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③ベトナム3泊4日の旅~たびのおわり~


全部で4000文字近くあります!書きすぎ・・・(笑)

おはようベトナム


3日目、AM6:00、ホイアンであさをむかえる。静かなあさ、かと思いきや、ニワトリの鳴き声で目が覚めた。こんな出来事日本じゃ起きない。あさイチから異国モード全開でぼくのベトナム最終日はサイコーの幕開けとなった。

カーテンを開け外に出ると朝日がまぶしく気持ちが良い。思いっきり伸びをし、息を吸い込んだ。空気はそこまでキレイじゃなかったので、少しむせた。

朝からバイクの喧騒が聞こえるハノイとは違い、あたりは静かだった。

そういや、プールがあったよなと思い、階段を降りプールへ行ってみた。降りると10m四方ほどの大きさで、デッキチェアやパラソルがあり、そこはもう高級リゾートホテルだった。

実はこのホテル、bookingドットコムの割引で一泊8000円がなんと2500円で泊まれました。極貧の僕にとってはこの上ない至高。人生初デッキチェアにもたれかかると気分はもう大富豪。値段はどうであれそういう気分になれる僕は幸せだ。また、今後は東南アジアの費用抑えリゾートホテル泊まり旅をしても楽しそうだとワクワクな気持ちになった。

世界遺産ホイアン


この日はダナン空港10時発のフライトを予約してしまっていた。ので、あまりうかうかしてられなかった。現在地からダナン空港まで約1時間。空港に8時半ごろ着いていたかったので宿を早めに出ざるを得なかった。でも昨晩見られなかった日本橋(有名な観光名所)はこの目に収めておきたい。7:30からの朝食とホイアン市街地観光の二択を迫られた。が、次いつ来るかわからないホイアン市街地観光を選択した。さようなら、プールサイドで過ごす優雅な時間よ。次は最高に優雅な朝を過ごそうと心に誓った。

ホテルに別れを告げバイクタクシーで世界遺産ホイアンへ向かった。昨日から乗りなれているはずのバイクの乗り心地はこころなしか変な感じがして、何度もバイクから落ちそうになった。朝だからうまくバランスが取れなかったからだろうか。それにしてもベトナムは朝と夜ですっかり様子が変わる。昨晩死に物狂いで自転車で通った道も、バイクですぐに通り過ぎた。昨日の頑張りはなんだったのだろうかと、少し悲しくなった。夜は街灯も少なく真っ暗だったあの道が朝になると色鮮やかな建物に囲まれた美しい風景だった。

道端に座り煙草をふかしながら将棋?のようなもので遊ぶ男性が多いことに気付いた。町を歩いていてもスーツ姿で出勤しているのは女性のほうが多い。男性は昼間から椅子に座りぽけーとしている。調べてみるとどうやら疑問に思ったのは僕だけではないようで、「男は仕事をしないで日中からのんきに遊んで、妻に働かせて、妻からおこづかいを貰うものだとされ、それが男らしい、いかにも男だ、とされる。東南アジアの多くの国では、女性が勤勉な一方男性はあまり積極的に働かない傾向があり、中南米や東アフリカなどにも同様な傾向は見られる。」らしい。年寄りだけでなく若者も少なくなかった。どうやらベトナムの若者(15~29歳)の失業率は2023年第1四半期の段階で7.6%らしい。というか15歳から働き始めることにまず驚いた。10~14歳から働き始めるのも珍しくないらしく、そういやこの日の夜ハノイで泊まったホテルの受付は中学生くらいの男の子だった。

結局見たかった日本橋は現在改修工事中とのことでこの有様だった。非常に残念だったが次回ホイアンに来る口実ができた。

ホイアンに黄色の建築物が多い理由

それにしても建物のほとんどが黄色であったので気になって調べてみた。これはフランス植民地時代の名残で、フランスの南国のイメージが黄色だからだという。「コロニアル(植民地の)様式」と呼ばれる様式で、ホイアンのほかにもハノイのハノイ大聖堂や、オペラハウスなどがある。

統治国家が自国の文化と影響力を拡大させるために作ったのだろう。カナダやカンボジアなど旧フランス領だった地域にいまだ多くの建造物があるらしい。

植民地時代の建造物はかつて占領されていた記憶をよみがえらせてしまうということで、昔は建造物の撤去が考えられていたが、現在は貴重な観光収入として期待されることから建造物を残す地域も少なくないという。もっともほかにも理由はあると思うが、かつて日本の統治下にあった台湾にも「台湾総督府」と呼ばれる日本式の建物があり、昔学んだ歴史の知識の点と点が繋がった感じがした。

ホイアンは確かに世界遺産に登録されているだけあって、街並みや建物の作りに目を奪われる瞬間が何度もあった。建築の知識はないのでよくわからないが、よくわからないなりに感動するものがあった

再びハノイへ

ホイアンを後にし、再びハノイへ向かった。帰りの飛行機はおなじみのベトジェットエアでこちらもベトジェットエアおなじみのV-POP「I can fly~」の曲が流れていた。

ノイバイ国際空港は相変わらず人の熱気でごった返していた。「SIMカード?」とせまってくるSIMカードお姉さんをかわしgrabタクシーに乗り込んだ。ピックアップ地点がわからなかったので、僕が今いる場所の写真を送るとこっちまでわざわざ車でむかえに来てくれた。

「どこ出身?」と聞かれたので「じゃぱん」と答えるとなんだか嬉しそうにしていた。なんかいつものgrabタクシーの運転手と違うなと思うと、、、、日本大好きで日本語を勉強中らしい。正直いままでバイクのおっちゃんにぼったくられたり、バスに道の途中で降ろされてりしてきたので、最終日に神様が与えてくれた出会いだと思った。

名前はドゥイさんという方で、もともとは日本語学校に通って日本で働く予定だったというが、母親の介護に専念するため、日本行きは断念したそう。なぜ日本が好きなのかと聞くと、以前日本人と出会ったときに、日本人の礼儀正しさや約束を守る姿勢に感動して、以来日本のことが好きになったのだそう。この話を聞いて日本人として嬉しくなった。幼い頃から「人との約束は守る」「感謝を忘れない」といった礼儀を学んできた僕らにとっては至極当たり前のことだが、日本の教育もまだまだ捨てたもんじゃないなと思った。

帰り際に今日の夜も乗せたいと言われ、電話番号を尋ねられた。電話番号を教えたが、なぜか繋がらなず、ショートメールも使えなかった。何回も電話をかけたが繋がらない。

どうしようかと考えていたところ、「ハノイ大聖堂に夜9時に待ち合わせしよう」ということで合意した。現代でもこんな古風な待ち合わせしたことなかったので多少の不安はあったが、信用してみようと決め、ハノイ大聖堂まで送ってもらって彼と別れた。


大聖堂前の盆栽?が気になる

彼が紹介してくれたバインミーはピリ辛で卵も入っていて本当に美味しかった。ハノイ大聖堂に行く方はぜひ食べてみてほしい。「MAMA」という店だ。

こちらの店

最後のバインミーの味をかみしめた。フォーやエッグコーヒーももう一回同じ店で食べたり飲んだりした。名残惜しくなる。

最後にコーヒーショップに立ち寄った。若く高校生?くらいの兄妹で営んでた。豆を見てると「飲んでみる?」と姉のほうが試飲を勧め、コーヒーとドライフルーツも用意してくれた。ドライフルーツのマンゴーはピリ辛で少しびっくりした。ベトナム人は皆おやつにドライフルーツを食べるの?と聞いたが、違うらしい。なんでドライフルーツを出したのか疑問だったが、この日行ったマッサージ店でも同じくキウイのドライフルーツが準備されていた。ドライフルーツをよく食べる文化なのだろうか。調べてみたがあまり情報はなかった。「じゃあおやつはなにを食べるの?」と聞くと、「バインミー」と冗談っぽく言っていたのが、可愛らしかった。買う予定はなかったがコーヒーの粉と専用のカップを購入して店を後にした。

感動の再会


夜の9時にハノイ大聖堂に来てみると、約束通りそこにはドゥイさんの姿が。感動のあまり衝動的にハイタッチを交わし握手もした。最高の出会いだ。いつでも連絡可能な現代で、スマホ無しで、ましてや外国人と再会をすることができたことに非常に感動した。僕の父親の時代はこれが当たり前だったというから昔ってすごいなとも思った。餞別に日本の小銭を渡した。以前日本人から5円玉を貰っていたそうで、僕も何かあげたいと思い、100円玉が手元にあったのでそれを渡すことにした。「これからも日本語の勉強がんばって」と告げ最後にもう一度握手を交わし彼と別れた。

そして帰国

感情が揺さぶられたベトナム旅だった。そしてベトナムという国の現状も垣間見ることができたのが学びになった。道端に座り果物を売ってるおばあちゃん、昼間から椅子に座りボードゲームをたしなむご老人たち、一日中ホテルの受付をして、夜中はソファで横たわる中学生くらいの男の子、コーヒーショップを営む中学生にしか見えない姉と弟。スマホいじりが止まらない公安警察。タクシーでぼったくる笑顔が素敵なおっちゃん、高級マッサージ店でパリッとしたスーツに身を包む笑顔が嘘くさい男性店員。いろんな人がいて、その生活を肌で感じることができたのはこれからの自分の人生の大いなる糧となることだろう。ありがとう、ベトナム。また来るよ。

以上で僕のベトナム一人旅の日記は終了となります。おもしろかったかな?また海外や国内旅行に行ったときにはnoteに書いてまとめようと思いますので引き続き読んでくださると幸いです。

かなり長文となってしまいましたが、ここまで読んでくださりありがとうございました!


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