なぜ、僕はギャルが好きなのか、という考察
高校一年生の頃、僕は他人のブログを読むことにハマっていた。
当時、前略プロフだったり、個人や友人とホームページを作るなどして自らについてネットに発信することが流行っていて、至る所で友達の日常に触れることができた。友達が更新してくれた場合の話だけど。
そんな中でも一際僕の興味を引いたのは、
早熟なギャルのブログだった。
僕は、ほとんどギャルのブログしか読まなかった。学校で面白い奴のブログを読んだりもしたが、9割9分9厘、僕は早熟なギャルのブログしか読んでいなかったのだ。
ギャルのブログの破壊力は、えげつなかった。
まず、地元のギャルのブログを読むようにしていた。その子は中学生の時からイケイケで、僕は彼女から性に関する知識をよく教えてもらった。
地元の公園でタバコをふかしながら、さも当然のように「好きな体位?バックやろ」と言い放った彼女は、やけに大人びて見えた。僕は彼女の話の影響か、それとも冬なのに外でスーパーカップアイスを食べたからか、帰り道に腹を壊したのを覚えている。
そんな早熟な彼女は、地元のヤンキー高校に行った後も、ブログで包み隠さずに自らについて発信してくれた。
ギャルのブログは、だいたいこんな感じだった。
今日はトモくんday(はしゃいでる絵文字)
両親がおらんから、ガストでご飯(フォークとナイフの絵文字)食べて、そのままトモくんウチにきた(家の絵文字とハートが揺れてる絵文字)
一緒にお風呂(風呂の絵文字)入って、お風呂上がりにアイス食べて、そのあと×××……(ハートを揺さぶられた絵文字3つくらい)
ほんま楽しかった(ホテルの絵文字とハートの絵文字)
次の日もゴロゴロしたり×××したりして、さっきトモくん帰っていきました(泣く絵文字とハートを揺さぶられた絵文字)
ああー、楽しかった(ハートを揺さぶられた絵文字)
トモくんにもう会いたい(犬か猫かようわからん動物の黄色い絵文字とハートの絵文字)
これを読めば、きっとあなたもギャルのブログの破壊力について理解して頂けることだろう。
まず、セックスを×××と表現する、その見栄と恥じらいのバランスが絶妙だ。セックスと書けばいいじゃないか。セックスって書いてくれよ。
真夜中の寝室で、僕はこのことに頭を抱えて眠ることができなかった。ガリ勉だったのでタイトに自分のスケジュールを管理していた僕にとって、睡眠不足は大敵だった。しかし、面白すぎるのだ。考えれば考えるほどに、色んな憶測が頭の中で飛び交った。
いや、違う。もしかしたら、×××はセックスではないのかもしれないじゃないか。ティーバッティングかもしれないし、受け身の練習かもしれない。
いや、絶対違う。絶対セックスだ。セックスだろ。
×××とは、セックスなのだ!!!!
3時間経ってからそう結論づけても、なぜかそう言い切れない感覚が面白くて、僕はギャルに夢中になった。
しかし、高1にして、彼氏とお風呂に入るとは、なんたる破廉恥な出来事であろうか。
その頃の僕と言えば、ガリ勉によるストレスが凄すぎて狂いそうになっていた。教室の隅で「フェラーチオー」と電子辞書に発音させてニヤニヤしていたのだ。その瞬間にも、あのギャルは×××しているのだ。
僕たちは同じ人間なのだろうか。
いや、違う。僕にとって、ギャルは雲の上の存在なのだ。憧れの存在なのだ。
ギャルのディグをしていると、僕はギャルについてある習性、ギャルの法則があることに気がついた。
それは、ギャルはチームをよく作る、ということだ。よほど性格の悪い奴じゃない限り、ギャルはチームを組んでいた。
南米の某国の名前が可愛いから、という理由でチームの名前が南米の国の名前のギャルのチームがあったことを、この文章を書いていて思い出した。南米の国の名前を見て、可愛いと感じるその感性。唯一無二。とても素晴らしい。(そのギャルの1人と飲みに行った時、彼女は好きな国は「カナダ」だと言っていた)
僕はギャルのチームのHPに飛んで手当たり次第にギャルのプロフィールや、ブログを見て回った。これをネットストーキングと呼ぶと最近知った。いや、これはストーキングではないのだ。この行為は、僕にとって、地下発掘のような、調査に近い感覚だった。
あるギャルに彼氏ができたら、僕は素直にカップルを応援した。彼氏のブログも見つかって、幸せになるといいな!と思って、2人の動きを観察した。
そして、2人の恋愛を文章の上で拝見していた。ヤンキーのデートは意外と普通で、ほっこりしたのを覚えている。森とかで×××しそうなのに、ジャスコのゲーセンとフードコートにずっといる。
ギャルが幸せでブチ上がってる時は、こいつブチ上がってんなー!と思い、楽しくなって、僕はヒップホップを聴いた。ギャルが別れたり、病んだブログを読んだ時にはすごく切ない気持ちになった。そして、ヒップホップを聴いた。
とにかく、ギャルの日常はめちゃくちゃ僕の想像力を掻き立てた。学生時代、真面目だった奴はワルに憧れるのと同じようにまた、僕も真面目だったからギャルに憧れたのだろうと思う。
実際に地元のギャル達と学校で話すと、彼女たちがいかに真っ直ぐで、自分に正直に生きているか、ということが分かるだろう。
好きなものは好き。嫌いなものは嫌い。やりたいことはやりたい。したくないことはしたくない。
人間にとって簡単なのに、一番難しいこと。
それをやってのけるのがギャルなのだと思った。当然、ギャルにもギャルなりの悩みがあるだろう。しかし、彼女たちは過去を受け入れているように思う。
「過去を忘れては、先へは進めない」
昨日観たATCQのドキュメンタリーでQ-Tipが言っていた言葉だ。
僕の中学校にいたギャルは、薬物をやったり、教師をリンチしたりして、中3の時に3人逮捕された。
しかし、どのギャルも、いい奴だった。2人は今でもSNSで見かけるが、結婚して、子供を産み、彼女たちは自分にとって幸せな毎日を暮らしている。
卒業文集でも、他の生徒の文章は面白くないが、ギャルの文章は最高だった。
「授業を抜け出して、スーパーの前に溜まって、ご飯を食べながら話して笑うのが楽しかった。学校での思い出はないけど、私はこれで良かったと思う。楽しかった」
つまり、我が生涯に一片の悔いなし、ということである。
なんと尊い生き方なんだろうか。
やっぱ、ギャルって、最高だよ。
ギャル、ギャル、ギャル!!!!
あー!!!!ギャル!!!!ギャルー!!!
橋本梨菜ー!!!
葉月あやー!!!
さいこー!!!さいこーのギャル!!!
ありがとうー!!!希望を与えてくれてありがとうー!!!
さいこーのギャル!!!ギャルー!!!いつまでもさいこーのギャルでいてくれ!!!
昨今のギャルはSNSが上手いように思う。もちろん不器用なギャルもいる。しかし、そのギャルもいずれはSNSを上手く使いこなせるようになるだろう。なぜなら、彼女たちは壁にぶつかっていくからだ。意外とギャルは、泥臭く這い上がるものなのだ。人間味に溢れているギャルは、魅力的だ。
例えば、橋本梨菜と、葉月あやのSNSの使い方は、これはもう、素晴らしいスキルだと思うのだ。
ただ、彼女たちも、初めからあんなに上手くはなかったはずだ。彼女たちのSNSのスキルは、崖の上をロープ一本で綱渡りしているような素晴らしさがある。素人が簡単に身につけられるようなスキルではないのだ。
SNSでアイドルや芸能人のダサい一面にがっかりすることがあるが、彼女たちのSNSを見て、その感情になったことが一度もない。それどころか、僕はいいねを押したくなる。本当に心の底から彼女たちの生き様を応援したいと思って、いいねを押すのだ。
きっと、彼女たちも苦労を乗り越えて生きてきたのだ。苦労に直面しても諦めず、僕たちに幸せをくださっているのだ。暗くなりがちな道を照らしてくれる、彼女たちはスターなのだ!!!
サイコー!!!!!
とにかく、ギャルのブログやギャルの生き様が好きだった。僕は、自分の幸せや、辛さをあんなに爽やかに、正直に吐き出すことはできない。そんなに強い人間じゃない。
だから、純粋に羨ましかった。
ああ、ギャルってやっぱ最高。
僕は、小さな石ころにつまづいては悩んでしまう。
しかし、人生は一瞬なのだ。27年しか生きていないからわからないけど、多分、人生は一瞬なんだろう。
だから、そんな時こそ僕はギャルの生き方を見習いたい。
ギャルの背中を追いかけながら、人生を楽しんで生きていきたいと思う。
そこで1つ。
ここで僕はギャルの皆様に提案いたします。
僕はギャルを見習いたいので、もし、見習われたいギャルの方がいらっしゃいましたら、ぜひご一報ください。
ドシドシお待ちしております。
生きます。