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半分起業家・半分サラリーマンで過ごした1年間振り返り


まぁまぁ長文です。


本題に入る前に、このnote以降一旦更新頻度をガクッと落としたいと思います。


情報発信することに飽きたとかそういうわけではないのですが、色々と勉強したいことがあるのでそっちに時間を使っていきたいと思っています。元々はイスラエルの情報をアップする用に作ったブログですし、私自身文章を書くのが早い方でもないので。

もしくはやるなら自分でサイトを作ってやりたいなあと考え中。


最後に何を書こうかと考えていたところ、先日ちょうど誕生日を迎えて24歳になってしまったので、23歳がどんな1年だったかを軽く振り返ってみました。




10〜12月

まずはここから全てが始まったと言っても過言ではありません。

過去の画像フォルダから、私が親友の家の壁に貼り付けた誓約書の写メが出てきました。私は何か重大なことを実行すると決めた時に、その決意表明をこの親友の家に張るという謎の行為を大学時代に行っていたので、その名残でやったものと思われます。

今改めて見てもふざけているようにしか見えない。


これを書いた日付は2017年10月6日であり、書いてあるイスラエル出発予定日の半年以上前なのですが、なんと私は本当に翌年のこの日にイスラエルに飛び立ったのです。一緒に行ったのはこの香取氏ではないのですが...まぁこの辺りの詳細は後半で笑


ちなみに5月22日という日付に設定した理由は、ただ航空券が安かったからです。あと一応この日はビットコインの日(最初の取引でピザとビットコインが交換された日)であり、仮想通貨的にはややメモリアルな日でした。当時は仮想通貨とかブロックチェーンにハマっていたのです。



とにかく、私はこの時はまだサラリーマンだったのですが、1年で会社を辞めて友人と起業するということだけは決めました。


この時期は新卒で入社したメーカーに入ってから半年が経った頃で、確か全体研修・工場研修・インド研修それぞれ1ヶ月ずつが終わり、品川で営業として働き始めて3ヶ月とかの時でした。

インド人が生きることに超ハングリーでかつ自分のキャリアを変えまくっている状況を見てきた後だったので、自分も色々考えないとなーとかちょうど思っていた時だったのと、お盆明けくらいから人生面白くないなあと思いながら毎日過ごしていたことを記憶しています。



そして、いざ起業するということだけを決めはしたものの何をするかは全く決めていなかったため、私達はビジネスプランのようなものを考えるというところからスタート。


適当に思いついた案をEvernoteで共有して、あとはLINEで連絡取って、週末に時間が合えばテレビ電話をするといった感じでした。

アプリやwebサービスを作るといったような起業だけではなくて、youtuberをやる案やゲストハウス運営、越境ECなど色んな妄想をして楽しんでいました。


そして最初に面白そうってなったアイデアは保険のサービスでした。

ブロックチェーンを使った保険で、かつ最初は大手がやってないようなマイナー保険のサービスを出してみたら面白いんじゃないかっていう話をしていました。

一応リスクシェアリングというタイトルまで付けて、ビジネスアイデアを募集している企画に応募したりしていました。



するとホリエモンと藤田社長のビジネスジャッジという番組で取り上げてもらうことができました。多分この回です。

これは視聴者から寄せられたビジネスアイデアをホリエモンと藤田社長が辛口で審査するという番組です。


そして結果は、



見事「イマイチ」をお二方から頂けました笑

評価も2人の表情もすっごい微妙そうですが、一応3段階ある中の真ん中の評価でしかもこの日の放送では最も好評だったんです。


なので我々はこれ本気出せばいけるんじゃねってなって、11月からEthereumを使ったブロックチェーンアプリケーションを作る勉強を本格的に開始しました。とりあえずちょうど良い入門書を買って、ひたすら手順をマネしていった感じです。



ただ残念ながら、想像以上にスマートコントラクトの実装が大変そうだったのと、そもそもお互い普通のWebアプリすら自分で作ったこともなかったこともあり圧倒的な知識不足の状態であったということに気付き、年末前にはこのブロックチェーンを絡めた保険の案は無しにして、もう一度0から具体的な案を考えようってなりました。


というかそれ以上にこの時期は仮想通貨の値動きが激しすぎて、毎日その話ばっかりしていたような思い出があります。モナコインやばくね?とか、ブテリンのツイート見た?とかそんな話ばっかりしていました笑



ちなみに仕事の方についても12月辺りはピークに忙しく、毎日いい感じに充実してたのを覚えています。本当にやばい日は1日だけですがオールで朝の6時とかまでずっと働いたりもしてました。

またありがたいことに念願の海外出張に行けたのもこの時期でした。やたらこの時は海外に行きたかったのですが、多分4ヶ月間くらいSkypeを使った英会話の社内研修を自分から受けていたこともあって、とにかく仕事の場で英語を使いたかったんだと思います笑

お客さんとベトナム1週間。忙しすぎて観光とかは一切できず普通に地獄でした。

ただ何でもいいから仕事で海外に行くっていうのが自分の中の目標の1つでもあったので、妙な満足感を得られたことは記憶にある。

それと同時に、ぶっちゃけどこで仕事しても一緒だわってなったことも強く印象に残ってますが。


そしてまさかこのベトナム出張で知り合った現地の社員の方が、後の起業の際に色々と助けてくれることになるとはこの時は思いもしていませんでした。



そんなこんなしてたら2017年は一瞬で終わりました。



1〜3月

年末年始に10月以来会っていなかった共同起業予定の友人の家に行き、2泊3日くらいでずーーっとアイデアを出し合いました。

その結果、仮想通貨利用可能店に特化した口コミサイトを作る案でまとまりました。以下は恥ずかし懐かしい当時のメモです。

つっこみポイントが多過ぎますがここは全スルー。


決め手としては、お互い投機目的でしかない仮想通貨の扱われ方を変えたかったことや今ある飲食店の口コミサイトにかなり不満があったこと、あとはRuby on Railsを勉強すれば欲しい機能が揃ったサイトを比較的簡単に自力で作れそうだったということです。


そしてその場で1〜3月でやることを決めて解散しました。私は会社員としての仕事、友人は当時大学4年だったので実験や卒論があったため、お互い最大限やれる範囲で進めていこうといった感じでした。



そしてこのタイミングで私は会社を辞めることを完全に決意し、年明け一発目の出社日に3月末で辞める旨を当時の課長に伝えました。



これは簡単そうに見えてなかなか勇気のいる行動でした。ものすごーく複雑な心境だったことは今でも覚えています。上司の方が素晴らしすぎたこともあり、モメたり話が通じなかったりということは一切ありませんでした。

裏事情としては同時期にもっと上の先輩社員の方が辞めたり異動したりといった話がありすぎて、おそらく僕一人のインパクトが相対的にかなり小さくなっていたのだと思われます。


辞めようと思った理由としては、友人との起業があるというのはもちろん事実なのですが、このまま大企業で働き続けた場合の道がうっすら見えてしまっていたという部分も大きいです。30代はこうで40代になるとこうなる、といった風な超ロングスパンのロードマップが決まっているように感じてしまい、目先の2、3年間を過ごすモチベーションを感じられなくなってしまっていました。何でもそうなのですが、先の展開がある程度分かってしまうと面白みが感じられなくなってしまうものです。

あと大企業はやっぱり恵まれていて、おいしい環境ができています。これは紛れもない事実です。なのでよしっ捨てようってなりました笑

それでも仕事の時間は仕事と割り切ってしまい、プライベートを充実させることができれば続けられたのでしょうが、私にはこれといった趣味がほとんど無く、人生を変えるにはその時の環境を変えるしかないと思っていました。


ただ矛盾するようではありますが、辞める決断をしてしまった年明けのこの頃からは仕事が楽しいと感じるようになっていました。多分配属されてから半年経ち、ちょうど実務に慣れてきて一人でできる仕事が増えたからだと考えられます。



ですけれども決めたからにはもう先に進むしかありませんので、次の拠点探しやサービスの計画をどんどん進めていきました。


色々と決めていくうちに、4月以降何かをしてお金を稼がないと生活ができないということに気付いたので、2月には知り合いのベンチャーの方から仮想通貨のライティングの仕事を頂きました。

結局この仕事は大元の会社の事業が傾いてしまい、5月に打ち切りとなってしまうのですが、3ヶ月間の間は仮想通貨の記事を書いて仮想通貨をもらうという面白い経験をすることができました。

とにかく何か行動してやってみようという時期でした。


3月には一通り見よう見まねでビジネスプランを立てて、ほぼ何の知識も無い状態でベンチャーキャピタルを訪問したりしたのですが、当然ダメダメな結果で終わりました。以下は私の友人が当時書いたブログです。

当時の私達はもう頭がキマってましたので、事業案をダメ出しされたことよりも、VCの人達あんまりブロックチェーンのこと理解してないなーとか、そもそも資金調達せんでええよなーとか、いい感じに周りの人達の声が聞こえなくなっていました。


そのままの勢いでNewaPicksの「メイクマネー」の企画にも応募したりしていましたが、当然採用されずに終わりました。

当時の応募した資料です。要は仮想通貨に特化した稼げる口コミサイトです。



そして3月末に私は退職し、私の友人も何とか無事卒業できたため、新たなスタートが始まりました。一応起業すると決めてから1年間のサラリーマン生活で軍資金200万円は貯めることができました。まぁ税金と奨学金で相当吹っ飛ぶことになるので全然足りなかったのですが。



4〜6月

まず何故か4月頭に一瞬だけ父と雪山に登りました。謎です。



新たな拠点は、ギークハウス岡山というプログラマーやクリエイターの方が集まるシェアハウスに決定しました。理由としては、家賃が安くて(月7000円)サービス開発に集中できそうだったからです。家賃払いがNEM決済に対応していたというのもこっそり決め手でした、ここのオーナー面白そう!みたいな。実際オーナーの方は起業家としても凄くて神でした。


引っ越した次の日から毎朝7時には集合して、夜までプログラミングをひたすらやるという生活が始まりました。

Hello Worldな瞬間。


作っていたのはもちろん口コミサイトです。以下友人のブログです。



しかし10日程が経った頃、問題が発生しました。この頃サイトの原型が出来つつあったのですが、細かい仕様を決定していなかったこともあり、一度改めて作りたいサービスについて話し合いました。


そしてあるたった1つの機能を付けるか付けないかの話が一向に進まず、お互いどうしても折れなかったので、なんと我々は2週間足らずでチームを解散しようという結論に至りました。

冗談のような本当の話です。

機能について簡単に説明すると、自社サイト内で使える〜コインみたいな通貨を導入するかしないかです。私が導入する派で彼がしない派でした。

正確にはこの時は、じゃあお互い自分が思うように機能を実装してどっちにするか決めよう、ということで別々で開発しようって流れだったのですが、結局そのまま戻らなくなってしまったという流れです。


ただそれでもプログラミングの勉強は一緒にやったりと何だかんだほぼずっと一緒にいたのですが、サービスだけは別々に作っていました。

この頃節約して毎日塩味のパスタを一緒に食べていたのですが、今でもペペロンチーノとかを見ると思い出します笑



それから私はとにかく何か作ってリリースしたいと考え、すぐ作れそうな全く別のサービスを考え始めます。

そして何かシェアサービスを作りたいとなり、よく覚えてないですがどういう訳か企業寮のシェアができないか検討し始めます。

私は会社員時代に独身寮に住んでいたのですが、そこは50人以上は住める寮なのに10人も住んでいなかったのです。すごくもったいないなあと感じていました。そこで色んな会社が寮をシェアすれば、空き部屋も減って他社との交流も生まれるのでいんじゃないかと思ったのです。


何かそれっぽい説明資料も何枚か作って、いけそうならサイトも本格的に作ろうかと考えていました。



しかし結局この案も実現することはありませんでした。


4月の終わり頃、私はとあるアプリの勉強会に参加し、そこで一つの簡単なQ&Aサービスのようなものを作ろうとします。実は似たような機能を持ったアプリを過去に見たことがあるのですが、自分がいざ使おうと思って調べてみてもいくら調べても出てこず、ならば作ってしまおうとなった次第です。

しかし分からない部分が多くうまくいかず、同じギークハウス岡山に元々住んでいた休学中の学生プログラマーの友人に相談したところ、色々とアイデアが出て盛り上がってしまい、完全に意気投合してそのままの勢いで一週間程で簡単なWebサービスを彼と共同でリリースしてしまいます。


それがQpicksでした。

5月頭に出したのはβ版でしたので作りは非常にシンプルでしたが、周りの反応も悪くはなくこれはいけるのではないかと感じました。


そして気付けばQpicksのピッチを行っていました。


気付けばサービスを広めることに必死でした。


この時はもう、あとはこのサービスを世界中に広めるだけだーよしやるぞーみたいな感じで毎日過ごしていました。当然周りの親切な方々のネガティブなアドバイスは右から左でした。


またQpicksのリリース以外に、5月頭には別の大きな決定を下していました。

当初のやりたいことであったイスラエルへ行くことです。


いつか行くとか言ってても絶対行かんわこれと思い、一時は忘れかけていたイスラエル行きを実現することを決意しました。

どうせ起業するならグローバルに攻めるためイスラエルでやったろうってなりました。


そのことをQpicksを開発してくれた鈴木くんに伝えると、二つ返事で行きますと返ってきました。衝撃の速度でした。

逆に当初一緒に行く予定であったデリ男氏に伝えたところ、第一声はいやっでした。今は優先順位が高くないため来ないとのことでした。



という流れで、スタートアップキングダムという一つの区切りとしていたピッチイベントが終わった翌日から、イスラエルに行くことにしました。

正確な日付でいくと、5月21日に岡山を出て、22日に東京に着いて、23日にイスラエルに着いたのですが、私はもう冒頭の誓約書通り22日に行ったということにしています。



一日だけ東京に滞在したのですが、その時に色々すごい方にお会いして頂き、死ぬほど勉強になったことは今でも鮮明に覚えています。



そして

ノリだけでとうとうイスラエルのテルアビブに来てしまいました。


とりあえず毎日その日の家探しに必死だったことをよく覚えています。野宿した日もあったのですが、死ぬ程寒かったのでこれはダメだってなりました。


アパートを借りることはできず、知り合いがいる訳でもありませんでしたので、毎日Airbnbで泊まれるところを探して移動するという生活でした。ハードではありましたが、毎日色んな現地の人々と交流できるので、この点は非常に良かったです。


宿もそうなのですが想像以上に物価が高く、どうにかしてお金を稼がないことにはこっちでの生活が無いということだけはよく分かりました。


イスラエルに着いた翌週には現地のVCとミーティングをして頂いたのですが、もちろんどこの馬の骨かも分からない君達によし出資しようなんてことにはなりませんでした。


またこの時に現地のVCの方に教えてもらったのですが、狙っていたイノベーションビザというビザの取得がかなり困難かつ仮に取れたとしてもその間に現地でお金を稼ぐことはできないという鬼畜な条件だったため、これはまずいなという感じになりました。


一時はボランティアをすれば無料の宿とご飯とさらにはビザまでもらえるらしいという理由だけでボランティアをしようかという話になるなど、かなり瞑想していた時もありました。


とにかく色んな人に連絡をしてみて何かしようとはするのですが、返信をもらえることはほとんどなく、テルアビブの街中をぶらぶらとしながら時間だけが過ぎていく日が何日か続きました。



そしてこっちに来て10日が経った頃には、

一緒に来た友人とのお別れの時がきました。物価も高くVISAも取れず起業も厳しいとなれば当然の流れでした。彼はなんと帰国後ほんの数日程で日本のスタートアップの働き先を見つけてしまいました。


この時に私はもう少しやりたいことがあると言って残ったのですが、日本に戻ったら東京で一緒にQpicksをやろうという話はしていました。もちろん彼はスタートアップで働きながらになるのですが。



残った私はというと、現地のピッチイベント(交流会のようなもの)やテック系のイベントに参加しつつ、なんだかんだ非合法的にスタートアップでインターン生として働かせてもらえるのではないかと思い働き場所も探していました。


結果やったことのまとめは以下の感じです。

私がイスラエルで何をやっていたかについてはこのブログの5月・6月のアーカイブを見て頂けましたら全て分かるようになっています。


実は一箇所、運良くインターンシップをさせてもらえる会社が見つかったのですが、やはり給料は払えないということでしたので、結構悩んだ末に日本に帰る選択をしました。

働いてみたい気持ちはすごく大きかったのですが、観光ビザの限界が3ヶ月なのでマックス2ヶ月しか滞在できず経験としては短すぎること、また本来の目的からかなり離れてしまうことも引っかかったのでこっちは選びませんでした。


しかし今思うと、正直唯一後悔していることがあるとすればこの時少しでもいいから現地で働いてみなかったことです。やはり人間やらなかった後悔というものは強く残るものだなあと思います。



結局一ヶ月ちょっとでダサダサ帰国。


学んだことは色々とありました。軍事・宗教・コミュニケーションの違いが圧倒的に大きいなーというのがありますが、それ以外にもユダヤ人の生き方考え方、スタートアップのやり方など、私の人生が変わるきっかけとなった経験だったのは言うまでもありません。


6月末にギークハウス岡山でイスラエル勉強会を行い、その後すぐ東京に移りました。以下はこの時の懐かしいPreziで作った資料のスクショ。


東京に行ってからも何か色々やってみるつもりだったようです。



7〜9月

気付けば当たり前のように夜行バスに揺られ東京に来ていました。

実は私は東京というところが本当に苦手で当初はかなり行くことを拒んでいたのですが、やっぱり起業するなら東京でやるのが一番だよねってなって渋々出て来たというのが本音です笑


まずQpicksの正式版をリリースしようということで、鈴木くんが一人で開発を行ってくれました。すごすぎます。


また実験的にデザインはインドやベトナムの会社に投げてみました。この時に会社員時代のベトナムの優秀な同僚が向こうのデザイン会社やフリーランスエンジニアを紹介してくれてりして大変助かりました。この子はQpicksの紹介ムービーを作ってくれたりもしてくれたので本当に助かりました。


ただし結局デザインも後からこっちで大幅修正したので、あまりコスパが良かったということもありませんでした。


私の方は会社設立の手続きをほぼ進めて、終わり次第Qpicksの普及活動に力を入れていきました。

ネットでアタックした人は結局ほとんど使ってくれないという問題があったので、毎日イベントや勉強会に行ってリアルの場に顔を出して広めようとしていました。


また結果的にほとんど効果は無かったのですが、


QRコードのTシャツを作って宣伝してみたり、


チラシを作ってコワーキングスペースに置いてもらったりしていました。

この辺りのエピソードはもう少し時間が経つと良い感じにネタにできそうな気がします。


あとは片っ端からピッチイベントに応募したり、プレスリリースができるサイトにサービスを載せてもらったり、効果がありそうなものはひとまず手を出してみました。


もちろんベンチャーキャピタルを回ったりもしたのですが、どこのVCからも反応は悪く、あんまり稼げそうにないよねーと突っ込まれまくっていました。これは本当にその通りだったので、今思えばもっと素直にこの時アドバイスを受け入れるべきでした。


しかし自分自身でも頭の片隅には、流石にそろそろ何かして稼がないとやばいなーという自覚はありました。というのもQpicksは普及するまでは一切マネタイズを行わず、広告も貼らないと決めていたからです。

ですが当然それだけでは生きていくことはできないので、会社としてやっていくのであれば受託開発をして稼ぐか出資を受けてサービス開発に専念するか、もしくはすぐに稼げそうな別事業を立ち上げるか、とにかく何かしないことには今の生活を続けていくことはできないなと考えていました。


この時から私は、出資含めた財務面のこと、会社設立や経営に関わる法律や税金、そもそも創業期って何すればいんだっけみたいなことを勉強し始めました。ひたすらググって本を読みました。



そして最終的に、「出資は受けない、会社も作らない」ということを決めました。


会社設立の手続は寸前のところまで進めていたのですが、8月下旬に会社設立登記申請取消し手続きという非常にレアな手続きをしてきました。

さらにはお互い掛け持ちでQpicksを続けていこうという話もしていたのですが、今後リモートになると難しいということもあり結局Qpicksもチームとしては解散することにしました。

この7・8月は細かい話を入れると相当色々あったのですが、結果的にはこういう形となりました。



この時点で一旦、これまで続けてきた活動が一つの終わりを迎えました。



悲しいなあとは感じましたが、身動きが取れなくなってしまう前に冷静に現実を見ないといけない状況でした。

この4畳アパートの一室で、いつ芽が出るか分からない、というか収益性でみるとかなり怪しいQpicksの開発を、少なくとも向こう数年続けられるかと考えた時に、答えはNoでした。


本当に好きなこと、もしくはグングン伸びて儲かりそうなものでなければ、ずっと続けていくということは難しいものです。



さぁこれからどうするとなっていくところなのですが、実はもう9月には次にすることは決めており9月末に東京を出ていくことは確定でした。


なので残った9月の1ヶ月間は何をしていたかというと、色々ご縁もあって2つの会社を行き来していました。

1つは次に働く会社です、後ほど詳細は書きます。東京のオフィスを10月まで自由に使っても良いとのことでしたのでお世話になっていました。


もう1つは別のスタートアップで、そこはAIとセキュリティの会社です。たまたま運良く代表の方と知り合う機会があり、1ヶ月間だけそこでエンジニアとしてお手伝いさせてもらっていました。

これまで1〜2ヶ月程度の期間ざっくりとしかプログラミングをしたことがなかったため、非常に良い勉強になりました。感謝しかございません。




さて、最後に10月以降、というか今後どうしていくかについてですが、とある関西にある中小企業ベンチャーにエンジニアとして入ります。そこは工場設備とAI・IoTを組み合わせたサービスを開発している会社です。

この半年間の間に素晴らしいご縁があったので、そこに入ることを決めました。

あるイベントでMacのコネクターをお借りしたしたことがきっかけで仲良くなった社長の方がいて、その後に話がすごく盛り上がり、別の日にオフィスにも遊びに行かせてもらって、ちょくちょくLINEで連絡をやり取りさせてもらっている内にその流れで決まっていきました。

ぼろぼろのボロ雑巾のような状態のぷう太郎の私を拾って頂いたので感謝しかございません。




またこれからについて起業という部分に関しては、プロジェクト単位で色んな人と面白いことができたらいいなーと思ってます。いきなり全てを突っ込んだり退路を絶つようなことは、どうしても人生かけてやりたい何かが無い限りはしないです。これはいけるぞってなるまでは小さく、地味に、こつこつとやっていこうかなと。いつかやってやるぞという気持ちは今も変わらずあります。

イスラエルだと大企業の社員が働きながらスタートアップを立ち上げたり、弁護士の人がIT会社を持っていたり、主婦の人でも3つくらい仕事をしていたりするので、そういう生き方をしている人達を見てかなり影響を受けてしまったのだと思われます。


あとは続けることを大事にしていきます。ここ最近はやりたいことがコロコロコロコロ変わってしまって、あれもこれもやろうとして中途半端で終わってしまうということが多々あったので、その反省は活かそうと思います。なので次入る会社では結果を出すまでとことん辛抱強くやっていきます。さらに将来また何か事業を始めるにしてもこれでもかっていうくらい続けようと思います。

これでまたすぐ会社辞めて別のことをやってというのを繰り返していたら、どんどんただのポンコツになってしまうと思いますので。



先日、たまたま埼玉にある町工場を見学させてもらって、そこの社長の人と6時間くらい話をしてもらったのですが、やっぱりモノづくりって面白れ〜ってなりました。元々大学も工学部で、就職先もメーカーで、モノづくりにはずっと興味あったよなっていうことを再認識しました。

なのでこれから関わっていく分野としては、モノづくりに関係することにしようと思っています。あとは何でも商売を続けていくためにはお金の勉強が必要不可欠ということを身にしみてこの半年間学べたので、そこはここからもっと極めていこうと考えてます。

出世とかキャリアアップには死ぬ程興味が無いので、多分これからも非合理的な意思決定をしまくりますが、いかにして楽しい人生を送るかっていう部分は外さないようにしたいです。



最初一緒に事業をやろうとしていた大学時代の友人は10月からカフェの店長になり、一緒にQpicksを作った友人はかなりイケてるスタートアップの社員になるということで、みんな各々の人生をまた進もうとしているんだなと感じます。

他にもお世話になった人も含めて、これまで関わってきた人達とはまたどこかで何かできたら良いなあと考えています。



明日は会社員時代の職場先輩と久しぶりに飲むというイベントがあって、多分めちゃめちゃ失敗してんじゃんってイジられて、明後日は今の東京の家を出ます。



ここまで振り返ってみると、この半年間も一年間も終わってみればマジで一瞬だったなって思います。こんな感じで人生あっという間に終わってしまうんだなと思うと恐ろしいですね。

私も死ぬまでには前澤さんみたいに宇宙とか行きたい...





てな感じで、また環境がガラッと変わりますが、色々頑張っていきたいと思いまーす。

以上

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