セカンドハーフ通信 第3話 親の死

第3話 親の死

父がお世話になっている老人ホームは、原っぱと新興住宅が点在する埼玉のベッドタウンにあった。駅を降りてからその老人ホームまで、25分ほどの道のりを父を思いながら歩いていく。途中には中高一貫の私立学校やプロサッカーチームのホームグラウンドもある。クラブ活動の練習をしている人たちが大きな声を出している。その活発さがまぶしい。

父は大きく胸で呼吸をしながら寝ている。もう1週間ほど目を開かない。耳元で「お父さん、会いに来たよ」といってみた。妻は「お父さんはちゃんと聞いているから話しかけてね」と私に言った。父の最期までもう間もないだろうと知ってから、2日ごとに東京と老人ホームを行き来している。

父の死を考えながら、その人生を想う。今はこんなにおとなしくなってしまったけれど、大分気性の激しい人だった。母を亡くしてから20年近くになるが、独りになっても活力は衰えず、書道を習いはじめ、いつの間にか大会でも入賞するほど打ち込んだ。その後、背中を痛めての病院通いから、体はどんどん衰えていき、今の施設にお世話になることに。ここ1年くらいは体が思うように動かなくなり、会うたびに不満を言うようになった。あらためて、老いること、最期を迎えるそのときが、あっという間に進んでしまうことを思い知らされた。

奇しくも、父の余命を知ったのは、私が会社を辞めることを決めた直後だった。何か不思議な因縁を感じる。お陰で頻繁に父にも会いにこれた。母の時も、また父に対しても、親の最期をしっかりと看取れるのは幸運だと思う。

昨日は風の強い日だった。原っぱからの風は土ぼこりを顔に吹きつけ、コンタクトレンズをしている私の片目は真っ赤になった。部屋で父の状況を説明してくれた看護士さんは、片目だけ泣きはらしたような私の顔を見て不思議に思っただろう。

帰り道でも涙でぼろぼろだったが、ふとした瞬間にコンタクトがずれて痛みがなくなった。亡き母が、私があまりに痛そうなので、父の面倒の御褒美に助けてくれたのかもしれないと思った。

今朝、父が亡くなったことを兄弟からの知らせで知った。起床時間に確認したところ、すでに息をしていなかったという。苦しまずに逝けたように思い、ほっとした。昨日、すやすやと寝ている父に話しかけた自分が最後に会った肉親となった。「また明後日くるからね」と声をかけた。

親を亡くすことは、自分が先に逝かない限り、誰でも経験する。経験してみないとわからない、なかなかうまく説明できない気持ちだ。とても悲しいことではあるが、それだけにはとどまらない。ひとついえることは、自分の将来の姿を既知夢のように見ているようで、死ぬこと、生きること、人生について、深く考えさせられるということだ。

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