外資系企業人事部長の部下へ宛てたHR Letter「グローバル企業での働きかた」第30話 フェアであること

第30話 「フェアであること」

私が信条にしていることのひとつに「誰にもフェアに接する」があります。これは母からの影響によるものです。

私の母親が亡くなった時、弔問客の中に家族の誰もが見覚えのない女性の姿があり「自分は貧しい育ちであちこちで差別を受けていたのだけれど、あなたのお母さんは誰にも平等によくしてくれた。それで今日は最後のお礼に来ました」と言い、深々とお辞儀をして去っていきました。この時の経験で「自分もフェアな人間でありたい」と強く考えるようになりました。

実生活のなか、常にフェアであるということは頭で考えることよりもずっと難しいことです。

例えば、評価をフェアにするということを考えてみましょう。

ある上長が自分の部下Aさんをマネージャーに昇格させたいと考えたとします。しかしながらAさんはまだ若く、マネージャーとしてのリーダーシップが足りません。人事としてはその点を上長には問わなくてはいけません。一方で人の評価は様々です。この場合はしかるべき見識をもった第3者にインタビューしてもらうことによって判断をすることがフェアだと言えるでしょう。特にその人の仕事ぶりを見ている受益者側にその人が常日頃からマネージャーに足るのかを見てもらい、また他の人の意見も集約しながら最終判断するのがフェアだと思います。

もう1つの事例は、対応をフェアにするということの難しさです。

Bさんは当初受け入れた転勤命令を後になって受けられないと拒否してきました。会社は転勤をきっかけにBさんの処遇を見直していました。よって、転勤の拒否は本来であれば業務命令違反となります。しかし、その後丁寧に話を聞いていくと、Bさんはお子さんの病気でどうしても転勤できないという事情がわかってきました。そこで、お子さんの診断書の提出と給与の見直しを元に戻すことを条件に転勤の取りやめを認めることにしました。

この事例でのフェアとは、転勤命令と処遇、お子さんの病気という特別な事情をバランスさせることだったのです。

つまり、フェアであるということは時として単純な判断ではなく、いくつかのファクターを総合的に考え、判断することも含まれているわけです。状況が込み入っていて対応が難しい時こそ、フェアであることが難しくなります。何が重要要素なのかがわかりにくいからです。

人事における判断の難しい場面とは、個人の利益に関するものや会社方針の実行など、利害関係が複雑に入り組んでいるケースです。時として、損であるか得であるかはフェアであることとは一致しません。また、会社の方針が個人の利益と反することもあります。筋論とともに、個々の事情も理解したうえでの最終的な判断が求められるわけです。

一般的には、その場での一番受け入れやすい方法に判断が流れてしまいがちですが、翻って、なにがフェアであるかを深く意識することで筋論を見失わないでいられます。そうすればケースによって判断がぶれるということを避けやすくなります。

フェアであることを常に念頭に置きながら1つ1つの案件に対処していくと、周りの人から見ても考え方に一貫性があると信頼を得ることができます。そうすると、個別のケースにおいてその是非がわかりにくいとしても、周りからの信任を得ることができるようになるのです。


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