ぼくはそれぞれの正義の落とし所を見つけたいという話
こんばんは、駆け出し眼鏡です。今日からは通常更新でいきます。とはいってもどんな感じで更新していたか今となってはもう覚えていないので、気楽にやっていくつもりです。
本日のテーマは「正義」について。昔の正義と悪の二項対立の世界はもうなくて、みんな自分自身の正義を持ってるからこそ揉めるよねという話を書いていこうと思います。
「正義と悪」から「正義と正義」へ
基本的にフィクションの世界では、正義と悪が対立をします。戦隊ヒーローは悪の組織を倒すし、ウルトラマンは怪獣を倒します。それはプリキュアでも同じだし、ポケモンですらロケット団が悪の組織として設定されているわけです。もう少し上の世代で見ても、ワンピースでもナルトでもドラゴンボールでも、基本的に正義対悪の構図が描かれています。
確かに昔は、正義と悪の二項対立がが現実でも成立していました。特に不条理なシステムに対して民衆が声をあげるという形でその対立は描かれています。
でも現代において、この二項対立は基本的に成立しません。絶対的な悪なんてものはいないわけです。ロケット団は映画では味方になるし、ジャイアンは映画では基本いいヤツです。悪の役割を担うキャラクターにも、何かしら事情があったりいい面があったりするわけです。
実際ヤッターマンで描かれるドロンジョたちやみんなだいすきロケット団は、悪の組織ながらもその憎めないキャラ設定から人気を得ています。彼らには彼らなりの悪になる事情があり、それに何となく共感できるから人気があるのだろうと思います。
もっと言うならば、仮面ライダーはある時期から敵ではなく仮面ライダー同士で争うようになりました。この正義同士のバトルロワイヤルの構図は他のアニメでもよく用いられています。このとき描かれているのは、正義と悪の対立ではなく、正義対正義の構図です。簡単に言えば、「わたしとあなたの正義」が違うから戦っているわけです。
それぞれの正義の落とし所を見つけたい
なんで急にこんな話を書いているかというと、ぼくは人と人は分かり合えないと思っています。それはそれぞれにとっての「正義」が少しずつ異なるからです。そして全員の異なる正義が同時に叶うことは基本的になくて、その落とし所を見つけることが大切だと考えています。
そしてそれぞれの持つ「正義」は普段はなかなか見えてきません。何か意見を言うときには「正義」をもとにその意見を出しているのだけど、見えているのは意見だけなので「なぜそんな意見が出てきたのか」はわからないのです。
でもここで「意見」だけをベースに議論をすると落とし所は見つかりません。その意見のもとにある「正義」が見えないと、落とし所として「意見」を通してももやっとしてしまいます。なんなら「正義」さえ考慮されていれば、その人の「意見」は1つも通っていなくても、落とし所は見つかるはずです。
もう一つ、それぞれが自分の「正義」に自覚的であることが大切だと思っています。自分は何を正しいと思っていて、その結果どういう行動や意見を選んでいるのか。それを考えておくと、他の人の「正義」も見えてくるし、自分の中での妥協点も見つかりやすいのではないでしょうか。
今日は抽象的な話がメインになりましたが、常日頃大切に考えていることを文章にしてみました。今回前半に書いた内容は宇野常寛さんの「リトル・ピープルの時代」という本をベースにしています。長いですがかなり面白いのでおすすめです。
では本日はここまで。本日もお付き合いいただきありがとうございました。
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