1月は何かを始めたくなる季節

noteを始めることにした

【きっかけ】
強いて言えば新年。
これまで、はてなブログで不定期に「恥と夢」というしみったれたタイトルのしみったれたブログを書いていたけど、自分が書くような個人的でしみったれた文章はnoteで書くのが今の流行りっぽいのを常々感じていた。年が明けたのをきっかけにしみったれたnoteを始めることにした。

【目的】
ただ自分の思ったことを書く場所が欲しい。
幼稚園児は毎日お母さんに「今日ね、こんなことがあったよ」と話すが、これは話すことでその出来事を自らの脳に記憶として定着させているのだと聞いたことがある。話さなければ記憶として定着せず、その出来事は"なかったこと"になるらしい。
残念ながら僕は一人ぼっちで出来事を話す相手がいない。僕の人生をなかったことにしないため、noteを書くことにした。寂しいから。

数字に意味を持たせること

1月はとにかく何か新しいことを始めたくなる不思議な力を持っている。
今日はいつも行く松屋ではなく𠮷野家に行った。考えてみれば、"1月"はただの数字であって、そこに本来力はないはずだ。

今の1月1日を新年にしたのは人間だ。旧暦は現在の1月下旬から3月上旬ごろに当たるらしい。(けっこう幅あるね)
いつを1月1日にするかは人間の"決め"であって、もともとそこに何かがあったわけじゃない。いや、正確には何かがあったからその日を1月1日にしたんだろうけど、どちらにせよ誰かの作為によって1月1日は意味を持つことになったわけだ。

「バレンタインデーにチョコをあげる習わしは、企業のでっち上げだよ」と言う人がいる。これも「2月14日に女の子が男の子にチョコを渡す」というのは、もともとなかったところに企業が持たせた意味だ。
でっち上げと言えばそうなんだろうけど、そのでっち上げを多くの人が意識した結果、2月14日は力を持つようになった。

意味のなかった場所に、多くの人が共通認識を持つことで、意味が生まれる。

小学生の頃の読み聞かせで、みんなの思念でサンタクロースが存在しているみたいな話があったんだけど、なんだかそれを思い出すようでロマンチックだなと思った。

せっかくなら自分もどこかに何かの意味を持たせてみたい。
自分の持たせた意味で日本中を巻き込むことはできなくても、誰かとの意味を持った記念日ぐらいは作れるだろうか。
と思ったら、俵万智がサラダ記念日でやっていた。ステキ。

数字に意味を持たせないこと

逆に、意味を持っているものが意味をなくすことで面白いことってないかなあと考えた。

わかりやすいのが年齢だ。
普段生活しているとどうしても年齢に考えが縛られる。20歳になればお酒飲んだりタバコ吸ったりできる、という制度的な縛りや、30歳にもなれば20代より落ち着いたキャリア形成に努めるか...といった思考になる。

ここで伝えたいのは、縛られることが悪だということではなくて、ただなくなったらカオスで楽しそうだなって話だ。

最近観た映画『鍵泥棒のメソッド』(おもしろかったからオススメ)で、香川照之が記憶喪失してその場にあった他人(堺雅人)の財布を自分のものと勘違いして生きることになっていた。
生年月日が堺雅人のものだから、他人に年齢を紹介するとき「30代半ば...らしいんですけどね。老けてない?って自分でも思います」のように言っていて、面白かった。

いくら年齢を気にしないように努めたとしても周りは"その年齢の人"として自分を見るし、ピグマリオン効果によって他者からの期待に影響されてしまうものだ。

「いいやオレは自分の年齢なんて気にせず行動するねッ!」と豪語するおっさんがいても、じゃあ自分の年齢気にせずTikTokやるの?って話だ。

実際は高校生ならみんなTikTokやるわけじゃないし、いくら18歳だろうが顔や社会的な立場がおっさんのままでは厳しいだろう。
後者の問題は、インターネット上の、アバターでのコミュニケーションであれば解決するだろう。

そう考えると別に記憶喪失しなくたって、インターネット上で女の子のプロフィール画像にしてネカマをすればその状況が体験できるのかもしれない。
と、実際考えてみると事実と違った自己イメージを持つこととか、複数の自己イメージを持つことってエネルギーが要るね。

実社会はまだお互いの顔を知ったリアルなコミュニケーションがメインだけど、VR空間でのアバターを介したコミュニケーションとかがメインになる世の中が来ればまた変わったりするのかな。

年齢や立場、見た目が自由となり、言葉だけのコミュニケーションとなったとき、自分はどんな人に見られて、どんな人と仲良くなるんだろうな。

まとめ

インターネット上でどのような意味を持たせるかは自分次第なので、僕は最強の男としてnoteを書き続けていくぜ〜〜

✌️✌️✌️