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わざわざ

僕の理想の髪型は坊主だ、というくらい、ほんとうは髪型に興味がない。

だが、およそ1ヶ月に1回のペースで、代官山にある床屋さん『barber boys』で髪を切っている。
家から近いというわけではないし、1000円カットが流行る世の中でカット5000円を払って、休みの日の午前中に「わざわざ」赴いている。

単に目に見えるお金や時間といった数字を見ると、なぜそんなところに行くのか、さっぱりわからない。

でも習慣になっているのだから、そこには何かがありそうだ。

具体的なことで言えば、いつもより長め、短めとだけお願いしても仕上がる髪型が素晴らしいし、シャンプーから一貫して一人で対応であるし、時間に正確で、会話もお互いの1ヶ月の、過去の映画やアニメ、美術館などのおすすめや相手が好きではないか、という話しを45分の間にギュッと詰まった時間が体験できる。

こうやってつらつらと書いていて、少しわかった。

気持ちいいのだ。
その場所での時間を介すると、そのあとのじぶんがご機嫌になれる場所が、人が「わざわざ」でも訪れたくなる場所であり、時間なのだと。

この「わざわざ」は、目的が叶う機能だけがふんだんに揃っているからといって、行きたい、味わいたいとなるものではない。
amazonやアパホテルは便利だけど、感動はしないし、また使いたい、訪れたいとも思わないほど機能でしかない。


つまり機能は満たしながら、圧倒的に『あなたのため』を味わうと人はうれしくなって、かつわたしのためにしてくれているあなたに何かできないだろうか?
となり、わたしなりのお返しをして、それが喜んでもらえる。
そうするとまたその人から何かがやってきて、それがまわりだす。

そんな『あなたのため』の循環が起こること。
それが人が「わざわざ」行きたくなる場所であり、会いたくなる人で、味わいたい時間の正体なのではないかと思うのだ。
現代の豊かさとは、実は僕の、あなたの「わざわざ」の中にあるのかもしれない。





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