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今日のじぶんと過去のじぶん

節目というものを迎えた時に何かいただいたり、サプライズのようなお心遣いを頂戴することがある。


そういうものを受け取る時に、味わうときに、必ず思うのは、相手の方への感謝のあとに、昨日(過去)のじぶんよ、ありがとう。
とも思うのだ。


歳を重ねるごとに、純粋な偶然というのは減っていき、世界とじぶんの接点は増えている。
それは簡単で、この世界に長い時間居るからだ。


今日一緒に居たAさんは、初めてお会いしたときはあそこで、きっかけはBさんとのご縁の関係で、Bさんとの始まりは〜などと今日の、今目の前の時間は、様々な縁が絡み合った中で繰り出された時間で、それは過去のじぶんが丁寧に、大切にしてきた時間の積み重ねでもある。

今日が、今が幸せだと感じるのはもちろん今に集中しているからに他ならないが、かつて今に集中した過去の恩恵を受けているとも言える。


そうだとするなら未来のじぶんが、過去のわたしよ、ありがとう。
と思ってくれる今は、どんな今だろう?
と思いながら振る舞うということは、未来のじぶんを助けることに、未来のじぶんをご機嫌よく暮らせるようにすることに繋がりはしないだろうか?


と最近よく考える。


そして過去のじぶんに感謝したくなるうれしいこと、楽しいこと、ご機嫌なことって、多くが「人と仲良し」ってことが根っこにあると思っていて、人と仲良しになるには、やっぱり回数や時間を出し惜しみしないで、愛情や関心を向けるしかないように思います。


それが巷でよく聞く「今を生きる」とか「今に集中する」ってことなんだろうと思うのです。




今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
過去のじぶんよ、なんてことしてくれてんだ!!!!
も考えてみるのもいいかもね。

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