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「やり切る」ということのハードル

過去を振り返って自分のやり切ったことを書き出してみるとなかなかに堪える.自分がこれまでの23年間でやってきたことの空疎さを目の当たりにするからだ.

中学までやっていたバレーボールはついぞ自分の代で県大会を通過することはなかった.高専でやったことといえば校内ロボコン,大学編入くらい.
やり切るという経験をしていないのが大きな後悔となっていることは間違いない.

なぜこのような状況に陥っているのか?答えは単純で,やっていないからである.
そもそものアウトプットが少なければやり切ることもできない.この単純な問題が今になって避けきれない障壁となっている

やれ!とにかく!

やる.ということには具体的な目標,具体的な対象が必要である.
そしてその対象は自らが定めることが絶対的な条件である.
であれば何をすべき,またはしたいか?
いままでの自分はここで立ち止まっていた.「本当にやりたいことなのか?」「必要なことか?」「役に立つのか?」「誰かに誇れることなのか?」

うるせぇ!やれ!いますぐに!
これまでの後悔を作ってきたものを忘れるな!
だれにも認められなくても,役に立たなくてもとにかく手を動かせ!
この逡巡でいままでどれだけの時間を無駄にしたことか.
やれ,いますぐに.

毎日実行することにした

こんな時は自分に呪いを課すしかない.
毎日noteを更新し,
読んだ本,やったことの解説,英語の勉強法,chatGPTの使い方
研究の進め方,仕事の向き合い方.話の仕方,情報のまとめかた
なんでもいいからアウトプットすることにした.
まずは”やる”ということから進めていく.

ここまで書いてようやく650文字である.
カス記事ではあったが,ここまで読んでいただいた方がいたら,一緒に頑張ろうと思えてくれる人がいたら,この650文字も救われることであろうと思う.

明日はidea flowについて記述しようと思う

それでは,今日はこのくらいで勘弁してください

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