根性論は糞だが、根性は要る。



半分は正しいとは思うよ。


ただ「根性」を出すのも、身体や環境に左右される。


漢方医学で、肝や腎とか弱ると、決断力や意志力が落ちる。

なら、当然「根性」も落ちるのだ。


また、根性が機能しなく無くなるのは、当人の意識もあるが、それを阻害する「社会的病態」てもある。

例えば、

アルコール依存症の人が、発心して辞めようとしても、

経済苦や、孤立・家庭や家族の不和があると、それの状況を凌いだり、躱すのに、アルコールを用いないと、モタナイような状況にいれば、そんなの根性など話にならない。

仮に発心なり根性を妨げる、「絶望」などしていたら、それはそれで、逆に「自滅・破滅」に根性や精神を用いることになる。


社会的病態が、精神的病態や肉体的病態を産む。ってのも当然のことで。


以前、大阪の精神科を焼き討ちして死んだ元板金工の事件があったが、

犯人は最初から、特別自棄になったわけでなく、治ろうとして治せなかったので、絶望して、焼き討ちの心中をしたわけで。

そもそも彼は、それなりに腕のあった板金工で、3・11以降の不景気で職を失なったのと、「自己責任論社会」で、その社会的病態を長らく放置されて「拗らせた」のが、最大の原因と見える。


この「焼き討ち」は、基本的には彼の責任だろうが、「自己責任論社会~通俗道徳による切り捨て社会」でなく、ロシア也北欧レベルの福祉が機能していたら、彼は「心中殺人鬼」にならなかった可能性が高いだろう。


孫子に言わせると、兵士に精神論や根性論を言う時点で

「もはや負け戦で、無能な指揮官」

なのですはな。

逆に精神論や根性論的なモノを要求されるのは、庶民・患者・弱者でなく、

むしろ「指導者・教師・為政者」の方なのが、兵書の傾向にある。

{励士}
部下将兵に臨む将帥の心得
1・爵位、高禄を保証する。こうすれば、有能な人材が馳せ参じてくる。
2・礼と信{約束を守る}をもって接する。こうすれば、部下をは死を辞さない。
3・恩をほどこし、法の適用に公平を期す。こうすれば、部下は喜んで服従する。
4・率先して事にあたる。こうすれば、部下も尻ごみする者がいなくなる。
5・善行はどんなちっぽけなことでも記録にとどめ、功績はどんなちっぽけなことでも賞賜をする。
こうすれば、部下はみずから進んで事にあたる。


他人に「根性出せ」って言っても、無理な話。

むしろ、指導者が自分で根性を出して「組織」のモチベーションを上げて、勢いをつけて、「根性」や「精神論」など言わんでも勝てるようにするようにしないと、

まあ話にならんのです。


なぜに「根性論」「精神論」が忌避されるようになったのか。


根性や精神以前の「物質」「状況整備」等を怠れば、根性や精神など意味ないからね。

{善将}
すぐれた将帥と凡庸な将帥
 むかしのすぐれた将帥は部下に臨むにあたってつぎの四つの基本原則を守った。 
1・進撃、後退いずれにさいしても、適切な指示を下した。部下が「禁を知る」、すなわち命令違反を犯さなかったのはそのためである。
2・仁義に則って行動すべきことを教えた。部下が「礼を知る」、すなわちモラルを守ったのはそのためである。
3・人材の登用に能力主義を貫いた。部下が「勧を知る」、すなわち奮いたったのそのためである。
4・信賞必罰をもって臨んだ。部下が「信を知る」、すなわち将帥のことばにウソいつわりのないことを知ったのはそのためである。
禁、礼、勧、信  この四項目こそまさに軍の根幹をなすものである。大綱さえきちんと確立していれば、細目はおのずから正される。だから戦えばかならず勝ち、攻めればかならず取ることができたのだ。 
 凡庸な将帥はこれとは逆である。 
 後退するときは、総くずれとなって踏みとどまることができず、進撃するときはただやみくもに進むだけだから、壊滅を免れない。
 賞罰の基準がでたらめであるから、部下は将帥を信頼せず、みずから奮いたち、みずからいましめることを知らない。また、有能な人材が退けられ、へつらい者が幅をきかせるということになるのである。だから、戦えばかならず敗れるのだ。


でも、その「仕込み」をするのにも、当然「根性」や「精神的発心」が不可欠になるけど。


その辺の「精神論」は、まあ日本ではまず見ないで、弱いものをしばき倒して調教するしかなかったからですはな。



「頭のない鶏」状態で勝てる種目は限られているだろう。強い意思と判断力を持ちながら自分たちに従属することを権力者は願っているのかもしれないが、そう都合良くは行かない。
 かつて、世界的に人気のある球技では日本人の弱点として瞬時の判断力が足りないとされていたが、その原因は日頃、絶対服従を要求されていることにあるだろう。自分で考える能力が鍛えられていない。子どもの頃から暴力で行動をコントロールされていた人は、周囲に暴力で抑えられる人がいなくなると暴走しがちだ。


頭の無い鶏 になれば、根性も糞も無くなってくるし。

本当に優れた人は、根性論を言わんでも、根性があるし、周りの人も、根性が出てくるようになる。

で、根性論・精神論が跋扈するのは、根性や精神以前の仕込みを怠るからで、

 後退するときは、総くずれとなって踏みとどまることができず、進撃するときはただやみくもに進むだけだから、壊滅を免れない。
 賞罰の基準がでたらめであるから、部下は将帥を信頼せず、みずから奮いたち、みずからいましめることを知らない。また、有能な人材が退けられ、へつらい者が幅をきかせるということになるのである。だから、戦えばかならず敗れるのだ。

てまさにこのことだよね。


結局は、先の見込み也、指導者への信頼がなければ、根性も、精神も、ありえなくなっていく。

三略に



人材を集めようと思えば環境を整え、人材を働かせようと思ったら見返りを示すことで、そこでようやく人材を得ることができるのです。
逆に言えば、礼を渋れば人材は去り、賞を渋れば人材は働かないのです。どちらも怠らずに行ってこそ、人材は我先にと働くものなのです。

《軍讖》にこうあります「国が軍を興す時は、まず恩恵をさかんに施すもの。敵を攻め取ろうとする時は、まず民衆を養うもの。少をもって多に勝つ要因は恩恵。弱をもって強に勝つ要因は民衆」と。良將が人材を我が身のように養うのは、このためなのです。


このように希望や信頼ができると、根性や精神論を言わなくても、ある程度自発的に為せるようになる。

逆に

《軍讖》にこうあります「上が暴虐であれば、下は忙しく過酷になる。たびたび重税を集め、たびたび刑罰を与えれば、民も残虐になる。これを国を亡くすという」と。
《軍讖》にこうあります「内情は貪欲であるのに外面は清廉にし、栄誉を偽り名を高め、公を傘にきて恩を売り、上にも下にも惑わせて、身を飾って良い顔をし、そして高位を得る。これを盗人の始まりという」と。
《軍讖》にこうあります「有力者たちが結党し、顔見知りだけを推し進め、姦賊を取り上げ、仁者賢者を退け、公事よりも私事を優先し、結果として官吏に乱れが生じる。これを乱の源という」と。


希望を失わせ、信頼をそこねると、根性など、期待できずに、逆に「負の根性」を発揮して、自他を破滅させていく。


で、根性を適切に発揮するのは如何すべきか。て諸葛亮兵書から考えてみる。

{整師}

軍の統制
 軍の出動にあたっては、統制を重視しなければならない。
 統制の有無が勝利の鍵となる。
 賞罰が明らかでなく、軍令の徹底を欠く。金{銅鑼}をうち鳴らして後退を命じても後退せず、鼓{太鼓}をたたいて前進を命じても前進しない。これでは百万の大軍を繰り出しても、役には立たない。
 では統制がとれているとは、どういうことなのか。それはつぎのような状態を指す。
平時においては規律を維持し、戦時にあっては期待どうりの戦力を発揮する。
進撃すれば破竹の勢いを示し、後退を命じても敵につけいる隙を与えない。
各隊が密接な連携のもとに一致協力し、困難の打開にあたる。
全軍一体となって行動し、敵の分裂工作にまどわされない。
戦意旺盛で、敵の猛攻にもへこたれない。

>平時においては規律を維持し、戦時にあっては期待どうりの戦力を発揮する。

個人で言うと「生活を整える」

>進撃すれば破竹の勢いを示し、後退を命じても敵につけいる隙を与えない。

個人で言うと「節度をもって行動する」

>各隊が密接な連携のもとに一致協力し、困難の打開にあたる。

個人で言うと「周囲と良好な関係を保つ」

>全軍一体となって行動し、敵の分裂工作にまどわされない。

個人で言うと「家族や仲間を信頼できる」

>戦意旺盛で、敵の猛攻にもへこたれない。

個人で言うと「危機にへこたれない」

まさに、凄い根性の人ですよね。

それを実現するには

>賞罰が明らかでなく、

の逆の「賞罰を明らかにする」で社会や家族が、不当な扱いやいじめをしない。

>軍令の徹底を欠く

の逆の「軍令を徹底する」で教育や福祉が徹底して取りこぼしや切り捨てをしない。


と言えるだろうか。


その状況・条件があってこそ、「無敵の人の、負の根性による自滅的事件や不幸な出来事」を防いで、適切な「根性」の発揮を期待でき、時には要請できる。

とみていいのだろう。


まあ、それもこれも「根性」というか発心して{精神だな}適切な知識・方策で、それを誘引し喚起することができてこその話で。


てなことで


「根性論・精神論は、バカのする話だが、「根性」や「精神のまともさ」は不可欠」

てのが、穏当な意見になるのかな。


余談


『孫子』に『兵士たちがまだなついていないのに、刑罰を厳しくするなら、兵士たちは心服しない。すでに兵士たちがなついていても、刑罰をゆるがせにするなら、軍隊は使い物にならなくなる』とあります。この言葉の意味は、『将軍たる者は、まず恩愛によって兵士たちの信頼を獲得することが大切で、そうしてはじめて厳しい刑罰を使うことができる。あまり兵士たちをかわいがっていないのに、ただ厳しい法律で命令に違反した者をとりしまるばかりなら、あまり成功できない』ということです」
 太宗が質問しました。
「『書経』には『威厳が愛情よりも多ければ、成功できる。愛情が威厳よりも多ければ、成功できない』とあるが、これはどういう意味だ?」
 李靖が答えました。
「先に恩愛をほどこし、あとから威刑をくわえるという順番は、逆にしてはいけません。もし兵士たちに、先に威刑をくわえ、あとから恩愛をほどこすなら、まったく効果が期待できません。『書経』が言っているのは、『戦争が起きたあとには、全軍に気をひきしめさせる必要がある』ということであり、『戦争を起こす前には、兵士たちを厳しくしつけておく必要がある』ということではありません。ですから、『孫子』の言葉は、決して無視できないのです」
李靖が答えました。
「むかし光武帝は、赤眉軍(当時の農民反乱軍)と戦ったことがありましたが、その赤眉軍が降伏してきたあと、数人の部下を連れただけで、赤眉軍のなかを馬に乗って、ゆっくりと視察してまわりました。それを見た赤眉軍の将兵たちは、いつ処罰されるのかと不安に思っていたのですが、口々に『光武帝さまは、大した武器ももたず、しかも、あんな少ない人数で自分たちのところへ来られた。これは自分たちのことを許してくだり、しかも信じてくださっている何よりの証拠だ』と言って喜びました。このとき光武帝が軽装で赤眉軍のなかに入っていったのは、『赤眉軍は、もともと天下をとろうという野心をいだいて挙兵したのではなく、ただ単に王莽の暴政のために生活が苦しくなって、やむをえず反乱を起こしたにすぎない』という実情をわかっていて、『こちらが誠意を示せば、むこうも誠意を示してくれるだろう』と判断したからであり、なんの考えもなしに一か八かのカケに出たわけではありません。
 この前、わたくしが突厥を討伐しましたとき、中国人部隊と異民族部隊からなる混成軍をひきい、基地を出て千里の遠くまで軍を進めましたが、秩序を乱す人間や規則を守らない人間を一人も出しませんでした。このようにできたのも、光武帝のように真心をもって兵士たちに接し、公正無私にふるまったからにすぎません。

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