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歓迎されざる舞台

最近、「映画がなくなる未来」を描いた映画を観た。近い未来、映像のスタンダードは5秒となり、映画館もなくなる、らしい。

ネタバレを避けるために作品名は出さないし、詳細も避けるけど、その場面になった瞬間、冷や水を浴びせられたような感覚に陥った。
想像もしたくない未来だけど、現実に映画の存在感は確実に世の中で薄れつつある。自分が愛し、生業としているものが、世間から必要とされないという事実に、こうやってふとした瞬間に頬を打たれる。

今回、東京五輪に出場したアスリートたちの気持を慮ると、同じように心苦しくなる。
彼ら、彼女らは、僕が映画というフィールドで感じていることの何十倍、何百倍、何千倍もの虚しさ、苦しさをこの数年で感じたのではないだろうか。
アスリートたちは、この大会に参加することを大手を振って歓迎されることはなかった。批判さえ受けた。開催前、アスリートのSNSアカウントに出場辞退を迫るコメントが溢れたという(恐らく開催期間中も同様の行為が続いたのではないだろうか)。
コロナ禍前から、五輪反対派だった僕としては、その投稿をする人の気持ち、論理が全くもって理解ができないというわけではないが、あまりにも残酷な行為だ。

選手にとって、オリンピックに出場するということは一世一代の大舞台。メダルを取ろうものなら人生が一変する可能性だってある。日本人アスリートなら尚更だ。
ただ、その人生を賭けた舞台が、国中から、世界中から歓迎されてないという事実、その空気にアスリートたちはどのように向き合い、耐えたのだろうか。

 

定型の言葉ではあるけれど、

この国の醜態が詰まった大会運営の是非は置いておき、
その中で、耐え、躍動したアスリートたちに
心からの敬意を表したい。




文:ナオキ

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