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白磁のアイアンメイデン 第3話〈1〉 #白アメ

第2話   目次

 夜の帳が、”忌み野”を覆い隠し始めた。夕刻の戦が巻き起こした喧騒が、静かに冷めていく。

 ベアトリスは薄い水色のナイトドレスを身にまとい、馬車から外に出た。眼に入るのは忠実なるオートマタ執事にして今日の不寝番であるアルフレッド。そして、紅茶を片手にテーブルセットにうつ伏せになって眠っている、魔術師ヘリヤ。

「よくお休みのようですわね」
『はい、肉体的にも精神的にも大層お疲れだったご様子でしたので』
 アルフレッドが淡々と語る。
『そこに一服盛られてしまっては、なおのことでしょう』

 ベアトリスはそれには答えず、手にしていた毛布をヘリヤの背にそっと掛けた。
「……やはり、当初の計画どおりに進めるべきなのでしょうね」
『最大効率を求めるならば、当然の選択です。まして相手はあの”忌み野の竜”。万全の備えをしてしかるべきかと。お嬢様は、お迷いなので?』
「ええ」
ベアトリスは己の長い黒髪を一束手に取り、指先でいじりながら答えた。「正直に言えば」

『効率だけを求めて突き進むのは、およそヒトのやることではない、そこには感情がない、余裕がない、なにより面白くない――で、ございますか』
「久しぶりに聞きましたわ、その言葉」
 ベアトリスは視線を遠くに向ける。あたかもそこにはいない誰かを思うように。

「その言葉からすれば、この迷いはわたくしがまだ人間である証し、ということなのでしょうか」
『オートマタの私めにはわかりかねます』
アルフレッドは変わらぬ調子で語る。

『私から申し上げられることはただ一つ。私は忠実なる執事でございます。お嬢様がいかなる選択肢を採られたとしても、全力で従い申し上げるのが我が職務と認識しております』
「感謝しますわ、アルフレッド」
 ベアトリスは花のような笑みを浮かべると、すぐに表情を引き締めた。

「では選択しますわ。魔術師殿をこのまま拘禁し、『切り札』に組み込むという当初の案は破棄します。”忌み野の竜”との戦いにおいて『切り札』の稼働は避けられませんでしょうが、その際は次善の策を用いることとします」
『了解いたしました』

 吐息を一つ吐き出すと、ベアトリスは再び己の髪を弄び始めた。
「……甘い、とお思い?」
『私には判断できかねます。ですが』「ですが?」
『兄上様は、お喜びになるかと』

 その言葉を耳にしたベアトリスはくるりと軽くターンを決めると、馬車へと歩を向けた。

「そう願いたいものですわ。さて、わたくしは少し休みます。アルフレッド、魔術師様に簡便な寝所を用意して差し上げて」
『承知いたしました』

◇ ◇ ◇ ◇

 黒よりも暗い闇夜。激しく地面を叩く雨音。その闇と音に紛れ、一人の男が街道を走っていた。

 荒い呼吸音とたどたどしい足取りから男の必死さが見て取れる。事情を知らぬものが彼を見れば、何かから逃げてきたのではないか、と疑うことだろう。

 事実、彼は逃げていた。邪悪から、理不尽から。腕に抱くものを守るために。

 雷光が閃く。まばゆい輝きがほんの一瞬、男の姿を浮かび上がらせる。彼が腕の中に抱くものは、白色の塊、赤子ほどの大きさの容器であった。

 再び闇夜と雨音が彼を包み込む。男は決して、足を止めなかった。

 あら。
 これは夢ですわね。
 不思議な夢ですわ。わたくしがこの夜のことを垣間見ることなど、できるはずもないのに。
 どうして、こんな―――

 目を覚ましたベアトリスは軽く一呼吸すると、辺りを注意深く確認する。ここは馬車の中、そこに据えられた”寝台”。窓から差し込む淡い朝日が、ベアトリスの顔をほのかに照らす。

 今のは何だったのでしょうか。
 僅かな時間考え込んだベアトリスは、やがて首を振ると立ち上がった。
考えても仕方がないことは、考えない。お兄様の教えだ。

 ベアトリスはそばに控えていたフローレンスに声を掛け、身繕いを始める。

 さあベアトリス。しっかりと支度なさいませ。今日は決戦の日。ふさわしき装いで臨むのが淑女の嗜みというものですわ。

 
◇ ◇ ◇ ◇

 呪わしき”忌み野”にも、等しく朝はやってくる。

 眩しい陽の光にこれ以上目を閉じていられなくなり、ヘリヤは重たい体を寝台から起こした。

 途端に聞こえだす、肉体各所からの悲鳴や慟哭。久しぶりにまともな睡眠をとったせいだろうか、こいつらは自分たちがとうに限界を超えていたことに気づいたようだ。

 意識してそれらを無視したヘリヤの鼻腔を、最早おなじみになった香りがくすぐる。ヘリヤが視線を向けると、案の定そこにはいそいそとお茶の準備をするアルフレッドとメイドのフローレンスの姿があった。

『お目覚めになられましたか』
こちらに気づいたアルフレッドが声を掛けてくる。
「ああ、この寝台はあんたが準備してくれたのか? おかげで久しぶりに人間らしくすごせたよ。頭が軽い」
『それは何よりでした』
「……あんたの主はどうした?」
『お嬢様ならあちらでございます』

 そう言われて抜けた視線の先には、朝の光を背にしつつ構えるベアトリスの姿があった。

 昇りきらぬ朝日を背にしたベアトリスは、己の体の調子を確かめるように、静かに緩やかに右拳を空に突き出す。続けて左拳。右拳。左。回し蹴り。左の手刀。右掌底。流れるように繰り出される一撃一撃は、その一つ一つが竜殺しの武器である。

 右拳。左拳。そしてとどめとばかりに繰り出された蹴りは、”忌み野”の大気を切り裂きベアトリスの直上、天に向かって放たれた。

 ベアトリスの足と朝日の光芒が重なる。それは、何かしらの宗教的荘厳さすら感じさせる姿であった。

「なんて」美しい…。

 ヘリヤは口にしかけた言葉をかろうじて飲み込むと、何食わぬ顔でベアトリスに近づいて行った。

続く

そんな…旦那悪いっすよアタシなんかに…え、「柄にもなく遠慮するな」ですって? エヘヘ、まあ、そうなんですがネェ…んじゃ、お言葉に甘えて遠慮なくっと…ヘヘ