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名前の由来と解像度の話

こんばんは、ひつじはねたです。
今日はきっかり15分でノンストップライティングをやっていきます。

さて、今更ながらひつじはねたという名前の由来を紹介しようと思います。少し前までは「駆け出し眼鏡」とか「太鼓眼鏡」とかの名前でやっていたのを、昨年末ごろに「ひつじはねた」に変えたんですね。

駆け出し眼鏡、太鼓眼鏡はわかりやすくて、ぼくのトレードマークが眼鏡だったことと、社会人駆け出しだったことや、和太鼓をずっとやっていたことから、覚えてもらいやすいかなとつけました。

そもそも本名でいいじゃん、という意見もあるかと思いますが、ぼくの場合自分の名前があまりにも世間的に多い組み合わせなので、別の名前のがいいかなと。実際本名の「小林翔太」や「Shota Kobayashi」でやっていた時期もあります。正直名前程度ではそんなに変わらないです。なんなら仕事でもnoteの記事を書きますが、そっちは当たり前のように本名で書いてますし。

で、一つ前の名前が「駆け出し眼鏡」だったんですが、社会人3年目が目前に見えている中で、いい加減自分から「駆け出し」を名乗るのもなーと思い始めました。何事においても「駆け出し」の気持ちで取組みたい、とかいくらでもいい感じのバックグラウンドは書けるけれど、それを自分で書きたくはないなと。

眼鏡については今後も外すつもりはありませんが、いい加減目が悪くなってきて、和太鼓を打つときに周囲が見えなくて困るので、コンタクトを検討したときに違和感が生じてしまうなあとか。

そんなことを考えて名前を変えることにしました。

ひつじはねたの由来はぼくの本名の翔太です。ぼくは昔から、恐ろしく字が汚かったのですが、ぼくが書いた名前を見た母が「これじゃ『こききひつじはねた』だよ」と言ったのが由来です。

小木木 羊羽太

各部位が全部離れて書いてあるから、一文字に見えない!と怒られたんですね。この話をふと思い出して、

翔太⇒羊羽太⇒ひつじはねた

これでいいじゃん!となったのがきっかけでした。要するに大した意味なんてないんですが、今日はなんとなくこんなことを書く気になったので。

ここまでで9分。まだ6分ほど余っているので、もう少し続けます。


なぜこんなことを書こうと思ったのか考えてみる

せっかくなので、なんでこんなことを書こうと思ったのかを考えてみます。これまでにも由来を書くタイミングはあったのだけれど、なんだか自分で説明するのも面倒だし、と思いやめていたのが、今日になって急に書く気分になったんです。多分何か理由があるはず。

突然ですが、最近美術や歴史に興味が出てきました。これは完全に会社の影響です。年末に会社のアーティストの方に美術史の講義をやってもらったり、その前にもデザイン思考の本を読んでアートやデザインに興味が出てきています。

ぼくはどちらかといえば左脳型の人間で、論理やデータを信じています。一方で和太鼓をやる中で感じるのはエモさみたいなもので、感性の部分が比較的弱いものの確実にあります。この感性の部分に、美術史の講義などが影響を与えて、なんとなく今は「そういう気分」なのだろうと思います。

この美術史講座の流れで先日教育学講座をやったんですが、教育思想について深めていくうちに、そこに時代背景やそこで美術が果たした役割が混ざりながら、教育思想を学ぶことで、自分の中でその部分の地図の解像度があがったような感覚がありました。なんとなく見通しがよくなった、ような気がしたのです。

今年、といってもまだ1ヶ月ですが、僕の中でこの「解像度」というワードが恐らくキーになっているんだろうという感覚があります。

自分自身の解像度や、自分の捉える世の中の解像度。こういうものをしっかりと上げていくこと。ここに自分は楽しみを感じているような気がします。

名前の由来を取り上げるのも、改めて解像度を確かめるという取組みだったのかもしれません。

と、ここでちょうど15分。では本日はここまで。

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