見出し画像

なんだかよくわからないけど、評価されているからきっと「美しいもの」なんだろうというものはこの世に沢山ある

「これは美しいものです」
そう伝えてくれる親切なデザインはこの世の中に沢山ある。

「今すごく人気ですよ」
そう言われたら、価値のあるものに見える。

「あの人がいいね!をしている」
それの気づいたら、この情報は確かなものに思える。


「自分自身で見た光景を美しく思う」
それってどんな時だろうか。


朝起きて、デスクに座るとカーテンの間から光が溢れる。


画像1

なんともない光景だけど、僕にとってはこれが美しい。
まだ日光が部屋全体には入らず、影ができている部分が多いけれど、一筋の光がそこを照らすと、なんだからそこは特別な部分に見えてしまう。


今日も朝日が僕に生きるのに必要な光をくれるのだと、そんなことまで思ってしまうようななにげない光景にも、一息ついて目をやると美しく感じてしまうのだ。


「美しいもの」は受け身でいても得られるのが現代のいいところだろう。
でも人は美しいものだけど、受け身で得ていたら、自分自身で美しいものを感じることはできるのだろうか?


デザインの仕事をしていると、本当にたまにわからなくなることがある。
親切なデザイン、誰にでも伝わるデザイン。行動してもらうための導線を引くことが、自分の仕事だとそう思ってやってきた。


でも、時たまに思うんだ。

誰が見ても良いと思えるパッケージデザイン。
どんな人でもゴールまで辿り着くデザイン。

思考を停止させるデザイン。

そうなんじゃないかって。


人それぞれのゴールを見つけさせるデザイン
考えさせるデザイン

それはデザインではなくアートです。なんて発言を期待しているわけではない。


わかりにくいものは駄作なのか?
そりゃ、目的に反し非合理的ならそれは駄作かもしれない。

でも、そもそも「目的」というものはこの世の全てにあるわけではない。
それでも求めるものは「美しいもの」であり、その「美しい」は何を基準で美しいとされているのか。


なんだかよくわからないけど、評価されているから「美しいものなんだろう」というものはこの世には沢山ある。

そして、そのなんだかよくわからないけど評価されている「美しいもの」の美しい部分を、せめて僕は自分なりの「美しさ」の答えに落とし込みたい。


ただただこれが言いたかったというお話。

東京出身。7年間の沖縄移住を経て三重県津市へ。沖縄移住応援WEBマガジン『おきなわマグネット』元編集長。神社メディア『sanpai. 』運営。Webデザイン、マーケティング、他制作ディレクションなどを生業としています。年間200社ペースで全国の神社を参拝しております。