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【自己紹介】

みなさん、こんにちは!

ここらへんでぼくの事について簡単に紹介させてください!

現在23歳(男)
地方国立大卒
社会人経験5か月
好きな季節:初夏
好きな食べ物:ラーメン、焼肉、羊羹、あんぱん
周りからは、真面目で熱い男だといわれる。

・・・・・好きな言葉・・・・・
There are no facts, only interpretations. (事実はない、あるのは解釈のみ)by ニーチェ

・・・・・好きな時間帯・・・・・
晴れた日の朝、夕暮れ時

・・・・・好きな音楽・・・・・
The Beatles, Cold Play、ミスチル、King Gnu、荒井由実、井上陽水、SMAP、マイケル・ジャクソン

小学校


小学校の頃の夢は「まんが家」!!
がちでペンなど画材を集め、漫画を執筆し、漫画賞などに応募していた

一方で、陸上クラブに所属し、走りこむ毎日

小学校の習い事は主に3つ
・そろばん
・水泳
・ドッジボール(スポーツ少年団)

中学時代

中学校では陸上で全中出場を目標に掲げ、毎日朝練で早起き、冬も豪雪のなかとにかく走った!!陸上ノートも書いた!!学業では、学級委員長に毎回選ばれてたり、定期テストで学年5位以内を取るなど文武両道を本気で目指してた。


高校時代

高校は大学進学を目指し、市内の進学校に進んだ。勉強は一気に難しくなり、はじめて授業についていけないという感覚を味わった。それでも頑張り、高校2年次には進学クラスに入った!陸上では顧問もいないなか、東北大会に出場。ここで、自分の努力で這い上がれることを学んだ!陸上に時間を注いでいて、学業がおろそかになっていたこともあって、第一志望には全然手が届かなかった。浪人する覚悟もなく、地元の国立大学に進学した。


大学時代

大学では、陸上は続けなかった。ほかに夢が見つかったからだ。それは、「交換留学」だった。学業もそこそこ、スポーツもそこそこだと高校で打ちのめされたぼくは、留学して人生変えてやると誓った。入学式の次の日には留学相談に行っていた。1年次から留学に行きたかったが、ほとんどの大学が3年次からの受け入れ。とにかく早く海外に行きたいぼくにとって、国はどこでもよかった。台湾の大学が2年次から受け入れていることを知ると、行き先は「台湾」に決まった。来年から留学生、ぼくはすごくワクワクした。でも当時のぼくは貯金もない、中国語も話せない、極貧ダメダメ大学生だった。


バイトと勉強に明け暮れる毎日


資金を貯めるため、バイトを始めた。当時は実家に住んでたので、実家から近く、稼げる場所ということで回転ずしチェーン店で働き始めた。お金のため深夜まで働いた。休日も、クリスマスも、年末も、とにかく働いた。深夜2時に帰ることもあった。冬の深夜に食べた吉野家の「牛すき鍋御膳」の味はいまでも忘れられない。

肝心の中国語はというと、当時は1ミリも中国語を知らなかった。知ってる単語と言えば、「にーはお」「しぇいしぇい」だけ。ぼくはバイトと同時に中国語も一から勉強する必要があった。語学を勉強するには独学より外国人に教えてもらったほうが早いと思い、台湾人の友人をつくり、先生になってもらった。毎日学校が終わると放課後は中国語の猛特訓した。3か月ほどで中国語検定4級レベルにはなった。


留学生活がスタート

不安とワクワクの中、夢の海外生活が始まった。留学期間中の目標は、英語と中国語をマスターすること。英語は当時TOEIC500点後半くらいだった。留学後はTOEIC900点、中国語検定2級を取ることを目標にしていた。朝起きて勉強、授業終わって勉強、夜も勉強、そんな毎日を続けた。勉強だけでなく、交友関係も大切にした。留学先では4人1部屋の寮生活を送った。初めての一人暮らしが海外、しかも寮。ルームメンバーは、ぼくの他に日本人、台湾人、中国人だった。誕生日にケーキをプレゼントしたり、テスト後は焼肉に行ったり、週末は海に行くなど思いっきり充実した生活を送った。帰国後はTOEIC850点、台湾中国語検定は準一級を取った。


帰国後の活動

1年間の留学生活が終わったが、帰国後はなんだか空しい気持ちになった。台湾のような熱気や人の活気がないことが、心の穴をぽっかり空けた。調べてみると、逆カルチャーショックといわれる現象のようだった。もっと台湾人と交流したい。そんな思いで学校内でサークルを設立することを決めた。活動内容は台湾人との交流会の企画運営。サークル設立当初のメンバーはわずか5人。「活動を学外に知ってもらうためにSNSもはじめちゃおうか!」そんなノリでインスタもはじめた。当時は手探りではじめたものの、徐々にフレームワークや文章もそれなりのものになり、600人くらいにまでフォロワーを増やした。

当時のぼくは大学3年生、そろそろ世間一般的には就活の時期。でもぼくは正直、大卒後に社会人になる意味がわからず、就活なんてしなかった。(当時は迫りくる現実から逃げていただけだったのかもしれない)。それより、どんどんサークルの規模が大きくなっていくのが楽しく、サークル運営ばかりやっていた。おかげで、活動が学外の方の目に留まり、台湾と日本の交流イベントの学生運営に抜擢される形になった。それは地元の若者の個人的な悩みや質問を台湾政府の閣僚にぶつけ、交流を図るというなかなか規模感の大きめなプロジェクトだった。ぼくはそのイベントの集客、SNS発信を任された。TVに取材されたり、地元新聞に取り上げてもらうなど、注目が集まる大きなイベントとなった。参加者が質問をぶつける熱い姿勢や、政府閣僚が的確かつ柔軟に質問に答える姿が印象的だった。

そのイベントが終わり、いよいよ就活かと思いきや、どうしても身が入らずにいた。就職したあとの人生にどうしてもワクワクできなかった。でも時間は待ってくれなかった。ぼくは、大学院進学という選択をして一旦は人生の決断から逃げた。


大学院

入学式早々、部屋に戻ると大泣きした。自分の人生を進んでいる感じがしなかった。自分で下した決断のように感じられなかった。全く充実感が得られなかった。せっかく入学金も払い、奨学金も借りる予定だったが、すぐに学生課に行き辞める旨を伝えた。学生寮も借りていたが速攻で退去し、実家に戻った。そんなぼくでも親は許してくれた。ぼくも、周りの人間も、これからどうしていいかわからなかった。辞めたはいいものの、やりたいこと、やるべきことがわからずにいた。


ニート

大学院を辞めたぼくだったが、2か月くらいは何もする気力が起きず、ずっと家に引きこもっていた。就活する気も、アルバイトする気も起きなかった。朝起きても何もすることがないことにひどく絶望した。親が作った昼飯を食べ、携帯をいじり、寝る日々。だんだん生きる意味を見出せなくなっていった。自分に対する自信を心底失っていた。鬱に近い状態になった。外に出るのも億劫でベッドからも起きられない。親にもひどい口調であたった。今の状況を環境のせいにもした。そしてそんな自分にも嫌気がさす。絶望する。そのループを繰り返した。枕に顔をうずめ泣き喚く日々。これ以上書き残すことは控えるが、堕ちるところまで堕ちた。


就活

親がサポートステーションという場所があることを紹介してくれた。そこは、若者の就労支援をするところで、就職先の紹介から面接の指導も行っているところで、ぼくのように社会に出ることが不安な人への支援も行っているところだった。車で往復1時間かかる場所だったが、ドライブがてら行くことにした。数か月人と話していなかったので初回はとても緊張したのを覚えてる。職員の方が非常に丁寧に対応してくださったおかげで、緊張がほどけ、会話も自然にできるようになっていった。週1回で通うことにしてここからぼくの就活と社会復帰がはじまった。朝起きて、「行く場所」があることが何にも代えがたいほど嬉しかった。


バイトもはじめてみた

地元のプールでバイトを募集していたのではじめてみた。サポステにも通いながら週3ほどで働いた。ここらへんから徐々に自分を取り戻していった。人と話す、交流するって人間が人間でいるために大事な活動だと学んだ。


晴れて社会人、かと思いきや・・・

メンタルがやられた自分は営業や接客はできないだろうと思い、事務職を探し、ちょうど締め切り間近の団体職員の試験を見つけた。久々に勉強なるものをして、見事合格。筆記試験、作文、面接も頑張った。

翌年の4月、社会人になった。支えてくれた親、サポステのスタッフ、バイト先の方々には感謝してもしきれない。仕事内容は、書類整理、データ入力、電話対応というものだった。毎月安定した給料が入ってきた。だが、なにかが違った。このまま同じ仕事場で同じ仕事を何十年も続けることに、成長できるのかどうかわからず、不安を覚えた。そして、次第に会社に行くことに嫌気がさして、仕事中もずっと暗い顔をしていた。毎週日曜日は気分がダウンしていた。そして、人生2回目の鬱がきた。

仕事を辞める

8月のある日。上司に仕事を辞める旨を伝えた。ほかに理由が見つからず、留学に行きたいという理由で辞めることにした。そこからはトントン拍子に話が進み、すんなりと退職した。8月の真夏の真っただ中、ぼくは無職になった。肩の荷が下りてすっと心が軽やかになった。


そして現在に至る

仕事を辞めてから1か月が経とうとしている。正直この先はどうなるかわからない。わからないけれど、わからないなりに前に行動したい。ただ、今後の人生はしっかりと自分の気持ちに真正面から向き合い、自分の下した決断に自信を持つ強さを手に入れたい。過去を振り返ったときにこの決断をして良かったと心から思えるよう、行動していきたい。


人生で大事なのは何本ホームランを打つかじゃない、何回バッターボックスに立ったかだ


今から一年後、あなたは今日から始めていれば良かったと望んでいるだろう


怒りもしないことを想像して悩んでいる。そんなもの起こってから悩めばよい


今を変えなければ未来は変わらない。


Today is the day. (今日がその日だ。)






最後まで読んでくださりありがとうございました!!
今後もぼくの成長過程として様々なことをnoteに記していきます
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