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必要ないこと、役に立たないことのススメ

今日知人が呪いのわら人形の話しを偶然していて、「今の時代はそういうものも、amazonで買えるからね。」

ときっと冗談で話していた横で調べたらほんとうに売っていた。


様々なものを効率化して、何でも売っていて、何でも買えて、何でも翌日には手に入る世界になったことは望ましいことだと思う反面、僕はamazonで買った呪いのわら人形に恐怖を覚えない。


家にあるわらで人形を作り、さらに家にある釘と金づちで、皆が寝静まった夜中に一人忌み嫌う人間に呪いをかける。

食べていくこと、生きていくことにも不安が付きまとう時代で生きていくために必要な作業で1日が終わる世界の空き時間に、ありもので誰かを呪う。

『アイツさえいなければ』という勘違いと執着が、その思い込みにかけた手間と時間が、呪いの正体であり、恐ろしさだからだ。

なので先ほど書いたように僕はamazonで買ったわら人形は恐くないし、もっと言うと買うだけのわら人形は必要ないとも思う。


どんなものであれ効率や能率を突き詰めていくと、最後には「それは必要ない」という結論にたどり着く。
現代の人が疲れているのは、効率化の名の元、自分のしていることは、そもそも人自体はもう必要ない、という方向に自分たちで向かっているからだ。


しかしわら人形や呪いが助け船で、それに抗う術がある。
必要ないこと、役に立たないこと、手間がかかること、時間がかかることをやること。

先ほどの呪いのわら人形が何物にも代えがたく恐ろしいのは、必要ないことを必要だと思い込み、手間と時間をかけたからだ。


あなたが求めるものがおもしろいだったり、楽しいだったり、美味しいだったり、美しいだったりしたときは、役に立つかは気にせず、あなたが信じるものに、そこに近づくと思える方法に手間と時間をかけよう。

効率化を目指して効率化して役に立つものを生み出した場合、最終的には「必要ない」と言われる宿命を背負っている。


効率化に抗う方法は、「はじめから役に立たないもの、必要ないもの」に「手間と時間」をかけることのように思える。

そうすることで、必要ないと言われてもそんなの始めからそうだったし、手間と時間をかけたことで磨かれる、見出だされる価値やその最中に見つけた美は、何物にも変えられない経験であり、あなたのセンス、審美眼になるからだ。


そんなことを呪いのわら人形の話しをしている知人の横で黙って座って考えておりました、という話しでした。



今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
恐いって、大体が執着のズレとか相違だよね。
わからないとか、通じないみたいな。


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