見出し画像

なんだか眠れず

菅平合宿に行ってきました。今年で2回目。昨年は総理大臣杯・夏の全国大会があり、合宿を免れたけど、今年はそうもいかず。

「ベクトルを自分に向けろ」と1年の頃、よく言われた。他人事で逃げてきて、自分のタスクだけをこなしてきた。

3年の夏が終わろうとしていても、まだベクトルは自分に向けられていないと気づきました。



来年でダボス最後か。

ダボスとは、ダボスの丘の走りのこと。ダボスの丘はスキー場で、雑草が生い茂るこの夏休みに有効活用?している(笑)

尋常ではない階段ダッシュと急勾配な上り坂を走る。カラダ全身が今も筋肉痛。

でも、こんなにカラダを痛めつける合宿に行けるのは、きっと来年で最後だ。

何でサッカーしてきたんだろう?

最近、考えているこの問いに、またぶつかった。今日も要素は出ても、答えは出ない、言語化もできません。


5歳からずっとサッカーをしてきた。兄を追いかけたくなって、兄のようになりたくて始めた。

サッカーは、目の前のプレーに成功or失敗が必ずあって、1試合ごとに勝利or敗北がハッキリとする。結果に固執しがちなのは、勝ちたいからで認められたいから。負けから学ぶこともある、とよく言うが理解はできても所詮は綺麗事に過ぎない。学ぶことはあっても負けは負け。サッカーは、誤魔化せないからこそ、本気になれるし、抱えたくない感情や受け入れがたい現実とも向き合わされると考えます。

小さい頃の僕は、物事を0か100でしか捉えられませんでした。そこそこ、まあまあ、がなく、1位かドベしかなかった。それは、サッカーによって形成された思考だと思います。サッカーを0(負け)か100(勝ち)で捉え、それが僕の思考方法の一つになったのです。勝てなければ何の意味もなく、成長もない。無駄な時間だったとさえ思っていました。この時間、本当にもったいなかったなーーー。

今年は、勝てていない。前期リーグ11試合は、✖︎✖︎△✖︎✖︎✖︎✖︎○○✖︎○で、負けてばかり。個人的にも出場した試合はわずか4試合で、負けてしかない。

負け続けた前期で成長できたことを探してみた。
ザックリ言えば、負けることを恐れなくなったことだった。そして、50(何となく)でサッカーを捉えられるようになったことだった。

こんなに上手くいかない時期は、サッカー人生でなかなか訪れない。変化を求め続けるチームで変化した結果が悪い方に転がった。事象としては、ただそれだけなのだが、その変化にチームとしても個人としても対応できずに、加われずに、今に至る。

負けて気づくことがある、と思えたのは負け続けたからだろう。50で何となくでサッカーを捉えられるようになった、わけだが、決して適当ではない。何となく?というより、広く?サッカーを捉えられるようになり、サッカーをする意味を真剣に現実的に考えられるようになったって感じ。

夏休みに、1社だけサマーインターンに参加しました。いよいよ、上を目指せなくなった時のためであり、働くとはどんなことなのかを知りたかったので。同じグループには、早稲田スポ科(僕)が常にペコペコせざるを得ない学歴と魅力的な個性を持つ学生がいました。本当に学ぶことが多く、大変だったけど、めちゃくちゃワクワクしたな。何より楽しかったー!!!

僕自身のこれまでを振り返ると、サッカーは人生であり、成長であり、かけがえのない時間であり、繋がりであったが、手段でもあったとサマーインターンを経て感じました。サッカーを真剣に現実的に捉えるためにサマーインターンに参加した、とも言えます。

サッカーは手段、僕にとっての強み。振り返っても、必ずサッカーが絡み、当時のことを思い出す。自分自身はもちろん、他人やチームに求め、感情や空気感に訴えかけることもある。気持ち悪くなるほどの巡り合わせや縁に恵まれることも多いような。

小6の僕とキング・カズ。
カズに憧れて横浜FCのスクールに。
残念ながらこの日の面談で、ジュニアユースに上がれない、と告げられます。面談後だったら写真を撮る気になれなかったかもしれないのでこの写真は面談前です。そして、ニコニコ坊主頭は、1時間後に悔し涙でいっぱいになります(笑)

この日から5年が経ち、僕が高2で国体優勝した時の監督が、ニコニコ坊主頭の肩を叩いた重田さん(左下)でした。久々の再会で、同じチームで戦い、見事に導かれました。当時のこともあったのか、主将を任せてくれて、輝かせてくれて、今、早稲田でサッカーやらせてもらってます。

周りの奴に淘汰され、上がれなかったニコニコ坊主頭は、負けから学ぶことをこうして身をもって覚えました。こんなエピソードが幾つもあって、たくさん挫折と成功を繰り返して、今に至ります。

でも、不思議なことに負けている時って思うがままに突き進んでいる感じがします。そんな状況を打開するのは、意外とシンプルでベースとされていることが重要だったりします。

そして、振り返った時に、ようやく、変わった?成長できたかも?と、“?”レベルでの気づきを得られます。そんなもんだと思います。めっちゃ成長したー!!!なんてなかなかない。


0か100思考でも、迷っちゃっても、上手くいかなくても、サッカーを手段として捉えれば、無駄なことはきっとなくて、何かしらの形で自分のためになるのでは?それに気づくのは今ではなく、気づけた瞬間が成長なのかな?

んー不完全燃焼ですが、そろそろ眠いです。
明日もサッカーします。

それでは、また!!



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?