見出し画像

100歳まで生きる人生計画

Kindleのオススメで出てきた本が意外と良かったのでご紹介。著者の本多静六氏は明治神宮や日比谷公園などを設計した造園技師で、日本の林学の父と呼ばれる存在です。その生涯にわたって蓄財するとともに、それらを後進の教育や社会貢献へと寄付した方です。

本多静六『人生計画の立て方』(Amazon)

平均寿命70歳の時代に立てた人生計画

江戸末期生まれである著者の時代は、まさに日本が富国強兵へと突き進んでいった最中にあり、また多くの若者たちが大戦などによって命を失いました。どうして自分は生き残ったのか、使命とは何かを考え抜いて自らの“人生計画”を立てることを説きます。

①満40歳までの15年間は、馬鹿と笑われようが、ケチと罵られようが、一途に奮闘努力、勤倹貯蓄、もって一身一家の独立安定の基礎を築くこと。

②満40歳より満60歳までの20年間は、専門(大学教授)の職務を通じてもっぱら学問のため、国家社会のために働き抜くこと。

③満60歳以上の10年間は、国恩、世恩に報いるため、一切の名利を超越し、勤行布施のお礼奉公につとめること。

④幸いにして70歳以上に生き延びることができたら、居を山紫水明の温泉郷に卜し、晴耕雨読の晩年を楽しむこと。

⑤広く万巻の書を読み、遠く万里の道を往くこと。

実際に著者は85歳まで生き、後世に多くの書物と金言を遺したわけですが、それとともに平均寿命が85歳に達する時代の我々はこの考え方をアップデートする必要があります。恐らく、現在38歳の私が年を取ったときには、平均寿命が100歳になっている可能性が高いです。この30年という余命をどのように扱えばよいのでしょうか。

生き急ぐことは果たして正解なのか

現代を生きる我々の生活はとにかく忙しいです。ビジネスで一人前になることはもちろん、結婚して子育てして、さらに地域社会に貢献しなければならないという規範が見えないプレッシャーとなって襲いかかってきます。恐らく、あれやこれやと奮闘しているうちにあっという間に50歳になってしまいそうです。なので、①の項目は50歳まで延長して考えてみましょう。

50歳からの後半生になって初めて、国家社会といったところへの貢献意識が芽生えてくるように思います。もちろん、それを前倒しできれば良いのですが、普通に暮らして納税していればあまり気にしなくてもよさそうです。そこから70歳までの20年間で、専門性を以って国家社会のために働くことを考えていきたいですね。

70歳からもまだまだ現役です。80歳までのお礼奉公をしていくことで、また新たな生きがいも生まれてくるのではないでしょうか。80歳になってようやく晴耕雨読、山紫水明の温泉郷に隠居できそうです。そう考えると、20-30代の過ごし方も変わってきそうです。

むしろ、いまの20-30代が努力して向き合っているビジネス領域なんかは、恐らく老齢になったときにはすべからく陳腐化していることでしょう。遷り変わる流行り廃りを追いかけるのも良いですが、より本質的なことを手掛けておかなければ、50歳以降の生き方に関わってきそうです。

人生のクライマックスをどこに置くか

こうして考えてみると、我々はせいぜい5年先程度しか予測せずに日々を過ごしていることが理解できます。そして何か起こればその都度修正を繰り返し、気が付いたら年齢だけが増えていたという経験もあることでしょう。果たしてそれが、人生を振り返った際にはどのように映るのかということには想像が及んでいません。

個人的には70歳から80歳のお礼奉公こそがクライマックスなのではないかと考えています。もちろん、それまでも喜怒哀楽がたくさんあるのでしょうが、そのすべてを想い出として振り返りつつ、日本全国津々浦々に知人を訪ね歩くといった理想を念頭に置いて、それまでのご縁を積み上げていくことをしていきたいですね。


日本一生産性の上がらない保護猫が邪魔するワークスペース「SANCHACO/neco-makers」を世田谷区三軒茶屋で運営しております。ご興味のある方は是非! https://sanchaco.com