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一人二人の「みんな」を疑え

こんばんは、駆け出し眼鏡です。今日はサイエンス夜話という弊社社員主催の、業務後にがっつりサイエンスの話を聞くイベントに参加してました。イベントといっても小規模なものですが、初回は4人だったものが2回目の今回12人くらいの参加者が集まっていて驚きました。

今回の話はDNAとそれにまつわる応用研究についてだったのですが、その後に飲み会で話した内容について思いついたことがあったので、そっちについて書きます。テーマは多様性と「前提の押し付け」についてです。

多様性と「前提の押し付け」
あなたと私は違う。これ基本的なことだとぼくは思っています。言われてみると、何を言ってるんだ、当たり前だろうと皆さんも思うかもしれません。

でも実際普段の生活を振り返ってみてください。自分と違い企業に属していないフリーランスを見て大変そうだなと思ったり、ワールドカップを見ていないことに対してありえない!見なきゃ損だよ!と詰め寄ってみたり。そんな行動に心当たりはありませんか。

普段生活をしていると、当たり前ですがぼくらは自分の目で見て物事を判断します。そしてそこに含まれる自分の主観をもって、相手を評価しています。この主観が罠です。ぼくらは割とどこまでも自分をベースにして話をしてしまいがちなんです。

ワールドカップを見てないのを損だと言う人は、日本が勝つと嬉しいという価値観を持っているかもしれません。そしてそれは「誰もがそうだ」と感じていて、その前提のもとに周囲に「お前見ないのは損だぞ」を言いふらします。これは少し大げさですが、世の中にはこうした小さな「前提の押し付け」が存在しています。そしてこの押しつけが多様な在り方を、認めない方向を作っているような気がしています。

とはいえ、そういった「前提の押し付け」は基本敵に無意識にやっています。何も押し付けたくて押し付けているわけではありません。じゃあどうやってこの押しつけを乗り越えればいいのでしょうか。多分できることは2つあります。

殻を破るように前提を探す
1つは一枚ずつ殻をやぶるように、お互いの共有できる前提を探していくことです。前提を押し付けることなく話をするためには、共有している前提を探すのがとても大切な作業になります。

高校時代、国語の教員に卒業間際送られた言葉があります。
「人間というのはポケットティッシュのようなものだ。確かに一面はキャバクラの広告かもしれないけれど、何枚めくっても新しい面が出てくる。あなた達はこれからいろいろなヒトに会うと思うけれど、今自分が相手の何枚目を見ているのかをぜひ意識して過ごしてみて欲しい。」

人をポケットティッシュに例えるその上手いのか下手なのかわからないたとえ話は、それでもぼくの心にすっと入ってきました。このお互い共感できるところまで、相手のティッシュをめくり続ける。これが1つ目の方法です。

一人二人の「みんな」を疑え
もう一つは「みんな」を疑うことです。以前就活についての記事でも書きましたが、普段ぼくらが言う「みんな」は大抵が幻想です。それをぼくたちはすぐに忘れてしまいます。

これも子供の頃の話ですが、中学生のころ携帯電話がほしかったぼくは母親に「みんな持ってるから」と携帯をねだりました。そこで母親に言われたのは「みんなって誰か具体的に言って。あんたのみんなは一人二人だから」というものでした。

この「みんな」って実は「一人二人」なんじゃない?という問いは今思えばとても大切なものでした。そのときの母親がそんなことを意図していたかは不明ですが、正直今考えている「みんな」なんて大した数ではないんです。その外に出れば「みんな」ではない人は山のようにいます。そしてそのことを知ることが「前提を押し付けていないか」を常に考える切り口になるような気がします。

というわけで、今日はサイエンスの話を聞いてきたのに、最後はお得意の多様性の話で締めるという、なんともぼくらしい終わり方の一日でした。
本日はここまで。最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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