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今の時代の手紙

皆さんは手紙を書く機会というのは、あるだろうか?

おそらくほとんどないと思う。

メール、電話、LINE、slack、skype、などなど人が人とコミュニケーションを取る手段は爆発的に増えたと言えるし、そのスピードも直接会っているのと変わらないスピード感だとも言える。

そんななかで、手紙で人に何かを伝えることなど減っているし、むしろまったくないほうが自然なくらいだ。

だが、僕は手紙を書く機会は実は年に3回ある。
それは彼女に送るもので、6ヶ月と1年という節目の日の手紙交換と誕生日の贈り物としての3回だ。

コミュニケーションの手段が多様になり、様々なコミュニケーションを取っているにもかかわらず、そして誰でも読める文章を毎日書いているのにもかかわらず、手紙というのは、さらさら書けるわけではない。

なんでだろう?

LINEで書かれるものは吹き出しでデザインされていることからも、多くは喋り言葉のようだ。
つまり短い会話のようなやり取りを数多く短時間で繰り返すツールで、求められているのは短く簡潔に伝える力だ。

逆に手紙はどうか?

長くまとまった文章を一回相手にドカンと送る。
そこにはその人の個性やクセ、思惑や言いたいことも見え隠れしているだろう。
そしてその返事はすぐには来ないし、相手も一言ではないだろう。

何が言いたいかというと、使うツールによって、人の感情や発露は形を変えるということ。
無意識に人はその形に合わせたり、近付けてツールを使う。
つまり会話のようなツールばかりしかなければ、感情や発露もそれに合わせたものになってくる。

ただそれが悪いというわけではなくて、時々手紙というツールの持つ不便さやまどろっこしさ、素早さではなく、じっくり時間を取ってグツグツと煮込むような表現や発露のツールと向き合うことも決して悪いことではないのではないかなと思うのです。

メールや手紙だと言えないけどLINEなら言えること。
手紙やLINEだと言えないけどメールだと言えること。
メールやLINEだと言えないけど、手紙だと言えること。

そういう差異に意識が向くこと、そして今持っている気持ちや伝えたいことが、どういうツールに向くのかを知っていることというのは、今後生きていくうえで、どこかでその人と周りの人の関係を助けてくれるのでは?
と、ちょびっとだけ手紙を書いていて思いました。

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