大人とは「誰かに愛されて大きくなった子ども」

以前、産まれてから一年間どんなに愛されて、どんなに大切にされてきたかの記憶という名の写真や映像なりをUSBの瓶に詰めて、大きくなり、自立していく子どもにプレゼントしてはどうか?
という記事を書いたことがあった。


贈り物|taiki yumoto @lan_0061|note(ノート)https://note.mu/taiki_yumoto/n/n9e16429f9a9b

人を支える記憶|taiki yumoto @lan_0061|note(ノート)https://note.mu/taiki_yumoto/n/na9df3a789f55


大人というのは、「誰かに愛されて大きくなった子ども」だとも言えるが、大きくなった子どもは、誰かに愛されて大きくなったという部分を、そもそも子どもだったことを、よく忘れる。


そして時間の連なりを忘れ、大人として生きていると、その日によって気持ちは変わりやすく、影響を受けやすく、挫けやすい。
じぶんは世界から、社会から、他人から必要とされていない、愛されていないと思えた夜に、ふと棚に育ててくれた人からの小瓶を見つければ、いや、そんなことはない。今一人で立ち、今生きているのは愛されて、大切にされていた時間があったからこそだと気付ける。


飾れる小さなUSBを素敵なプレゼントだと思えたのは、「愛されていた記憶」と「一人で大きくなったわけではない」という記憶に残っていないtakeと大きくなったじぶんができるであろうgiveの両方を同時に想起させるものだと思えたからだ。


という思いでいたら、同じ内容のことを素敵な写真と共に短い文章で綴っているInstagramの投稿に出会ったので、今日はそれを紹介して終わりにしたいと思っている。


『人生の記憶から抜け落ちている特別な時間。
人はこんなにも愛されて、手をかけられて育つのですね。』

と書かれている。

今日もそれを大人として、子どもとして忘れないでいたい。



今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
人は一人では生きていけない。と言われて、生きていけないことはないのでは?と昔は疑っていたけど、これから先というよりは、既にもらっていることに気付けていなかっただけだったんですよね、きっと。



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