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【映像芸術という表現】新たな表現方法による作品発表の意義

アーティストは無自覚に、作品の発表方法を限定していることが多い。創作への探求のみならず、活動域の拡大を再考すべき時代である。このトピックでは、「活動領域の拡大意義」を、知ることができる。映画出版絵画彫刻プログラムからパフォーマンスもインスタレーションも問わずしかしその活動場所に疑問を感じていない想いこみに捉えられたままなアーティストの、ために書く。

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『 作品を創る、同じくらいに発表方法を熟考すべき 』

アーティストは“創るスペシャリスト”であるそのことに疑問は無いだろうしかし、“作品の発表方法”においてはド素人である。なんなら疑問に想うこともなく、作品をかけ、並べ、上映し、配信している。オンライン上のプラットフォームを選択しているだけで活動域を拡大していると勘違いしている者が、大多数である。それはさながら、集客できないままに商品を量産し続ける昭和の職人のようで痛々しい。

念のために申し上げる。良いか悪いかの話ではなく、アーティストなのかそれとも、“創りたいだけの趣味人なのか”の話である。

そこで、日本に入っていないニュースをお知らせしておこう。

■ 最新国際ニュース:グエン チン ティがアジアの映像作品に10万ドルの賞金を授与

ハン ネフケンズ財団がアジアのアーティストによる動画像アートに授与する10万ドルの賞の第1回目の受賞者は、ハノイ在住の映像作家で、来年ドイツのカッセルで開催される「ドクメンタ15」に出展が予定されているアーティストの一人であるNguyễn Trinh Thi氏に決定したと発表。

Nguyễn氏の作品は、ベトナムの良心をテーマにしており、流用された素材を使用することが多い。同賞は、M+(香港)、森美術館(東京)、シンガポール美術館の支援を受けており、Nguyễnはスクリーンを使った新作を制作する。同賞には、Ugay AlexanderとWang Tuoも選ばれた。

Nguyễnは声明の中で、「非商業的な実験的アートの実践がいまだに認知されず、注目されていないアジアや東南アジアのために、このような寛大なコミッションを作っていただき、本当にありがとうございます」と述べている。 - NOVEMBER 01, 2021 THE Hollywood REPORTER -

『 ニュースのよみかた: 』

ベトナム人女性の“動画作品”が国際的な財団を経て、アジアの名だたる美術館の支持を得た、という記事。

この短い記事の価値は、重い。
グエンはインディペンデントの映画製作者であり、ドキュメンタリー作家だ。本件によって“動画アーティスト”としての成功を手にし、新たな活動を保証されたことになる。

彼女は母国ベトナムという舞台から、悲劇の歴史や階層的な社会性を選び、それを詩的なアプローチで表現することが注目を集めている。その結果それまでにも、ベトナムの現代アートシーンで最も有名な映像作家でありつつも“動画アーティスト”を公言して、認知されている。これまでの表現プラットフォームは映画館や映画祭、フェスティバルの展示上映だったが、その活動舞台を「芸術界」へと広げたことになる。

作品は変えず、活動域を倍にした形だ。これはアーティストにとって重要な学びである。

『 活動領域の拡大 』

作品表現と同様、アーティストの活動領域には制限が無い。
にもかわらず多くの人々が自身の活動域を出られないのは、“社員アーティスト”が与える業界へのネガティヴな温度への影響が大きい。社員アーティストの多くはその企業が扱っている他社IP.作品の製作がミッションであり、その中のアーティストの自由は、徹底的に制限されている。本人に、非は無いしかし社員アーティストは活動領域を選べない点から、アーティストでは、無い。異論はあろうが、現実は変わらない。

アーティストの作品表現は進化し続けている、ならばこそ、その活動場所は移動、または拡大することが自然なわけだ。

また、“業界のルール”を、護る必要は無い。
業界を牽引してきたのは“企業”でありその企業が社会価値を証明できなくなった現代なのだ。ルールとは、企業のための都合であり、アーティストのためではなくむしろ、観客の為の仕様ではない。つまり、業界ルールは、護る必要が無いのだ。想いこみの活動域を拡大し、まったく未経験の場所で作品を発表してはどうか。躊躇うのは、気持ちの問題だけなのだから。

ただし、業界のマナーを、汚してはいけない。
業界マナーとは、アーティストの一代では生み出せない文化伝承のための、先代からのバトンである。

『 作品発表方法の開発 』

プラットフォームが進化し、アーティストの活動領域は拡大し続けている。その場合に重要なのは作品性のみならず、その“発表方法”の進化である。

オンライン以前、既存の作品発表方法はながきにわたり進化を止めていた。それを継承することに意義はあるしかし、そこに依存している以上、観客目線だとは言えない。

映画監督に映画館、画家にギャラリー、パフォーマーに舞台は必須であるしかしそれはあまりに高尚で、王道だと断言するには観客の活動域にマイナーだ。ならばこそ、アーティストは活動領域の拡大に相応しい、“作品表現方法”を生み出すべきである。ガジェットは多く、表現方法は日々進化し続けている。選べないのは、学びを怠けている者のみ。

本物のアーティストならばこそ、現代の最先端テクノロジーをも選択肢にすべき。「選べる」ことは、アーティストの条件である。

『 全方位アーティストとしての在り方 』

制約に押しとどめられるなら、アーティストではない。社会に抑圧されている現代人のビジョナリーであるならばこそ、大胆かつ柔軟な活動域を選び、ネット上にマニュアルも存在しない最先端のテクノロジーを選択、駆使することが出来るべきである。

老舗も巨匠も、注目を集めたのは“前例の無い最先端”であったためだ。アーティストであるなら全方位に自由であり、恐れず、徹底的に強いべきである。企業や製作委員会の圧に制御されたり、ルールに縛られてそれを言い訳にしているような偽物を生きようとも、わずか数十年で創作人生は終わる。

媚びた人生に、なにを求めようというのか。
アーティストの生き様は、“作品の半分”である。

『 編集後記:』

コンビニのコーヒーにはまり、大人デビュー。
お酒もタバコも栄養ドリンクも飲まず趣味も遊びも休暇も贅沢も旅行にも興味ないわたしがついに、カフェインという、とんでもない常習性に手を出した。コンビニカフェのせいだ。

珍しく国内にいつづけたこの夏の準備を経て2週間の個展の会期中、2食を除いて毎日が“コンビニ外食”であった延長で、“コンビニのコーヒー”を知ってしまった。そもそもに、レタスとキャベツと白菜の区別にも自信が無い程度の馬鹿舌なのだが、美味いかどうかは判る。あぁ、美味いコンビニのコーヒー。カフェインが活力をみなぎらせ、意識を覚醒させ。

ただ、注がれる様子を観ているとあれ、9割がミルクではないだろうか。そういえば、ブラックのコーヒーは好まない。まぁいい。大人デビューは公言したい。わたしはコーヒーを飲んでいる。美味い。

刺激と興奮を平静な意識で制し、映画製作の現場へ帰るとしよう。では、また明日。

■ 太一(映画家):アーティスト業界情報局 × 日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、 監督がスタジオから発する生存の記