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【分散型業界】ディーラーは口で言うほど、芸術を愛しているのか

“製作委員会”という聞き慣れた事業形態がある。世界には無い。このトピックでは、「業界の外の世界」を、知ることができる。業界を生きているつもりが気がつけば業界が生きていないことに慌てた挙げ句に外の世界を知らない自分を知ったアーティストの、ために書く。

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アーティスト情報局:太一監督
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監督がスタジオから発する生存の記
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『 分散型事業とは真逆の“分散型業界” 』

経営学修士でいうところの「分散型事業」端的に評すれば、大企業不在の業界で個人の資質に左右される大規模化不可能な“乱戦業界”とされる。

だが一方で現在、企業の急激な業態変更にともなう業界の弱体化により台頭している輝き、企業が運営管理してきた“業界”に代わる力こそが、「分散型業界」である。簡単に言えば、

大企業を崇める中央集権型のピラミッドは枯れ、独立したコミュニティーが連携して価値を共有する「新業界」が誕生している、ということだ。それは世界同時多発的な現象であり、日本ローカルの“製作委員会”のような小さな力が規制できるものではない。拡大し続ける個人の連携は効率的で早く、国境を持たず、不可能を越える力を持っている。彼らには、企業を恐れる理由がない。依存していないためだ。

そこで、日本に入っていないニュースをお知らせしておこう。

■ 最新国際ニュース:ウェス アンダーソン監督の「フレンチ ディスパッチ」を支える実在のアートディーラー

20世紀前半、オールドマスターの作品を超富裕層に販売して財を成したジョスぺ デューヴンほど、美術市場に大きな貢献をしたディーラーはいない。デュヴンは、ヨーロッパにはたくさんの芸術があり、アメリカにはたくさんのお金があることに気づいた。彼の驚くべきキャリア全体がその単純な観察の産物であった。

これが、ウェス アンダーソン監督の最新作「The French Dispatch」のインスピレーションのひとつであり、3人のジャーナリストと彼らの有名なストーリーを描いている。

デュヴンは、自分たちを価値の決定者と考えていた。アンドリュー メロン、J.P.モルガン、ヘンリー クレイ フリック、ベンジャミン アルトマンなど、当時のアメリカの伝説的な大富豪たちの好みを形にしていった。

デュヴンは、天文学的な価格で作品を購入し、それらの作品が非常に価値のあるものであることを顧客に納得させるというトリックを実質的に発明したのである。ニューヨーカー』誌の記事によると、デュヴンはある貴族の肖像画をイギリス人女性から購入した際、彼女が当初求めていた18,000ポンドではなく、25,000ポンドで売るように説得したことがあるという。彼は、自分が売れる価格が法外なものであることを知っていたので、良心の呵責があった。彼女から奪うことはできなかったのである。また、自分の提示額を上げることで、後になってより高額な絵を要求できることも知っていた。つまり、彼は自分の在庫の価値を巧妙な操作によって高めたのである。

今となっては、デュヴンの話がやや古臭く感じられるが、彼はドラマチックな才能と激しい競争心から、さまざまなトラブルに巻き込まれた。デュヴンのような人物の根底にあるのは、ディーラーは口で言うほど芸術を愛しているのか、それとも本当は金儲けに夢中なのか、という古くからの疑問である。 - OCTOBER 25, 2021 ARTnews -

『 ニュースのよみかた: 』

ウェス アンダーソン監督が新作で描いたのは、実在のアートディーラーの姿から浮き彫りになるアート思考、という記事。

分散して飛ぶ鳥の群れはしかし、一つの目的に向かい、価値を共有しながら運命を生きる。アーティストたちが集い、互いの活動を応援しながら唇を噛んで日々を生きるのは、ディーラーのためではない。だが観客の望みを満たしてアーティストの夢を叶えるためには、ディーラーが必要である。

『 依存するから、怖い。 』

アーティストの多くは、声を持たない。業界に依存し、企業からギャラを頂いて生活しているためだ。手がける作品は“受注”した“他者のIP.作品”ばかり結果、どれだけキャリアを積もうとも自身のオリジナル作品を持てず、企業に意見を上げられず常に業界の情勢に左右されながら現役寿命を終える。

一方で、世界のアーティストたちは「声の力」を熟知しておりその延長線上に作品を生み出すことで、ぶれの無い価値化を実現している。

アーティストとしての主張を自在に発言できない状況とは、“中央集権型組織”に依存して生きている証である。つまり、アーティストではない少なくとも、世界の標準的なアーティストでは。

『 製作委員会は、日本のみ。 』

LLC.または合同会社を設立せずに既存業態同士が集い、幹事会社以下にピラミッドを形成する昭和の“中央集権”習慣が続いているに過ぎない。そもそもにメジャーの恩恵を受けていないインディペンデントにとってみれば、気を遣う対象ですらない。

放送と販売を中心に編成された出版IP.依存の企画を扱うには必須の形態であろうことは、理解できる。それが談合でないならばやがて、経理のブラックボックスはガラス張りになるのだろうか。

いや、業界のクラスター化とコミュニティの権力拡大そして企業の衰退により製作委員会は、存続不可能になる。製作委員会に怯えているアーティストに、申し上げる。頼るなら愚痴らず生きることだ。頼らないなら、一切躊躇うこと無く自身の正義を通せば良い。

わたしたちは、怯えない。
圧力をかけられるなら、全公開する。“価値の共有”である。
非中央集権型コミュニティによる分散型業界、そこは日本では無いからだ。

『 日本の業界ルールは、世界と異なる。 』

自らが生きる世界のルールに影響されるのが、自然な活動方法だとされてきた。しかし、テレワークに触発されて活動の重心をオンラインに移したアーティストも少なくない。

オンラインは、日本では無い。
クラウド含むオンライン プラットフォームは国外であり、“世界ルール”である。

もしも恐れないなら、業界の外に“意識の重心”を置いてみることだ。オンラインでのシミュレーションなら、善くも悪くも影響は少ない。オンラインという“国外”に飛び出して、他国のアーティストと共同作業を行いながら、彼らの常識を通して、日本の業界を監視してみるといい。

日本の業界を指揮している幹部の多くは、世界の今を知らないどこかの企業の中のピラミッドに属する、会社員だ。気にかけるまでも無い。言い過ぎだろうか? 良い足りないのだが。

『 編集後記:』

本日、幕張メッセにて「ブロックチェーンEXPO」が開催される。
仲間のCoinPost社の各務社長が登壇するので、撮影してこようと想う。のだが幕張メッセよ、遠くはないか? 遠すぎやしないか?

しかし慣れ親しんだL.A.往復には、遠すぎるという意識がないから不思議なものだ。取材の断片を資料化する作業に5時間、映画をザッピングしているうちに寝落ちする快感から目覚めて、映画のSCRIPT(映画脚本)用PLOTの改稿に2,3時間を過ごせばもう着陸。また食事をとれないままにLAXへ降り立つこととなる。

なるほど、電車の移動時間には集中できる作業が無いためだ。
つまり幕張メッセよ、遠過ぎやしないかと想うのだ。

目の前の小さなひとつひとつを愛でて遠すぎる近未来を信じ、映画製作の現場へ帰るとしよう。では、また明日。

■ 太一(映画家):アーティスト業界情報局 × 日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、 監督がスタジオから発する生存の記