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自分にとって意味があることを大切にする

※全文公開、投げ銭方式

最近、周囲でnoteが流行っている。随分前に一度流行って、それきりあまり見ていなかったのだけれど、大学時代の親友が利用し始めてからまた見るようになった。

僕は過去にも何度かブログを始めては更新をやめていて、はてなブログもあるし、なんならWordPress環境も準備している。ただ折角また書こうと思ったからには、流行りにのってみようと思い、昔作ったnoteのアカウントを使うことにした。

ところで、夫婦別姓について皆さんは何を思うだろうか。僕も大して詳しいわけではないけれど、ここ数年で随分認識は変わってきているように思う。

先日こんな会話があった。ふとした際に「結婚するなら面白いから別姓にするのもありだよね」と僕が言い、「それじゃ周囲に説明ができないのでは」と言われた。これに対して僕は屁理屈もこねながら、「説明ができる意味がなきゃ選べない選択肢なんて、それこそ意味がないんじゃないか」と返した。

この会話がどうのというわけでないけれど、世の中には「周囲が納得する説明」を大切にする習慣があることに、この会話から改めて気付かされた。例えば、僕がお世話になっている会社の先輩夫婦が「東京に飽きたから」という理由で宮崎に移住した。この理由に「え?」という反応をする人もいるだろう。ただそこに「周囲が納得する理由」なんていらないのだ。そして、きっと「理由がない選択」が増えれば増えるほど、僕らは生きやすくなる。

「ちょっと飽きたから副業してみる」「何となく別姓にした」「気が向いたから有給を使ってぶらり旅に出た」なんでもいいのだけれど、首尾一貫したみんなが納得のいく説明なんていらないのだ。

ここまできて、先の会話に戻る。僕が上のような主張をしたら、「その人たちにとってはそれが立派な理由でしょ」と返された。

つまり「自分が納得できる理由」があればいいのだ。周囲の目なんていらないから、自分の理由で何事も選んでいきたい。

最後に、僕が尊敬する大学時代の先生にもらった言葉を載せる。本当の意味はどうやら違うらしいが、今回の件に通ずるものがありそうだ。「人生、意に適うを以って、尊しと為す」これからも大切にしたい言葉である。


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