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コソボの首都プリシュティナ - スコピエからバス移動

スコピエでの観光は早々に切り上げ、北マケドニアと国境を接する国コソボへと移動する。
あえて国と書いておく。

コソボの首都プリシュティナへの移動

コソボ入国ルート

コソボには、アルバニアから入るか北マケドニアから入るかが定番らしい。

アルバニアにいたときに得た情報によると、2日に一回ほどアルバニアの国境に近い町プリズレンにティラナからバスが出ているらしい。

北マケドニアの首都スコピエからは、ほぼ2時間に1本程度にはバスが出ていた。今回はこれに乗ることにした。

ちなみに、セルビアとコソボの国境超えは注意。これはセルビアがコソボを国として認めていないことに起因する。

セルビアからコソボに入ることはできるらしいが、自国内の移動とセルビアは見なすため、もしかしたら出国の際に問題になるかもしれない。(コソボに入国した履歴がないため)

合わせて、コソボに入国してからセルビアに抜けようとするのは絶対にNG。
コソボに入国したことを、セルビアは自国に入国したことと見なすので、セルビアのチェックを受けずにコソボにいた事を不法入国として見なされるのだとか。

世知辛い話である。

バスチケット購入

バスのチケットは、当日購入。15時出発のバスを購入した。クレジットカード支払いをすることもできるので、現金を使い果たしていたとしても問題はない。

クレジットカードを使えないバスターミナルもかなり多い中で、これはありがたい。

私はこのあとコソボからまた同じスコピエバスターミナル経由でブルガリアに行こうと思っていたので、残っていた90レクはそのまま残しておいた。

バスでプリシュティナまで

バスは大型バスだった。しかし、乗客は10人程度。

たとえ予め決まっていたバスだとしても、なんと効率の悪いことだろうか。
バスの乗車を待っていたとき、バックパッカー風貌の女性に声をかけられた。

少しこの場を離れたいから荷物を見ていて欲しいとのこと。トイレでも行きたいのかなと思い了承し、少し待っていると5分ほどで彼女は帰ってきた。
そして私にチョコクッキーを手渡してきたのだ。

どうやら、残ったディナールの使い切ろうとしていたらしい。

それにしても、荷物を見ていたお礼とは言え余ったお金でお礼までしてくれるなんて。 ケチな私はおそらく考えつかない。

その姿を見習って、そういう大人に私もなりたい。

出発したバスは、プリシュティナに入ってから夜の渋滞に捕まって到着時間は少し遅れたが無事到着した。
そこからは、2km程度だったのでゲストハウスまで徒歩で向かった。

ゲストハウスの共有スペースにて

夕食は、ゲストハウスすぐ横で、日本人の旅行者もよく訪れているようだったキョフテの老舗店SHABANで食べた。

この量で3ユーロ。これはコソボはユーロ使用国のくせして物価が安そうだと胸が高鳴る。

キョフテとかチェバピとか、バルカン風のひき肉グリルは正直どれも同じような味がして形以外の違いがわかっていないのだが、この値段でサラダも添えられているので満足した。

食事を終えて、スーパーに向う。 やはり多くのものがかなり安い。

物色していると、コソボ産でぶどうはVRANACのワインを見つけた。
値段は5ユーロしない。

ワインは飲みたいと思いつつ、日程の関係上飲み逃していたので購入。あとで持ち運び用にもできると思い、安かったピーナッツも購入した。

ゲストハウスの共有スペースでワインを飲みながら調べていると、隣に座っていた男性が声をかけてきた。
彼はイラン人のAlibabaeiくん。

なんとイランのサッカー代表選手らしい。ヨーロッパのいくつかのチームからオファーがあるが、ビザの関係でここコソボで半年以上プレーする必要があるのだとか。

どこにでもビザなしで入国できる日本のパスポートを大変羨ましがっていた。浅野拓磨はいいやつ、とか、三笘薫はすごいとか、現役のプロ選手と話す機会はなかなか無いので良い経験だった。

それにしても彼のマネージャー、ゲストハウスじゃなくてちゃんとした家確保してあげれば良いのに…

プリシュティナ散策

見どころが多いというわけではないプリシュティナなので、ある程度目星を着けといたところを見終わったら、適当に歩き回ることにした。
それでも1日フリーであれば時間が余った。

マザーテレサ大聖堂

スコピエ生まれのアルバニア人マザーテレサだが、この地域の偉人としてコソボにもマザーテレサの名を関した大聖堂がある。
この建物が市内で一番高いんだとか。

中には。マザーテレサが洗礼を受けている場面か(?)のステンドグラスがある。

国立図書館

その特徴的な外観で有名な国立図書館。
基本は外観をみてオーすごいと思う観光名所。
防御力めっちゃ高そう。

New Born像(改め、No New BR像)

町の中央から少し離れたところに、Google MapではNew Born像として登録されている観光名所。

2008年に独立を一応果たしたことを記念して建てられているはず。
ただ、その時期によって少しずつ文字が変わっているようで、私が行ったときは「New Born」と使う文字は同じ「No New BR」に変わっていた。BRはBroken Republic

「新たな崩壊した共和国にはならない」とかだろうか。

放置されたセルビア正教会

セルビア正教会として建設が進められていたが、コソボ紛争により建設がストップしてそのまま放置された教会。(コソボは基本イスラム教国家)

現地でも、この教会を残すべきか議論があったりするらしい。

今は、この周辺を野良犬が住処にしているらしく、数多くの犬が群れをなして生活していて怖い。Google Mapのレビューでも犬に襲われた報告が存在する。

でも横を通る歩行道の歩行者はかなり多い。

適当スナップ

コソボ国旗とアメリカ国旗が並んでいる。戦争を仲介したアメリカのことはやっぱり好きなんだろうな。

スカンデルベグ像再び。ここも犬の縄張りで、像に近づく人はみな犬の餌食となっている。

コソボのマーケット。マーケットで感じたことはあとがきに記載。

イスラム教国家らしく、スルタンという店名。

あとがき(散策小話)

コソボの街並み自体は割りと好きで、雑多で車通りも多いが路地とかは昔ながらの感じが残っている。

野良犬が多くて、それらがほぼ漏れなく縄張り意識が強いのが結構怖いところではあった。

あと、まぁこれはよくある話だが、マーケットを歩いていると商店に立っていたおっさんから「オー、チャイナ」と言われた。

西洋人にとって見分けがつかないとかよく書いている人はいるが(そもそも日本人でさえ相手が日本人かよくわからない)、少なくともここコソボにおいては少し意味合いが違うのではないかと思った。

東洋系の顔の人をまとめてチャイナというのを仕方がないと思えと言うのであれば、バルカンにいる人を見かけたらまとめてセルビア人と言って良いのだろうか。

少なくとも私には、その人がセルビア人かアルバニア人(コソボ人) かなんて見分けがつかない。

でも、コソボの現地民が東洋人にひと目見ただけで「セルビア人か」と言われたら、きっと良い顔はしないだろう。

こんなこと考えるのは私だけかもしれないが、コソボ紛争があってもそういうふうに考えられる可能性があると思えないのかなと、少し悲しい思いになった。


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