わたしと海〜海に産まれ海で育ち海に生きる僕の場合〜
僕ほど海とともに人生を歩んできた者はいないのではないか。
「わたしと海」というテーマを見たときに文章を書かずにはいられなくなった。
僕が産まれた家
僕が産まれたその家は玄関から15メートルで海がある家だった。
日本列島の西の果て、小さな小さな離島に僕は産まれた。
コンビニねぇ、信号ねぇ、車もそれほど走ってねぇ、の世界である。
本土に渡るためには1日4便しかないフェリーに乗らなければならない。
厳密にはこのフェリーが着くのは『橋がかかった少し大きな島』であり、まだ本土には辿り着けていない。
僕の父は巻き網漁船の機関長で、祖父は巻き網漁船を引退し、祖母とともに近海で刺し網漁を営むまさに『THE漁師の家』だった。
海とともに過ごした幼少期~魚を釣って自ら捌く~
幼少期は『何もない時代』+『何もない島』だったので遊び場は必然的に海だった。
なにせ玄関を出れば15メートルで海がある。
起床後1分で釣りができるのである。
朝方、家の前の港では祖父母が沖から回収してきた魚網を船から下ろす作業をしている。
その時網にかかった小魚や海藻などを落とすので、その真下にはおこぼれに預かろうとする魚がたくさんいて絶好の釣りポイントなのであった。
小学校3年生の時の家庭訪問の話だ。
その日は学校も早く終わったため、帰宅後すぐに近くの波止場に釣竿をもって直行した。
2時間足らずでその日の家族分の夕飯には十分な量の釣果を得た僕は、意気揚々と帰宅しすぐに夕飯の支度にとりかかった。
うちには庭先に魚を調理する専用のスペースがあった。
漁師が多い地域なので、なにもうちだけが特別なわけではなくどこの家にも似たようなスペースがあったのだ。
玄関横のそのスペースでその日一番の獲物である30センチ越えの石鯛に出刃包丁を向けたときだった。
「こんにちわー!」
島の小学校に赴任してきたばかりの30代男性の担任が家庭訪問に訪ねてきた。
玄関横の僕を見つけるより先に先生が見つけたのは石鯛だった。
僕は石鯛に向けた出刃包丁を止め、石鯛を目の前に掲げて見せた。
「おぉ!それどうしたんや!?」
「どうしたって釣ってきたにきまっとるやん!」
「なに!お前がか!」
「当たり前やん!」
聞けばこの先生は釣りが趣味らしい。
「そんでこれどうするんか?」
「どうって今からオレが捌くったい!」
先生は家庭訪問そっちのけで魚を捌く僕にあれこれ質問してきた。
いつもこうやって魚釣ってきては自分で捌いているのか?
いつから魚を捌けるようになったのか?
考えてみれば魚を釣ってきて、自ら捌く小学3年生は島を知らない人には新鮮に映ったのだろう。
玄関先からなかなか家の中に入ってこない先生を見かねて外に出てきた母に「はい、これ今日の晩飯」と捌き終えた魚を渡す僕を見届けて、先生は立ち上がった。
「たいきくんは学校でもよくやっていますよ」と一言だけ残して先生は満足そうに帰っていった。
海とともに過ごした幼少期~海で遊ぶ~
島の小中学校にはプールがない。
もちろん水泳の授業もない。
子供たちは海が遊び場なので、それでも泳げない人はほとんどいない。
夏休みは地域の大人たちが輪番で監視員となり、指定された時間海で泳ぐ子供たちを見守る。
島の子供たちの「海遊び」は他の地域のそれとは一味違う。
男の子であれば小学校3年生ともなれば素潜りをやり始める。
海底にはサザエやナマコ、時にはアワビなどもいる。
島の海は食材の宝庫なのである。
もしくは、波止場の高いところから海に向かって延々とダイブする。
我々島人は7メートル、8メートルの高さでも下が海であれば平気で頭から飛び込めるのだ。
島の子供が海で遊ぶと言えばメインはこの2択なのである。
なので島でモテる男子というのは「高いところから美しく飛び込めるイケメン」か「サザエをいっぱい取れるイケメン」のどちらかなのである。
このような環境で育った僕は「砂浜の海水浴場に行って人は何をして遊ぶのか?」が未だにわからない。
そこにはサザエも居なけりゃ、飛び込めるような高台もないではないか。
一年の半分以上を海の上で過ごす今
以上のような環境で育った僕は今、船乗りとしてとある会社で働いている。
一年のうち半分以上は海の上にいるのだ。
僕が海の一部なのか、海が僕の一部なのか。
もう好きとか嫌いとかではなく、海とは僕にとってそれくらい身近なものなのだろうと思う。
海に産まれ、海で育ち、海に生きる僕は、今この文章を海の上で書いている。
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