何故に、バチカン教・プロテスタンやその派生とかが危険なのか。=生贄が無いと存在できないから。







やたら、カトリック・プロテスタンが、戦争好きなのは、この「人身御供という淫祇邪教・耶蘇教」てことだからか・・

正教系は「犠牲になどなってない。死をもぶっ殺した=克服した からだ。」ってなる。


しかし、ハリストスは罪だけではなく、私たちのすべてを引き受けて十字架にかかったことを見落としてはなりません。

では、正教会の教える「救い」とは何でしょうか。

「罪」が「あるべき姿を失う」ことであるなら、「救い」とはそれを取り戻すことです。

「罪」が神との分離、神の像の破損であるなら、「救い」とは神との一致であり、神の像の回復です。

「罪」が悪魔、苦難、死と一つのものなら、「救い」とは悪魔の敗北、苦難の終結、死の死滅です。

これらすべてを、私たちのためになさったのが、人となった神ハリストスの十字架と復活です。

神が私だちと同じ人間になったという「籍身」によって、すでに私だちと神との一致の道が開かれました。完全な神の像であるハリストスによって、私たちの神の像は回復されます。

そして私たちがどうしても通らなければならない死という究極の不条理を、ハリストスはご自分の死と復活によって、敗北させました。

だから、カトリック・新教は、自分らのために、多くの他宗旨の人間・時には自分らの中の弱い立場の人を殺しまくって「救済」なり「ご利益」を求める。て感じる

まあ、カトリック・新教は、カルトみたいなもんだは。

で「神道は教えがない」とはネット嘯いている、神道の似非学者がいるが。
明治以降は「生贄教」のカトリック・新教を、その「神道」の教えにした・・{元が無いのだから、なんでも理屈つけて教えなりにできる}ってのだから、日本が滅びるのも、天皇根絶ない限りに順当なのです

天皇の無い 蒼い空を取り戻す

慈悲と憐みに富む社会になりますように

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?