶ:「専門家に完全否定されても、一切気にするな。情報はスタートに過ぎない」⑤実在の場所にこだわる:「アイディアも神話も夢を描いていても、“現実”として構築せねばならない」⑥映画館を目指せ:「孤独なホームシアターに意味は無い。作品は“社会的な場所”に送り出せ」⑦書き続ける:「パンデミックだろうと、止まってはいけない。我々は、世界の一部なのだから」ペツォルド監督は次回作の撮影を、“来年の夏”に定めた。「わたしは、肌が触れあいキスをする、愛の映画を撮りたいんだ。毎朝、感染リスクの検査をしたいわけじゃない」 - JUN 06, 2021 IndieWire -

『奇数と偶数の法則とやら 』

余談だが映画業界には、“奇数の成功法則”がある。
奇数にまつわる作品はヒットする、というものだ。確かに沢山ある。
各カットを奇数秒にこだわる、北野武監督の成功例もある。
そもそも日本は奇数を受け入れる習性がある。俳句は五七五、七五三、三三九度、三三七拍子、七夕、一本締め、七福神、七草粥、1月1日(元旦)、五節句、ご祝儀の額などと、

これらはすべて、ただ“奇数”に類する要素をあちらこちらから持ち寄ったに過ぎずならばそれ以外、成功法則の圧倒的多数は“偶数”だと言うことになる。「――の法則」など、信じなくていい。

「7つの秘訣」とは、
7つくらいに絞ってみた、という認識がちょうど良い。

日本でもハリウッドでも芸能界でもスターコミュニティでも、「3つの法則」や「6つの黄金律」、中には「29の掟」などという覚えられない量のものもあるが、成功者の多くは何らかの法則を信じて安心したい、
そういう習性のある人たちだ。

そんな「7つの秘訣」を観てみよう。
そこには必ず、再現性のある「行動法則」が含まれている。

①自分の映画を書く:

「国際的でなくてもいい。自分の資金は自分で集めるんだ」

なるほど、ごもっとっも。
国際映画人は一般的に、事業家たちとの連携が強い。作品というブランドを生み出すマシンと、そのための資金という燃料を運ぶ事業家、の図だ。どちらか一方が大きくても機能しない、バランスが重要になっている。

そんな共存共栄環境は、“自分で資金を集める”というルールの結果だ。社会基盤と同様、映画は、出資者の意向に左右される。映画監督なら、作品の製作者なら、自ら資金を運ぶことなど当然。

本意には、「誰かに権限を握られるな」ということだ。

②“ヒッチコックならどうするか”と問う:

「神の視線で、客観視するんだ。適切なタイミングを伺うために」

誰もがくちにする黄金ルールの一つ。
事業家としても成功されている元国際線の機長から、聞いたことがある。「自分を信じない訓練」についてだ。

どれだけ機体が傾いて観えてもそれは、せいぜい自分独りの脳が判断した結果に過ぎない。自身の判断に固執せず、最新鋭の計器、つまり“情報”を徴用し、副機長、つまり仲間の判断を仰ぎ、総合的な判断を最優先する。

成功者たちでも、なかなかに簡単なことではないという。
そんな彼らが用いる方法が、「客観視」だ。
惚れすぎている自分は冷静ではないならば、傍観する時間をつくる。

それは最適な判断をするためのように見えるが実のところ、「適切なタイミング」を伺っているのだ。成功者たちはしっている。どんなチャンスも、唯一無二ではない。目の前にあるチャンスなど、世界で300は同時発生している。

最重要なのは、そのチャンスを掴むための“タイミング”なのだという。

『 ③いつも新鮮な意識を保つ:

「頼れるのは自分だけ。ならば疲れないために休む必要もある」

個人的に、はっ、とさせられた項目だった。
わたしたちアーティストは時に、突き抜ける。
身体を壊すことなど、なんとも想わない。なんなら苦の果てにこそ、常人が気づけない領域、気付きがあると信じている節がある。

嘘だ。もうこの歳になると、告白することが怖くない。
「自分でゴールを設定できないために、限界という“締め切り”に依存している」ただそれだけのことだ。倒れるまで頑張れば、頑張った感が出る。自分を納得させることもできる。

だが、休んでこそ、フルスペックで挑めるわけだ。至極当然、ごもっとも。

『 ④ソースで自由に遊ぶ:

「専門家に完全否定されても、一切気にするな。情報はスタートに過ぎない」

なんて爽快なメッセージだ。一方で、これは“成功者”だけに必要な項目でもある。専門家から完全否定される為には、それに匹敵する情報発信力を有し、メッセージが他方業界に影響するほどの力が無いと成立しない。

参考にならないので、流してみる。
せいぜい、SNSで受ける暴言に“スルーする力”で応戦してみよう。

だが、学びはある。
我々アーティストは創作活動の取材で得た情報を、まるで教科書のように信奉する習性がある。日々揺れる自身の発想を括り付ける幹であるから当然なのだが、それすらも“スタート地点”だと認識して、存分に遊べ、と。

なるほど、成功者にはとことん、タブーはないのだ。

『 ⑤実在の場所にこだわる:

「アイディアも神話も夢を描いていても、“現実”として構築せねばならない」

意外であった。
チャンスと実力を備え、一流のイマジネーターでもある巨匠ならば、どこまでも自由に羽ばたくものだとばかりに。

だがなるほど、イマジネーションという“架空”だからこそ、その存在を“リアル”だと信じさせるためには徹底的に真実を追究し、「現実にまで昇華」する必要があるわけだ。

創造というゼロが生む“イチ”にこそ、誰もが納得するに足る真実、足をつける地を用意せねばならない。これは、すさまじく大変な作業であろう。
眠れなくなりそうだ。

『 ⑥映画館を目指せ:

「孤独なホームシアターに意味は無い。作品は“社会的な場所”に送り出せ」

客観視に近い、視野の広さだ。
確かに企画開発の初動ではあれだけ大きかったビジョンも、“現実”という過負荷に疲弊して、気付けば心の可動域が狭くなっていることがある。

最初から最後まで、“社会的な場所”を求めねばならないわけだ。
“自称クリエイター”が爆発増殖している昨今、アーティストの目指す場所はどこまでも高く、広くなければならない。

みなさんどうぞ、「NFT」のご活用を。余談だ。

『 ⑦書き続ける:

「パンデミックだろうと、止まってはいけない。我々は、世界の一部なのだから」

なんて美しいメッセージなんだ。こういうところ、事業家の格好つけ本とは、美意識レベルが違う。“止まるな、頑張れ”ではなく、「止まるな、世界の一部だぞ」なんて、考えたことがあるだろうか。この記事を無かったことにして、自分の言葉にしてしまいたい。NFTに出品されたなら、購入して、この世から消滅させてみようか。

そんなバカな妄想だって、新たなソリューションかもしれないではないか。無駄なはずはないのだ。いや、無駄であった。

『 編集後記:』

ここ「アーティスト業界情報局」も今号で、100回となる。

そういうことを書いている文章を目にする度に、「君の記念日を共有する意義は、どこに?」などと捻ていた。だが、言ってみてなるほど、やはりそこには何の意味も無いことを実感した。なにしろ、ちゃんと数えてみたなら多分、98回や101回だったりするのだから。

そんなことよりもう100日以上を経過してしまっている編集スタジオ生活を鑑みて、映画製作の現場へ帰るとしよう。では、また明日。

■ 太一(映画家):アーティスト業界情報局 × 日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、 監督がスタジオから発する生存の記