団地の遊び 十円屋

十円屋

 団地中央には、たいして大きくもないストアがあり、小さい商店街みたいなものもあった。
 テキ屋、出店、正確にはなんと言うのか知らないが、そのての店は時々来ていた。
 その団地中央の真ん中へんは広場みたいになっていて、十円屋といわれる出店が時おりやってきた。軽トラックでやってきて、記憶が正しければ普段入ってはいけない所まで軽トラは侵入し、商品をおろしていた。
 商品は、畳一畳より大きいぐらいの板みたいな所に並べられ、その中には、主にオモチャやらなんやらが、大量に入っていた。
 十円屋が来ると誰からともなく、「十円屋が来てるゾ」という声が聞こえる。まあだいたい団地内の公園でいつものように遊んでいたりすると、そういうことを言って来る奴がいた。
 すると、子供たちは、団地中央の広場みたいな所へ駆けつけるのであった。
 十円屋といっても、すべてが十円というわけでは、もちろんない。しかし一番高いモノでも、二百円ぐらいだったのではなかろうか。
 一畳ぐらいの板みたいなモノは、二つあった。その中に乱雑に、もうメチャクチャに、オモチャ類がゴチャゴチャ入っている。
 何があるのかわからず、とりあえず中を見て、目ぼしいモノを探す。不良品も結構あった気がする。タイヤが一つ欠けたミニカー、片腕の人形、弾の出ない銀玉鉄砲。 
 スーパーボール一個が五円か十円だったと思う。
 ところで、売ってる人は、やはりオッサンであった。ソース煎餅もよく来ていたが、やはりオッサン、全てオッサンといえた。
 で、十円屋のオッサンの顔、これが驚くべきことに、ハッキリと覚えている。子供の頃の記憶というのは、そう忘れないものらしく、ソース煎餅のオッサンも実に確実に覚えている。
 十円屋のオッサンは、黄土色の野球帽を被り、よく日に焼けて黒くーーー露天商だしーーーしかし歯が妙に白く歯並びが良かった。なかなかいい笑顔を浮かべ、コンクリートに座り子供たちを見ている。
 当時も思っていたが、いったいこれでどのくらい稼げるのか、食っていけるのかと、子供ながらに考えていた。確かウチの親は、本業じゃないだろうと言っていたが、まったく根拠はないが私的には本業のような気がする。
 銀玉鉄砲は、三つ程持っていたが、全て十円屋で買ったものだ。一丁は、意外に長持ちした。ちゃんと弾は出た。確か八十円ぐらいだったと思うーーー間違ってるかもしれない。これは当時の十歳としては大金である。多分、十円屋が来るのを待って使わないでいたような気がする。買ったモノでハッキリ覚えてるのは銀玉鉄砲だけである。
 それにしても、なぜ十円屋が来ると、みんななんであんなに騒いでいたのか、実際、金なんてロクに持ってないのである。
多分、乱雑に並んだ大量のオモチャを眺めてるだけでも、楽しかったのたろう。
 十円屋、それは昭和の一風景。と思っていたら、今でもあったりするかもしれない。


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