福島note

ふくしまで見えてきたもの vol.1 浜通り・浪江町

「ずっと行きたかった福島。でも逆に色んな情報が入ってきて、疲れ果てて、何をしたいのかわからなくなった。」

「放心状態で早1週間が経っちゃったけど、とりあえず書きます。」

って書いて放置してました笑。船乗る前に、全部表に出します(全4編)

※写真は全て未加工です。ぼくが見て感じたままをご覧ください。

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「復興は全然進んでいません。」

(↑立ち入り制限区域の風景)

沿岸部を見ながら役場の方が発した一言。重くて、何もできなかった。

怖くて切れないシャッター。
それでもシャッターを切ることに逃げるしかなかった。

チェルノブイリに行った時、「今後福島をどうしたいのかって、俺たちがしっかり向き合って考えなきゃいけない。」そう思った。
そして浪江町の稲刈りに参加。稲を刈っている時は、「しっかり田植えをして、人が集まるくらいには回復しているんだな。」ってなんとなく思っていた。

しかし沿岸部には瓦礫の山、封鎖された道路、放置された田んぼ(もはや雑木林)

これでどうして「福島は復興した」って言えるんだろうか?
自分に何ができるんだろうか?

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「浪江に人が戻ってないなんて、みんな思ってないでしょ?」

(↑まだ使われていない田んぼ。)

ワークショップで一緒になった農家の方にさらっと言われた。ナイフで刺されたような気がした。

自分なりに調べたけど、恥ずかしながら、村に帰れるから、ある程度落ち着いたと思っていた。

でも故郷を追われた人たちにとっては、全然変わっていない。故郷を取り戻すことがゴールなのだから。

原発で町が潤っていたのは事実。でも電気を使っていたのは、俺たち以外の何者でもない。

お金を払って契約していたけど、町が消し飛ぶリスクなんて考えきれていなかった。故郷に戻れないってこういうことなんだ。

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「電気使ってるのは東京だべ?」

(↑柵の向こうは立入禁止区域。バスの中から)

銭湯で出会ったお父さんにさらっと言われた。長崎に避難して、今は里帰りだそうだ。奥さんの実家が農家で、この地で農業をしていたらしい。

何度も思うけど、東京に置きたくないものに蓋をして、地方に置いている。でもそれを意識したことがなかった。

自分が何も発言しない、知識がないことが、他の地域を苦しめている。「知らないことは罪だ。」世界史の先生に言われたことを強烈に思い出した。

でも、最後にかけてくれた言葉。
「若いうちに色々経験して、自分の目で見て。今しかできないから笑」
正直何をすればいいのかわからない。

でも一歩でも足を動かす。今できることはまだまだあるかもしれない。

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