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人生の記録/元警察官の鍼灸師

大学を卒業して警察官となった
私はエンジニアになろうと工学に進んだが、大学時代あまり勉強しなかった
授業についていけなかったのだ
数学が苦手、電磁気学の理論はチンプンカンプン
やっと、卒業できたくらいだった
コンピュータの授業は好きだったが
成績が悪かった
就職活動しても、良い就職先はなかった
就職活動中、帰る途中で財布を落とした、免許証が入っていた
交番に届けられていた
連絡を受けて取りに行った
交番の警察官に勧誘された
そんな訳で警察に入った
交番の警察官に「これからはコンピュータの時代、警察も捜査に必要になる」とのせられたのだ
財布を落としていなければ、違う人生があったに違いない
警察官になると、警察学校に入学する
また、嫌いな勉強だった
しかも、様々な訓練がある
全寮制だ
地獄の8か月が始まった
最初の1カ月は外出禁止
同期生は最初60人だった
寮では7,8人の班に分けられ、部屋割りがされた
自分の部屋は7人部屋だ
憲法、警察官職務執行法、行政法、刑法、刑事訴訟法、救急法、鑑識技術などの頭を使う座学に加え、
柔道、剣道、逮捕術、機動隊訓練、射撃訓練、教練など、身体を使う授業と盛りだくさんだった
寮監は剣道の達人、陰湿で非常に厳しかった
Hな雑誌が見つけられ、よく寮監室で正座させられた
口答えすると倍返し
竹刀でたたかれ、頭から血が出た
機動隊訓練では夏場でも関係なく、10キロ以上の重装備で5㎞以上走らされた
遅れると、ペナルティを課せられた
さらに、走らされるのだ
警備服に塩がふく、血尿が出た
熱中症状態だった
飯が食べられず、体重が10キロ以上減った
でも当時、途中で脱落する人間はあまりいなかった
近年、半分くらい辞めてしまうため
警察学校は優しくなった
テレビドラマの「教場」みたいなことは現在ではあり得ないのだ
地獄の8か月が終わった
成績は後ろから2番目だった
過酷な状況下で同じ釜の飯を食った仲間は結束力が強い
あれから40年以上経つが、今でも付き合いがある

卒業すると、県内の警察署に配属される
迎えのワゴン車に布団袋を背負って乗った
配属先に着くと、警察署の裏の独身寮に入った
玄関先には新撰組の隊旗が飾ってある
面食らうと、警務課の人が寮長が新撰組「近藤勇」の信奉者だという
さらに、「厳しいぞ」と言われた
ここでも、厳しいんかい?
寮母さんがいて食事は作ってくれた
寮掃除と風呂掃除、独身寮の外回りの草取りは新入りの仕事だった
夕食は必ず、寮長の新撰組のお話を聞かなければいけなかった

赴任すると、1週間程度の教養を受ける
警察官デビューだ
パトカーの後部座席に乗った
管内の状況を説明してくれた
国道1号のドライブインに入った
「ここは犯罪者の休憩場所だ」
と言って、駐車車両をチェックし始めた
1台の薄汚れた県外ナンバーの車を見つけた
日産バイオレット、走る車だ
先輩は
「怪しい、ばんかけ(職質)する  
 ぞ」
と言った
運転席に男がシートを倒して寝ていた
車のナンバーを照会、手配が出ている男が使用している車だった
先輩が窓ガラスを叩いて男を起こし男が起き上がった瞬間、エンジンがかかり車がバックした
素早かった
車は素早く方向転換すると、タイヤを鳴らしながら国道に出た
先輩は
「車に乗れ」
と叫び、パトカーに乗ると急発進した
サイレンを鳴らし、追跡が始まった
逃走車は早く、運転が上手かった
パトカーの速度は150㎞に迫っていた
本物のカーチェイスだ
追い付かない
10キロ近く追跡した
もうじき、署境だ
逃走車が黄色のセンターラインを越えて前の車を追い抜いた
パトカーもそれに続こうと反対車線に出た途端、対向車の大型トラックが目の前に迫っていた
間一髪、衝突を避けられた
結局、逃走車は隣接署の橋で挟み撃ちになって確保された
初めてパトカーに乗って、このような体験をした私はとんでもない仕事を選んだと思った

赴任して1年になろうとした頃、重大な事故が起きた
レジャー施設でガス爆発だ
20人余りの若い女性が亡くなった

当日、非番で車の洗車を命じられ
洗車していた
交通課の規制主任は洗車にはうるさい
タイヤやホイールはタワシで洗わされた
エンジンにワックス掛けをさせられた
突然、ドーンという大きな音がし衝撃波で窓ガラスが震えた
飛行機が墜落したかと思った
6キロ先のレジャー施設でガス爆発だった
パトカーの乗務員が飛び出して来た
パトカーの後部座席に乗って現場へ急行した
第一臨場(現場到着が一番)だった
現場は白い煙で覆われ、視界が悪い
2次爆発が考えられた
前年、地下街で同じくガス爆発があり、2次爆発で警察官が1人が殉職していた
とにかく、負傷者を捜さなければと
必死に捜した
一部黒焦げた人間の脚を見つけた
鼠径部からもぎ取られている
脚の持ち主は近くに倒れていた
若い女性、自分と同じくらいの年齢だった
まだ、生きているが出血がひどく
素人目にも助かりそうはなかった
私はパニックになっていた
心臓の鼓動がすぐ傍で聞こえる
彼女の手を握り、今救急車が来るから頑張るんだと声をかけ続けた
彼女は何か言おうとして、私の手を握りしめて息を引き取った
最後の言葉は「おとうさん」に聞こえた
その後の記憶がない

私は完全にシャットダウンしてしまった
正気に戻ったのは現場に作られた遺体安置所だった
夜になっていた
中高年の夫婦に声をかけられた
娘を捜していた
ご遺体の傍に所持品が置いてあった
婦人が
「これは娘の、」
と言いかけて泣き崩れた
両親と対面した
私が看取った彼女だった
きれいな顔をしていた
私は涙があふれて来た
両親に
「ごめんなさい、どうすることもで
 きませんでした」
と泣きながら言うと、傍にいた先輩がびっくりして、他の場所に連れて行かれた
警察署は混乱していた
私も混乱していた
人生で今まで経験したことがない出来事
今振り返ってみると完全にPTSDになっていた
同期生は署に立ち上げられた捜査本部に入った
私はショックで仕事に出れなかった
やっと、出勤できるようになって課長に呼ばれた
「お前はここでデスクワークをやっ
 てくれ、しばらく交番勤務はいい
 から」
「捜査本部には行くな」
私がガス爆発事故で少しおかしくなっていることを知っていた
先輩から聞いたのだろう
当時、警察署で子供たちに柔道を教えていた
課長に師範代の手伝いをしろと言われた
課長は気分転換になると思ったのだろう
ふだん、めちゃめちゃ厳しいのに、
優しかった
昼間はよかった
仕事をしていると苦にならなかった
ところが、夜は、
毎夜、夢を見た 同じ夢
白い煙で前が見えない 足元の芝生の緑しか見えない そこに人間の脚
彼女の顔
つらかった、夜が来るのが恐怖だった

1年が過ぎた
両親が1周忌に私に会いに来た
署で先輩から聞いて来たらしい
婦人に
「最後を看取ってくれたのですね
 娘は一人ではなかった、あなたが
 居てくれた」
「お巡りさんも、さぞつらかったで
 しょう、決してご自分を責めるこ
 とはありません」
と言われた
これから寒くなるのでと言って、手袋とマフラーをいただいた
この言葉で立ち直ることができた
自分は何もできなかったのではない
精一杯やったんだ
と認めることができた
捜査は1年に及んだ
1周忌が過ぎ、捜査本部は解散した

警察官の新人時代、交番勤務の下っ端は当直明けに刑事課へ書類の送達に行く
刑事課のドアを開けると、刑事の眼力がすごい
全員の視線を感じる
後年、カミさんに「ねぇ目付きが悪いよ」とよく言われた
職業病だから仕方がない
好きでなった訳ではない
それが今、鍼灸院を経営している
客商売なのだ
最近やっと、患者さんが「先生、穏やかな顔つきになったね」と言ってくれるようになった
嬉しかった、一般の人に戻れた気がした

近い席に座っていた鑑識の川口さんによくダメ出しをされた
川口さんは庶務も兼ねていて、書類の点検をしていたのだ
赤鉛筆で訂正するのだ
最初から書き直さなければならない
せめて訂正箇所に付箋でも貼ってくれたらいいのに 何度思ったことか
だから、何回も見直す 真剣勝負だ
でも訂正箇所を見つけられる
また、川口さんには特に指紋採取を指導された
交番勤務の警察官が盗難現場に行って指紋採取をしていたからだ
空き巣などの侵入盗は鑑識課員も現場に来るが、それ以外は交番で対応するのだ
がむしゃらに指紋採取した
でも、一度も犯人のものは検出されない
ある日、盗まれたオートバイが発見された
ナンバーが曲げられていた
そこに指の形にホコリが取れていた
虫メガネで見ると油膜の上にうっすら指の流線つまり指紋を確認できたのだ
犯人のものに違いない
でも、油がついている
油があるとアルミニウムでは採取できない
指紋がつぶれる
黒粉しかない
黒粉を指紋の上にのせ、はらう
慎重にゼラチン紙をのせる、採取するためのシートだ
のせて、ゆっくりはがす
ズレたら指紋がつぶれる
それを2、3回繰り返す
余分な黒粉が取れていく
余分な黒粉が取れ、いいあんばいになったらゼラチン紙に圧をかけ指紋をのせるのだ
圧が弱くても強くてもいけない
うまくできた
白い台紙に貼り付けると指紋が浮き上がった
川口さんは「まずまずだな」としか言わなかった
褒めもしないが指摘もしなかった
採取した指紋は本部で照合する
数ヶ月後、すっかり忘れていたところに隣の警察署の少年係の係長から電話があった
「君の採取した指紋が連続オートバ
 イ窃盗グループの一味のひとりに 
 一致した」
「供述と状況証拠しかなく、供述を
 くつがえされたら非行なし(成人
 事件でいう無罪)になる」
「これで立件できる、助かったよ、
 ありがとう」
と言われた
その時、初めてわかった
がむしゃらに採取してはダメだ
ピンポイントで採取しなければ
犯人なら、どこをさわるか?
を考える
それから、現場に行っても、すぐ採取しようとはせず、まず腕組みをして考えた
見ていた川口さんが
「やっと、わかったか」
と言って、それからダメ出しはかなり少なくなった
不思議なものだ、それからバンバン指紋が当たるようになった
・外国人の家電製品窃盗事件
・万引き犯が警備員を押し倒して怪
 我をさせて逃げた強盗致傷事件
・外国人による広域自動販売機荒ら
 し事件
・200件に及ぶ空き巣狙い事件
など、面白いように犯人に当たるようになった
宝くじは全く当たらないのに

警察はありがたいことに、結構表彰をしてくれる
主に事件解決にだ
現場指紋を犯人の指紋に的中させると、裁判所は逮捕令状を簡単に出してくれるのだ
ただし、資料化されているのは前科持ち
照合して一致すれば、前科持ちだ
犯罪歴がなければ照合はできない
日本の鑑識技術は世界一
犯人に結び付く鑑識資料を見つけることは非常に重要になっている
指紋を次々に的中させた私は表彰を多く受けた
表彰は月1度の給料日(署員が集まる日)におこなわれていた
みんなの前で署長から表彰状を頂く
私は調子に乗っていた
調子に乗ると大概失敗が待ち受けている
ある日のこと、大型カメラ店で高級カメラが盗まれる事件が起きた
昼間、堂々と陳列ケースから、、
ケースの合鍵を作っていた
不審な外国人が来店した後、しばらくして被害が発覚したという
当時、防犯カメラはまだ普及していなかった
現場に行ってガラスケースを見ると指紋が付いているのが肉眼で見えた
ガラスからは簡単に指紋採取が可能だ
いい指紋が取れた
署に戻って、鑑識の川口さんに報告すると、川口さんに
「ガラスの裏側から採取したか?」
と言われた
意味が分からず、
「取っていませんけど、表からいい
 指紋が取れたし」
と言うと、
「バカ者」
と怒鳴られた
「お前はわかっていない、もう1回
 行って取って来い」
と言われた
とにかく、現場へ戻って店の人に指紋採取をお願いすると、すでに拭き取られガラスケースはきれいになっていた
川口さんは答えを教えてくれない
考えた、表と裏と何が違う
表は店に来た不特定多数の人が触る
裏側はケースを開けた人間しか触らない
そうか!裏側から指紋が取れれば犯人か店の従業員しかない
間抜けである
しばらく経って、他の警察署で一味が検挙された
同じ手口、裏側の指紋が一致したのだ
学んだ
調子に乗ってはいけない
自信過剰は自分を見失う
でも、失敗が自分を成長させる
若い頃は大いに失敗すればいい

交番勤務からパトカー乗務員になった
非番日は刑事課の手伝いに行った
交番勤務の時、鑑識に顔を出していたので前より慣れていた
当時は今のような研修システムはなく、刑事になりたければ刑事課に手伝いに行く
こいつは使えそうだとなると登用してくれた
現在は面接を受けて適性を判断された上で警察学校の刑事専科に3か月入校して研修を受け試験に合格しなければならない
私はどろぼう刑事になりたかった
盗犯係の刑事だ
当時は強行犯が人気だった
殺人や強盗などの事件を担当する
でも、現場でご遺体を見なければいけないし、人間の醜さがモロ見える
殺人を担当する強行犯は気が進まなかった
ある日、海岸で焼身自殺があった
車の運転席に乗ったまま、ガソリンをかぶり火をつけたらしい
周囲に異様な臭いが漂っていた
油の臭いと人が焼けた臭いが混ざっている
ご遺体は黒焦げだった
表面は黒焦げだが、中は生焼けなのだ
ステーキを焼いた時と同じ
ご遺体を車外に出さないといけない
ドアが開かない
消防署のレスキューも現場に来ていたので機械で開けてもらった
ご遺体を出すのは新米の仕事、ご遺体を掴んで出そうとしてもシートに張り付いて出せない
力を入れて引っ張る
そのとき、ご遺体の腕がべろんと剥け、生焼けの肉が目の前に
さすがにきつかった、
「うぇ」と昼食べた物を吐き出してしまった
先輩刑事が「バカ野郎」と叫んだ
車はレッカーで近くの交番へ運んだ
もう、陽が落ちかけていた
交番勤務員は休暇中だったので、先輩刑事から、
「明日朝、遺族が頼んだ業者が引き
 取りに来る
 お前は交番に一晩泊まって朝引き
 渡してくれ」
と言われた
明日は公休だったが、嫌とは言えなかった
焼身自殺した車と泊まる
ゾッとして布団に入っても眠れない
でも、疲れていたのか、眠ってしまった
クラクションの音が鳴っている、時計を見ると午前3時を回っている
うるさいなあと思いながら、ウトウトしたが、しばらくして正気になった
音はまだしていた
どこから?と頭が動き出した瞬間、
焼身自殺した車から?まさか!そんなことあり得ない
と震えが止まらない
「これは夢だ、夢に違いない」
と自分に言い聞かせて布団をかぶった
しばらくして、音は鳴り止んだが、それから一睡もできなかった
朝、車を見に外に出た
別に異常はない、
「ああ、やっぱり何かの幻聴だ、疲
 れているんだ」
と自分を納得させる理由をつぶやいていた
すると、近所の人が出て来て
「昨日、焼身自殺があったんだろう
 そのときの車だろう、一刻も早く
 片付けてくれ」
私がえっという顔をしていたら、
「クラクションの音が聞こえただろ 
 うが」
私は心臓の鼓動を抑えながら
「今朝、引き取りに来るから」
と答えるのが精一杯だった
業者は割と早く来た
その日はどっと疲れ、公休だったが独身寮で死んだようにしていた
それ以来
・山の中で首吊り自殺したおじいさ
 んを担架を持って来なかったとい
 う理由でおんぶして山を下りたり
・夜行の貨物列車の飛び込み自殺で
 首が見つからないと言われ、自分
 が探した線路のレールの上に首が
 乗っていたり
つらい日々を送ることとなった

当時、冬場は嫌な事件が多かった
放火である
愉快犯なので、あっちこっちに火を点け、警察や消防が右往左往するのを喜んでいる
ゴミ集積所に火を点けるのだ、収集日の前夜にゴミを捨てに来る人がいてゴミがあるのだ
ゴミ集積所はあちこちにたくさんあるので、1人ずつ張り込みについた
寒い夜、外で寝袋にくるまって、みの虫のようにジッとして何時間も張り込みをする
私の張り込み場所は、新幹線の側道の脇にあったゴミ集積所だった
何もない、ゴミ集積所が見渡せる草むらに身を隠した
当直明けの非番員が配置につけられる
パトカー乗務員だった私は前夜、交通事故の処理で徹夜だった
寝袋にくるまると、すぐ眠気に襲われた
当時、スマホがあればゲームでもして眠気を抑えたが、いつの間にか寝てしまった
パチパチという音で目が覚めた
真っ赤に燃えていた
やってしまった
すぐ無線を入れる
捜査本部から
犯人について報告を求められる
寝ていて何も見ていないとは言えない
もよおして現場を離れていたと言うしかなかった
犯人は2人組の兄弟だった
犯人が住む近所の人から警察へ情報が寄せられたのだ
女の子にふられたうっぷん晴らしだったらしい
自分が不甲斐ないと自己嫌悪になっていた
刑事には向いていない
そんな時、異動が出た
交通課へ

交通課へ異動が出た
刑事の夢は消えた
自分は刑事向きではないと判断されたようだ
交通課は課内の雰囲気が良かった
課長や先輩方は優しかった
取締係に配属された
主任は仕事熱心、人使いが荒かったが、先輩の二人は、でこぼこコンビ馬鹿ばっかりやっていた
主任は速度取締りに力を入れていた
全国一斉、県下一斉の取締日には朝から晩まで速度取締り
くたくたになって帰宅した
その頃、結婚2年目、娘が1人
妻は土日どちらかが休みだったので喜んだ
刑事課に手伝いに行っていた時は休みがなかったからだ
最初は良かった
しかし、違反者に
「こんなところでネズミ取りをやる
 な、汚えぞ」
「善良な市民をいじめて、そんなに
 楽しいか?」
「お前はいい死にかたをしない、地
 獄に落ちろ」
「呪ってやる、わら人形で呪ってや
 る」
などと言われる 
1年経つと、取締りが段々苦痛になって来た
好きで取締りをしているわけではない
気持ちはわかる、速度違反となれば1万円以上の反則金、誰も払いたくない
1万円を稼ぐのにどれだけ大変か?
頭では理解している

そんなある日、当直勤務に従事していた
6日に1回、当直勤務をしなければならない
昼間は通常の取締り、夕方から当直勤務に入り、事故処理に当たる
土日は朝から翌日の朝までだ
かなり、きつい
1か月で何時間働くのだろうか?
おそらく、250時間近く働いていた
県警本部から無線指令が入った
子供が跳ねられ意識不明だった
1班が事故現場へ、私は事故の主任と病院へ向かった
主任は現場に立ち寄って車を見てから病院に行くと言って、病院到着が少し遅れた
子供は亡くなっていた
遺体安置室に行く
女の子だった
娘と同じ2,3歳だろうか?身体に損傷はなく、とても亡くなっているとは思えなかった
きれいな顔をしていた
合掌して、死体見分を始めた
私は女の子にカメラを向け写真を撮り始めた
まだ、こんなに小さいのに、生まれて2,3年、未来が失われた
つらい、悲しい
と感情が高ぶると、涙があふれてピントが合わない
当時はフィルムカメラでオートフォーカスがなかった
主任が怒った
「交通事故が憎いだろう、これが現
 実だ、お前の仕事は何だ、お前は
 取締係なんだ、取締りを通じて事
 故を1件でも減らせ」
と喝を入れられたのだった
子供の飛び出しだったが、はねた人は制限速度30㎞の道路を倍の60㎞で走っていた
制動距離は倍以上だ、30kmで走って来たら、衝突直前で止まることもできただろう
完全な速度違反なのだ
速度の違反者は皆、大した違反ではないと言う
飲酒運転は悪質、速度違反は軽微という意識が強い
「何㎞だと取締り対象だと?」
「70㎞、80㎞?」
道路状況に応じて違うのだ
狭い道、学校の通学路、商店街はより低い速度が求められるのだ
その日以降、私は女の子を思い浮かべ速度取締りに従事した
事故を1件でも減らすという強い意志を持って

交通課3年目に県下異動により山奥の駐在所へ転勤となった
妻は嫌がったが、紙切れ1枚でどこへでも行くのが宮仕えである
高い山に囲まれ、陽が昇るのが10時頃、陽が沈むのが3時頃であった
妻が夜、面白いことを言った
「星があんなに近くに」
と、星ではなく山の中腹にある家の灯りであった
事件はない
仕事はたまに国道で発生する交通事故の処理ぐらいだ
雨が多い6月と9月に多かった
スリップ事故だ
路面に生じたコケにより滑るのだ
子育てには良い環境だった
おじいさん、おばあさんが多く、子供を大事にしてくれる
近所の人に良く子守りを頼んだ
田舎はコミュニケーションが豊かというか、プライバシーはない
赴任した日、引っ越しの片付けが終わり、夕方、妻が商店に買い物へ行くと、初めて会うお店の人が
「今度来た駐在所の奥さんだね」
と向こうから声をかけて来た
というのだ
びっくりした、近所の人に引っ越しを手伝ってもらったが、少し離れたお店の人にまで伝わっているとは
情報伝達の速さに、
駐在所は国道沿いにあったので、観光シーズンになると道を尋ねる人は多かった
自分が外へ出かけると、妻が対応しなければならない
初めての駐在所で不安がっていた妻が慣れるまで、外へ出かける時間をセーブした
落ち着いた頃には、外へ出て活動する時間の方が多くなっていた
なるべく、住民とコミュニケーションを取りたかったのだ
対警感情(警察に対する感情_協力的か非協力的か)はすごく良かった
素朴で親切、真面目な人が多い
犯罪とは縁がない
パトロールで出会うのは、人間よりもサル、カモシカ、キジの方が多かった
とりわけ、サルは多い
道路の真ん中に座っている姿を見て
「危ないばあさんだな」
と思うと、大型のサルだったことは多い
警察官というより一住民として生活していた
子供は本当に大事にしてくれた
小・中学校は各学年10名程度しかいない
近所にはウチの子供を含めても3,4人だ
でも、子供会があり毎月のように行事があった
大人の方がその何倍もいて子供会ではなく、大人会であった
カルタ大会、豆まき、お花見、写生大会、キャンプ、お月見、旅行など
学校の先生は家庭教師のよう、落ちこぼれはいない、勉強のできない子はいなかった

ある日、おばあさんから電話が来た
畑の作業小屋の箱に入れていたイモが全てなくなっている
カンヌキで扉を閉めていた
と言うのだ
おばあさんは、誰かが持ち去ったと主張する
ここの土地柄でイモを盗んで行く人間がいるだろうか?
と疑問に思ったが、張り込み捜査をすることにした
張り込みを始めて数日後、サルの群れがやって来た
あたりを警戒している
一匹が小屋に近づいた
扉の前に立ち、カンヌキを外したのだ
たまげた、扉を開けて中に入りイモを抱えて出て来た
すると、他のサルが代わる代わる中に入りイモを抱えて出て来たのだ
もう、笑うしかなかった
カメラで証拠写真を撮った
本署で現像してもらった
鑑識の主任が何の写真だと言うので
「窃盗犯ですよ、現行犯です」
ど言って出来上がった写真を見せると、しばらく署の笑い話になった
世の中全て、こんな社会ならいいのにと思った
警察署の雰囲気も家族的で和気あいあいだった
パトカー乗務員、刑事、警務、警備課員、隣接の駐在所員がよく立ち寄った
ある日、隣の駐在所員が立ち寄った
先輩の巡査部長だ
制服に星の階級章が3つ付いている
それを見た娘が
「おとうさんは1つしかないよ」
と言った
「おとうさんは巡査だから1つなん
 だ」
と答えると、
「おとうさんがかわいそう」
「おとうさんも3つほしい?」
と言われた
30歳を過ぎていた
昇任試験の勉強を始めた
時間はたっぷりあったのだ
巡査部長の昇任試験に合格した
駐在所に来て3年、警察官になって10年経っていた

巡査部長に昇任すると、管区警察学校に入校して主に座学の勉強をする
ことになる
私は東京の学校に入校することとなった
他県の警察官と触れ合うことができる
40日の研修期間を終え、帰郷した

次に、待っているのが捜査研修で実地の研修だ
巡査部長になると刑事訴訟法上、司法警察員になり、様々な権限が与えられる
現場で捜査主任となり、中心となって動かなければならない
私は当時、連続放火事件が起きていた県西部の警察署に派遣された
ところが、殺人事件が立て続きに発生したため、その1つに派遣されることになった
捜査本部が置かれ、慌ただしい日々が始まった
私の研修先の事件は、17歳の少女が首を絞められて殺され、中学校の焼却炉に遺棄された事件であった
しかも、遺体に火を点けた形跡があり、焼却炉で焼こうとした残忍極まる事件だった
遺棄現場に本部鑑識課長以下、鑑識課員らと臨場した
現場の見分結果から、遺体はバイクに載せられ運ばれたことがわかった
バイクのタイヤ痕が現場に残っており、バイクの車名も判明した
交友関係を捜査していた班から同じ車名のバイクに乗っている男が判明した
被害者とトラブルを抱えていることがわかり、男の関係者から男が「殺してやる」と言っていたこともわかった
捜査は急展開した
本部捜査一課は、その男を容疑者に断定、任意で呼んで取り調べにかかろうとしていた
事件発生から2日目、スピード捜査だった
捜査会議が開かれた
夕方おこなわれた
刑事ドラマで見る光景だ
捜査一課長から容疑者の取り調べに入るとの話が出た
本部がそのような意向ならば、所轄の警察署は従わなければならない
ところが、所轄署の刑事課長は異議を唱えたのだ

会議場がざわついた

刑事課長は時期尚早だと言うのだ

まさに、「踊る大捜査線の一場面」
警視庁本部(管理官)と所轄(現場の刑事)が揉めるやつの先を行っていた

捜査一課長の顔色がサッと変わった
明らかに気に入らないという感じだった
会議場は険悪なムードになった
刑事課長はたたき上げの典型的な昭和の刑事、刑事一筋30年

間に入ったのは本部鑑識課長だった
鑑識課長は
「仏さんの司法解剖の結果、手と足
 の指の両方に擦過痕が認められ
 た」
「これはバイクの後ろにシートをま
 たがるように載せられて運ばれた
 ことを意味している」
「擦過痕はバイクに乗せられ移動し
 た時に出来た傷だ」
「ルミノール反応を試してみたい」
「それからでも良いのではないか」
と意見した
私は意味がわからなかった
ルミノール反応は血液に反応すると青く光る
それは知っているが、事件と何の関係があるのだ
本部の鑑識課員は私に
「夜になればわかるさ」
と言った
深夜、集められた
大人数だ、会議場はあふれた
招集がかけられたようだ
被害者の遺棄現場に集合した
鑑識課長は
「今から、ルミノール液を散布して
 いく、目を凝らして青い反応を追
 ってくれ」
と言った
横1列になって、青い反応を追った
真夜中に異様な光景である
十字路の交差点は厄介だ
どちらの方向か?見極めるのに大変だった
明け方近くなった
陽が昇るとアウトだ
光は見えない、時間との勝負だ
1.5キロメートルくらい進んだ
ある1軒の家にたどり着いた
静まり返っている
数名の捜査員で家の周りを調べた
タイヤ痕と同じ車名のバイクが敷地内にあった
バイクのナンバー照会の結果、持ち主の人定が割れた
容疑者と別の男だった
所轄の刑事課長は正しかった
コイツが犯人だと皆思った
午前中至急、交友関係を当たった
被害者の少女と接点があった
同じくトラブルを抱えていたのだ
被害者の少女には付き合っている男がたくさんいた
金銭トラブルで数人とトラブルになっていたのだ
本部鑑識課長の手腕はすごいと思った
現場の状況を見てルミノール反応で痕跡をたどるとは、
発想力が素晴らしいと思った
こんなに捜査が面白いと感じたことはない
私はワクワクした
たくさん事件を抱え、捜査一課は焦っていたのだ
誤認逮捕するところだった
後に刑事課長と話す機会があった
「課長、あの時、なぜ時期尚早だと
 言ったんですか?」
課長は
「一課の連中の顔見たか?」
「焦ってますという顔してたんだ」
「捜査に焦りは禁物、腰を据えて
 ドンと構えていないとな」
と言った
かっこよすぎる
研修期間を終えた
人事異動が発令された
山奥の駐在所から1日の乗降客10万人の大規模警察署の駅前交番に赴任することになった

巡査部長昇任試験に合格して、大規模警察署に異動した
1日の乗降客10万人の駅、繁華街のド真ん中にある駅前交番に着任した
山奥の駐在所からの異動、あまりにも違った
とにかく忙しい
署で点検配置を受け、交番に出所すると10時前、それから昼食、夕食も抜き、食事休憩できるのは深夜11時過ぎてからだった
不思議なことに夜11時頃、一旦静かになるが、午前0時を過ぎると再び忙しくなる
トイレも我慢した
様々な事件が起きた
殺人事件もあった
当時流行っていたオヤジ狩りなど強盗致傷事件もあった
酔っ払いは日常茶飯事、昼間から酔っ払いがトラブルを起こす
夏休みは朝から晩まで万引きの処理
冬場は飲食 店が出すゴミ、路上に駐輪しているバイクや自転車に放火、電話ボックスまで火柱が上がっていたこともあった

オヤジ狩りは単身赴任のお父さん
が仕事を終えて、駅近くの駐輪場で自転車に乗って駅南のワンルームマンションに帰る時を狙われた
駐輪場の狭い通路で挟み撃ち、後ろから1人に羽交い締めにされ、メリケンサックを付けて前にいたもう1人からボコボコにされて財布を奪われる事件だった
ある日、交番の扉が開いたのに人がいないことがあった
うめき声が聞こえた
カウンターで見えないので、すぐ出てみると、スーツ姿の男性が床に倒れ、頭や顔が血だらけだった
オヤジ狩りの被害者だった
交番勤務員のほか、管機隊の直轄警ら係の応援を得て総勢20名で連日連夜、張り込みをおこない、検挙した
犯人は3人組高校生だった

殺人事件は日曜日の午後、白昼堂々有名百貨店の前の広場で起きた
浮浪者のケンカが始まりだった
ケンカの通報で現場に向かっていた
大勢の人で賑わっていた
頸動脈をナイフで切られ、血しぶきが飛ぶのを近くで見た
現場はパニックを起こしていた
犯行直後、現場に来たのだった
犯人の男はナイフを握りしめたまま仁王立ちしていた
被害者は首を手で押さえていたが、すぐ意識を失った
近くにいた医療従事者が心臓マッサージをしたが、死亡した
もう少し早く現場に来ていたら、事件を防げただろう
犯人を殺人の現行犯として逮捕した
その時、警察学校の研修生を連れ立っていた
血しぶきが飛ぶところを見たのだ
男の子の方は警察をやめた
女の子の方は希望して翌年駅前交番に赴任した
女性は強いと思った

当時、外国人が多かった、当然、外国人犯罪も多かった
イラン人がブラジル人に偽造テレカを売っていた
そのカードを使えば、ほとんどタダでブラジルに電話をかけることができた
偽造テレカが使えない公衆電話が現れると、今度は覚醒剤を売るようになっていた
土曜日の深夜、駅はブラジル人に占拠された
駅構内で大音量で音楽、踊りまくっていた
また、スケボーがところ構わず走り、ひどい時にはバイクが駅構内を爆音を立てて走り回っていた
完全に無法地帯
彼らは朝になると消えた、日曜日は教会に行くのだ

ある日、アメリカ人の家族が駅前広場で困っている様子だった
片言の英語で話した
ヤマハ発動機の会社見学に行きたかったようだ
養蜂業を営み、広大な農場を持っており、3輪バギーやオフロードバイクを所有、ヤマハ製という
ヤマハの広報に連絡し、アポが取れた、駅で切符を買ってあげた
あとは降りる駅で担当者が迎えに来るという
着任したばかりの若い後輩に、
「地理教示はここまでやるんだ、道
 順を教えておしまいではないぞ」
と言うと、私を知り尽くしている女性警察官が
「アメリカ人の奥さん、金髪のとて
 もきれいな人でしたよね」
と言った
私は見抜かれていた
そんなことは忘れて数ヶ月が経過した
駅前交番に一斗缶が届いた
お礼のハチミツだった
この一斗缶、どうしよう

冬場に発生していた放火犯は捕まらなかった
一晩にあちこち火をつける
犯行予測して、よう撃捜査をしても裏をかかれていた
ある日の夜、張り込み中の捜査員から
「小型のポリタンクを持っている男
 がいる、尾行中」
と無線が入った
先回りして潜んだ
電話ボックスの前でポリタンクを置いて、中に入った
電話帳を取り出すとポリタンクの液体をかけて火を付けた
その電話帳を再び電話ボックスに放り込んだのだ
アッという間に火柱が立つ
相棒の柔道3段が素早く動いて男を捕まえた
放火はなくなった
平和な夜が訪れるようになった

放火はなくなったが、今度は夏場に強制わいせつが連続発生し、エスカレートして強姦事件も起きた
犯人は立体駐車場に身を潜め、現れた被害者を押し倒して、カッターナイフで脅し、自分の陰部をしゃぶらせるという極めて悪質な手口だった
立体駐車場は数多く、張り込みは容易ではなかった
エスカレートし、毎夜発生した
立体駐車場の駐車車両を徹底的に調べた
ある1台の車が性犯罪歴がある男の所有だった
車の秘匿追尾か始まり、1課の強行係が犯人を検挙した

1年がものすごく早く過ぎた
駐在所では時間がゆっくり過ぎたのに、気が付くと、5年が過ぎていた

再び、ド田舎の駐在所に赴任することになった
田んぼが数キロに渡って広がり、秋になると稲穂が金色に輝き、それは美しかった
娘は中学生になっていた
娘が通う中学校は隣の駐在所管内だった
当時、中学校は荒れていた
隣の駐在所員は警察官になる前はヤンキーだった
コワイ系のお兄さんにしか見えない
が、人柄は素晴らしかった
悪ガキどもが学校内でタバコを吸っていると、長々説教していた
頻繁に制服・私服を問わず学校内に立ち入って子供達を見守った
悪ガキどもは深夜、校舎内に忍び込んで、備品を盗んだり壊したりしてとうとう、警察が事件化した
学校内で悪さができなくなると、学校の外でバイクを盗んで乗り回すようになった
連中がやっているのはわかっていたが、なかなか尻尾を出さず、捕まえることができなかった
ある日、盗んだバイクが河川敷の草むらに捨てられていた
バイクのミラーに指紋が付いていた
だが、誰でも触るところ
昔の失敗が甦る
ただ、捨てられた場所は誰でも入れるところではない
第3者の介在が極めて少ないのだ
発見者は自分、写真撮影し発見場所や発見時の状況を事細かく報告書に書いた
悪ガキどもは捕まった
今度は鑑別所送りだ
中学校は静かになった

また、指紋が当たったのだ
のちに鑑識競技会にのめり込むことになる
その話はあとにし、警察人生で大きな手柄、郵便局強盗を逮捕した話をしなくては、

唯一の手柄と言ってもいい
郵便局強盗を逮捕した事件
当時、別の事件に従事中だった
ド田舎警察署は署員30名、刑事課員は鑑識を含め4名、人が足りない、駐在所員は何か事件がある都度、にわか刑事になる、私もその1人
別の事件で身柄を引いて帰って来たところだった
1階の110番指令台と無線台の近くにいた、刑事課の捜査車両のカギを返納したところだった
本部から緊急通報が入った
郵便局強盗の発生を告げていた
返納したカギを再び取り、刑事課の三菱ランサーターボに乗り込んだ
無線のボリュームを目いっぱい上げ
サイレンを鳴らして現場の郵便局に急行した
県道を時速160キロメートルで飛ばし、現場到着まで5分はかからなかった
郵便局の前で局員が逃走方向を指していた
現場をそのまま通り過ぎて、追跡を始めた
助手席の相棒が無線のやりとりをしていた
高速のインターに向かう気がした
隣の警察署の管内だ
何気なくそう思ったのだ、カンだった
ずばり的中した
局員が投げたカラーボールの塗料が付いた車をインター手前で発見した
追いついたのだ
そこからカーチェイスが始まった
三菱ランサーターボはトルクがある
離されてもすぐ追い付く
20分近く、カーチェイスをした
逃走車はやがて白い煙を上げ、動かなくなった
運転席のドアを開けた
助手席の足元に拳銃が見えた
助手席側から相棒がいち早く拳銃を取り上げた
模造拳銃だった
助手席に強取した現金200万円があった
犯人を逮捕した
三菱ランサーターボは後ろから体当たりしたのでボコボコになっていた
私が
「やらかした、こりゃ怒られるな」
と言うと、相棒が
「大丈夫、もう古くて近いうち廃車
 にするらしいですよ」
と答えた
安心して帰ると、やはり怒られた
しかし、署長は
「よくやった、捜査本部を立ち上げ
 事件を追うと莫大な金がかかる、
 それを30分でスピード解決した
 のだ、車の修理代なんか安いもの
 だ」
と言った
署長は自分の財布から1万円札を出して
「これでうまいものでも食べろ」
と言った
しかし、解決ではなかった
逮捕は始まりに過ぎなかった
刑事ドラマは犯人を逮捕して終わるが、実際はそうでない
お前が逮捕したのだから、最後まで(起訴になるまで)捜査しろと言われ、にわか刑事は続いた

刑事課の部長刑事(巡査部長の刑事)は刑事一筋の人、
ドラマに出てくるイケメンでダンディーな刑事
スレンダーな体にスーツ姿が似合っていた
強盗事件でペアを組んだ
郵便局に強盗に入り200万円強奪した事件の処理だ
被疑者は素直にペラペラしゃべった
部長は違和感を感じる、本当のことは話していないと言った
車の捜索を徹底した
郵便局の収入印紙のレシートが見つかった
たまたま目にした郵便局に強盗に入ったのではないことを意味していた
入念に下見していたのだ
しかし、本部捜査一課の取調官は言いなり調書を取り、別の署の連続放火事件に回ってしまった
調書を一から取り直さなければならない
「余分なことを」とつぶやいたら、部長は、 
「ムダなことではない、供述の変遷
 は供述に信憑性が出る、遠回りで
 も大切なことはある」
と言うのだ
カッコイイ
ますます惚れてしまった
刑事ドラマのワンシーンを観ているよう

強盗事件のあと、
山間部の住宅に空き巣狙いが発生、幹線道路沿いに連続発生した
連日、聞き込み捜査に従事した
犯人に関する情報は得られなかった
最初、在宅している人に聞き込みしたが、外にいる人にも聞き込みした方が良いと考え、農作業などに従事している人にも聞き込みをした
畑仕事をしていたおばあさんに声をかけた
空き巣のことは知らなかった
おばあさんに
「最近、地元の人ではない人を見ま
 せんでしたか?」
と聞いた
怪しい人とか不審者を見なかったか?という質問はしない
なぜなら、人それぞれ怪しい・不審の基準が違うから、つまり何をもって怪しいのか、不審なのかがよくわからない
先輩刑事から、具体的に示して質問をしないと望む答えは得られないと聞き込みの要領を教わっていた
おばあさんは、あっさり
「見たよ、若い衆を」
「この辺の人じゃないね」
車のことを聞くと、
「名古屋ナンバーだったよ」
「ひらがなが『わ』だったよ」
「『わ』なんてあるんだね」
と答えた
レンタカーだ
「さすがに数字まではわからないよ
 ね」
と尋ねると、
「ゴロの数字だったよ、テレビのコ
 マーシャルでやってる『ハトヤホ
 テル』の4126(よい風呂)」
と答えた
捜査員どうし顔を見合わせた
バレバレのナンバー
神様はよく見ている
悪いことはできないと
すぐ様、不完全ナンバーで照会した
レンタカー会社が判明した
名古屋へ飛んだ
レンタカー会社の人は、
「よく覚えていますよ、支払いはい
 つも現金、財布が万札で膨らんで
 いた、若いのによく金持っている
 なぁと思っていた」
と答えた
車を借りに来た人物が判明、内偵捜査に入った
暴力団事務所に出入りしているチンピラだった
今風に言うと、半グレグループ
ヤクザの盃をもらってはいなかったが、上納金を納めていた
代わりに、覚醒剤や代紋入りの特攻服をもらっていた
いいように利用されていた
暴力団がバックにいることや覚醒剤の話が出てきたので、捜査三課のほか暴対や銃薬の捜査員がやってきて捜査本部ができた
また、慌ただしくなった
妻の機嫌が悪くなった
駐在所を任せきりだ
ろくでもない父親だった
家庭をあまり顧みなかった
授業参観、運動会など行ったことがなかった
いつも、しかめっ面をしていた
子供達は、
「おとうさんは怖い」
と言った
家でも警察官を演じていた
半グレグループは10人近くいた
3人組の3グループを作って、近畿、中部、東海の7府県で空き巣狙いを繰り返し、余罪は200件を超えた
カーナビを使い、警察署の近くは犯行を避けていた
被疑者を順番に逮捕した
次に、毎日のように引き当て捜査に出かけた
遠いところは、兵庫県まで行った
事件解決に半年以上かかった

今度こそ、平和になると思っていた
ところが、また事件が起きた
午前3時、警察電話が鳴った
私はパジャマで寝ない
いつも、ジャージだ
すぐ、飛び出して行けるからだ

帰宅した家人が裏の縁側の戸が開いているのに気がつき、見知らぬ運動靴を見つけた
家人は深夜帰宅するので裏から入っていた
家の中に泥棒が入っていると直感した家人が携帯で110番したのだ
私はバイクにまたがり、急行した
駐在所の近くだった
連絡を受けた家をよく知っていた
屋敷が広い、母屋のほかに離れや農機具小屋、作業小屋があった
庭も広く、裏庭まであった
出入り口は表側にも裏側にもあった
夜入る泥棒は表から来ない
先に裏側へ向かった
すると、飛び出して来た人影を見つけた
追いかけて捕まえた
裸足だったので足の遅い自分でも捕まえることができた
ちょうど、パトカーが到着した
少年だった
もう1人はパトカーの勤務員が確保した
少年らは夜な夜な民家に泥棒に入りゲーム機やソフトを盗んでいた
隣接の警察署管内でも発生があり、
余罪は150件に及んだ
2人とも県立高校生で同級生の女の子の家に忍び込んで下着も盗んでいた
隣接の警察署の生安係が主導して事件を担当することになった
また、捜査に呼ばれると思っていた
が、警部補試験に合格した駐在所員が捜査研修の一環で呼び上げられて私は免れた

良かったと思っていたら、刑事課長から呼ばれた
課長は
「鑑識競技会に出てくれ、署長から
 成果を出せと言われている」
と言った
強盗事件以来、捜査本部が次々に立ち上がり、とてつもなく忙しかった
しかし、署長はご機嫌だった
田舎の警察署がこれほど忙しくなることはない
普段は1年間に犯罪発生数が50件程度、平和なのだ
大規模警察署は、1年間に犯罪発生数が3000件を超える
解決率は発生件数が分母、解決数が分子
普通は解決数が発生件数を超えることはない
強盗事件以後の事件は余罪の件数が数百件にも及んだので解決数がぐんと伸びた
わが署は解決数が飛び抜けて多い、県警本部からの評価も高いというわけだ
だから、署長はご機嫌なのだ
にもかかわらず、署長は更なる成果を求めている

県下の警察署は規模により、Aクラス、Bクラス、Cクラスに分かれる
うちの署は署員30名のCクラス
競技会は柔剣道大会、逮捕術大会、無線競技会、職務質問競技会、鑑識競技会と盛りたくさん
人員が少ないCクラス署ではかなりの負担なのだ
当然、いい成績は残せない
いい成績を残せと言われてもムリ
こうして鑑識競技会の練習が始まった

年に一度、鑑識競技会はおこなわれる
県下の各警察署が鑑識技術を競うのだ
チームは5人、指紋、足こん跡、写真、法医の4種目で競い合い、指示を出す監督を刑事課長が務める
想定事例に基づき、被疑者の検挙まで持っていくのだ
テーマは毎年変わる、その年に世間を騒がした事件や注目を浴びた事件などが選ばれたりする
緊縛強盗、コンビニ強盗、オレオレ詐欺、放火など
私は指紋で出場することが多かった
今回は緊縛強盗事件、家人が強盗犯に縛られ金品を奪われるという事件だ
指紋は毎年、7~8個出題される
指紋が採れる採れないという問題もあるが、より鮮明に採れるか?という技術で争うのだ
採取した指紋から犯人につなげるのだ
どこに付いているか、わからない
犯人が触った現場の物品、犯人の遺留品が主な対象物である
緊縛強盗で考えられるのは、
・犯人が物色した金庫や財布
・包丁など凶器の遺留品
などであろう
さすがに金庫は警察署の数だけ用事できないだろう
すると、財布や中に入っているカード類か?
凶器に使うとしたら、バールなどの工具、包丁などの刃物だろうか?
という具合に予想するのだ
予想して採取の練習をする
競技会少し前に情報が入ってくる
緊縛に使うガムテープが出るそうだと鑑識の主任から情報が入った
ガムテープから指紋を採取するのは困難を極める
おそらく、スベスベした方と粘着部分の方、多分両方出るのだろう
意地悪く、裏表同じ位置にあるかもしれない
しかし、問題はどうやって採取するかだ
スベスベした方から試みた
アルミニウム粉末でやってみた
粉がのらないのか、指紋が薄い
黒粉でやってみた
粉はのるが、指紋が潰れる
ほかの粉末も試したが、ダメだった
攻略法が見つからない
競技会まで日がない
万事休す、諦めるしかないのか
そんな時、鑑識主任がアルミニウム粉末で採取していると他署から情報を得た
アルミニウム粉末をどうやって指紋にのせるかだ
ハケ法ではハケで擦すると消えてしまう
「そうだ、ふりかけてしまおう」
と思いつき、うまくふりかけるには
「霧状にして少しずつ丹念にのせれ
 ばうまく行くかも知れない」
とひらめいた
鑑識係にはそれが置いてあった
粉が入った容器を消しゴムのカスを飛ばす時に使うみたいなものに取り付け、粉を噴霧できる
早速、試した
少しずつ丹念に粉をのせる
ハケも粉が付いていない新品のものをそっと1回だけ擦る
できた、うまく指紋が採れた
次は粘着部分だ
アルミニウム粉末でやると、粉末がベッタリつく
黒粉でやると、真っ黒になる
指紋の形どころか、影さえも見えない
べとべと部分に吸着されてしまう
べとべと部分を取り除けば、吸着されないだろう
水に濡らすか?指紋も濡れてしまう
夜も眠れなかった、頭の中はこのことで一杯
解決策が見出せないまま、あと2日に迫った朝、雨が降っていた
車で暑に向かった
ワイパーを動かす
レインワックスが効いていて、水を弾く、
「これだ」
早速、レインXを購入し、試した
レインXの濃度を調整するのに、徹夜で取り組んだ
その結果、完璧に採取できるようになった
大会当日、各警察署がガムテープで苦戦していた
まったく採取できないと諦める警察署もあった
そんな中、私は完璧な形で採取できた
競技会中、本部鑑識課の連中が皆見に来た
口々に、
「どうやって採った」
「こんな綺麗に採れない」
と言って、驚いていた
班員皆が頑張った
結果は総合優勝に1点差で準優勝だった
署に帰ると、署員全員が出迎えてくれた
後日、本部鑑識課から
「君の採取法を現場で採用すること
 にした」
と連絡があった
私は鑑識、指紋を採るのが好きだ
現在は指紋の利用は少なくなった
被疑者がほとんど手袋をするようになったうえ、DNA資料の照合が飛躍的に発展したからだ
現場に落ちている髪の毛数本から犯人を特定できるのだ
爪に残された皮膚片や血液、繊維片などの微物も重要な手掛かりになるだろう
未来は、被害者の脳に残された記憶から被疑者を見つけることができるかも知れない

気がつけば、50歳半ばを過ぎていた
また、大規模警察署で仕事をしていた 
さすがに、3交代の交番勤務は疲れ

身にこたえる、特に目が疲れる
夜になると、ショボショボして車の運転がつらい
肉体的にきついと精神面もつらくなる
気力を保てなくなった
留置管理の仕事を志望した
留置場の扉は鋼鉄製、頑丈だ
扉の向こう側には何らかの罪を起こし、収監された人たちがいる
これまでは現場で検挙することが仕事、これからは逮捕された人間を裁判を受けられるまで預かる仕事だ
逮捕された人間は極悪非道、とんでもない人間だと思っていたが、普通の人間だった
生まれつき悪い人間はいない
人生の歯車が狂って、悪い方に転がってしまったと言える
誰でもそうなる可能性がある
そして、奈落の底に落ちた
留置された人(留置人)は名前では呼ばない、番号で呼ぶ
プライバシー保護である、他の留置人に名前を知られないために
本来ならば1つの監房に1人ずつ収容すべきだが、残念ながら1つの監房に4人入っている
署の定員は決まっていて、うちの署は48人であったが、収容人数が50人を超えることはしばしばだった

殺人犯の男が新規入場した
同性愛者だった、同居中の若い彼を金づちでめった打ちにしたのだ
顔の原形がなくなるほどに、
動機は若い彼の浮気だった
殺人を犯した人間は、異常な興奮状態にある、殺気がにじみ出て今にも噛みつきそうな狂犬と言っていい、顔つきは瞳孔を見開き、目が吊り上がり、眉間にシワを寄せているのだ
彼もそうだった
どう対応していいのか?わからなかった
数日間、様子を見ることにした
殺人犯の場合は単独で監房に入れる
事件のことは全く触れず、静かに過ごした
1日の生活は規則正しい
起床は午前6時30分、就寝は午後8時、食事の時間や運動の時間も決められている
規則正しい生活を静かに送ると、人間穏やかになっていくのを知った
1週間が過ぎて、お経を差し入れてほしいと要望を初めて口にした
般若心経しかないが、差し入れたものが読めないと言うので、母を亡くした時、檀家の寺からいただいた読みがなをふった般若心経を渡した
それから、男は毎日お経を唱えるようになった
すると、顔つきが穏やかになった
人間らしさを取り戻したのだ
男と色々話した、般若心経の意味を知りたいと言うので調べて渡した
男はそれを見て涙を流し、悔いていた、一生懺悔の日々を送ると言った
殺人罪で起訴され拘置所へ移送される日が来た
男は
「お世話になりました、ありがとう
 ございました」
と深々と頭を下げた
別人に生まれ変わっていた、この世に本当の悪人はいない
私は留置人が拘置所に移送になる時いつも
「2度と来るなよ」
と言っていた
男にもそう言うと、ニコッと笑った

解離性同一性障害の留置人が新規入場した
覚醒剤使用の女性被疑者だ
いわゆる多重人格だが、人格は2人ぐらいだと思っていた
しかし、違った、毎日、人格が違うのだ
月曜日は、お淑やかな女性
火曜日は、ノリの良いヤンキー娘
水曜日は、どSの攻撃的な女
木曜日は、色っぽい売春婦
金曜日は、無口で病的な女性
という風に最低5人の人格があった
特に水曜日は最悪だった
唾を吐きかけられ、罵られた
こうも毎日、人格が違うのには本当に驚かされた
名女優よりも、さらに女優だった
刑事も取り調べが大変だったようで
まともな調書が取れなかった
精神疾患により不起訴になり、医療施設に措置入院になったのだ
父親からの虐待が原因で薬にのめり込んだ
薬が救いだったのに違いない
薬に手を出した彼女を責めることはできない

職業的窃盗犯という者がいる
60歳過ぎの男性
その人生大半は泥棒稼業と刑務所暮らしの繰り返し
窃盗の前科前歴が十数件あった
彼の専門分野は鳶師、屋外から8階建てのマンションベランダまで簡単に昇ることができる
高層階の住人はベランダの窓を施錠していない
屋内に入って主に現金を盗むのだ
マンション玄関で間取り図から部屋の位置やインターフォンで不在を確認しているから標的を選ぶそうだ
しかも、財布から現金を抜き取るが全部を盗まない
住人が犯行に気付かないのだ
もっとも驚いたのは、キャッシュカードを盗み、何らかの方法で暗証番号を調べてATMで現金を引き出し、キャッシュカードを元に戻しておくというのだ
まさしく、プロフェッショナルだ
ただ近年はATMコーナーの防犯カメラの性能が格段に進歩したのとATM周辺の街頭に防犯カメラが普及したため、面が割れることをおそれて、あまりやらなくなったと聞く
職業的窃盗犯はプロ意識が高い
自分の技術に絶対の自信を持っている
取り調べの刑事には話さないが、留置担当者には自慢げに手口を披露した
彼は
「これが最後だ、体力がない」 
と言った
私が
「これからどうするんだ」
と聞くと、
「もうやめるよ、刑務所で最後を迎
 えるかもな、生まれ変わったら真
 人間になる」 
と言って、拘置所へ移送となった
しばらくして、拘置所で亡くなったと聞いた
彼は生まれもっての泥棒ではなかったはずだ
どこでどうなったのか、わからないが、泥棒稼業の人生を歩むことになった
彼の死を聞いて、せつなくなった

留置人の中には
「俺の人生はもうダメだ、落ちると
 ころまで落ちた」
と言う者がいる
私は
「奈落の底に落ちたのなら、もう落
 ちることはない、あとは這い上が
 るだけだ」
と言って励ましていた
留置担当者は留置人に寄り添い、起訴されるまで(実際には裁判を受けられるまでが多い)留置人を預かる仕事だ
彼らと人生の3日のうち1日を共に過ごす
当然、情に流されたり、彼らの人生を自分に置き換えてしまい、いわゆる「ミイラ取りがミイラになる」
精神的にきつい
感受性が強い人間だとかなり負担だ

私は勤続35年に差し掛かり、肉体的、精神的に限界が近づいていた
妻は60歳定年まで頑張ってほしいと言ったが、私の頭の中は第2の人生セカンドライフのことを考えていた
そろそろ辞めどき、でも辞めてからどうしようか?
まだ、人生は終わった訳ではない
セカンドライフ、はじめの一歩を踏み出すんだ

寝たきりになった母親の言葉が頭の中を巡っていた
意識はしっかりしていたが、右手しか動かせない彼女はある日、「殺してほしい」とホワイトボードにその右手で書いたのだ

拘縮で関節、筋肉が痛む
母親の姿を見るのは辛かった
痛み止めのクリームを塗ってマッサージすることしかできなかった

生前の元気な頃、「寝たきりだけは嫌だ」と言っていた
もっと、自分にできたことはなかったのか?

倒れる前日、明らかに様子が変だった
医学の知識があったら、と後悔している

母親は助けられなかったが、身近な人を助けたい
健康寿命を延ばして、『ピンピンころり』
寝たきりにさせたくない

そんな気持ちから、医療に関わりたいという気持ちが強くなっていた

ある日、youtubeを見ていた
鍼治療を受けた腰痛のおばあさんが治療後、腰を伸ばしてしっかり歩く姿を見て鍼灸師に興味を持った

はり師きゅう師を選択した

早期退職して鍼灸の専門学校へ、57歳だった
東洋医学にも興味があった
しかし、少し考えが甘かった
東洋医学だけではなかった
生理学、解剖学、病理学などの西洋医学のオンパレード
膨大な勉強量、記憶力の低下を呪いながら、1日10時間必死に勉強した
人生の中でこれほど勉強したことはない
勉強することが楽しかったのだ
歳を重ねた時の方が知らないことを知りたいという意欲に不思議に駆られる

3年間の学校生活はアッという間だった
国家試験に合格し、はり師きゅう師になった
でも、資格が得られただけ単なる出発点

次の目標は臨床経験を積み、患者さんの苦痛をできる限り取り除くこと

そんな目標を立てて3年

まだまだ新米の開業鍼灸師

この仕事をしていて一番うれしいことは患者さんが
「痛みが取れて楽になりました」
と笑顔で答えてくれること

患者さんに応えるためには、さらなる高みに自分を引き上げなければならない
日々勉強、技術の習得が生きがいになっている

死ぬまで鍼灸師でありたい

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